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個人の尊重、個人主義、そしてAI (第14回)

学習院大学名誉教授 戸松秀典

1 憲法13条と氏名

 前回の本欄では、夫婦同氏制の合憲性を検討することがテーマでしたが、そこで扱った最高裁判決(注1)の理由の冒頭箇所では、氏名の憲法上の意義について、次のように説明しています。

 「氏名は,社会的にみれば,個人を他人から識別し特定する機能を有するものであるが,同時に,その個人からみれば,人が個人として尊重される基礎であり,その個人の人格の象徴であって,人格権の一内容を構成するものというべきである・・・。」(注2)

(注1)最大判平27・12・16民集69巻8号2586頁。
(注2)これは、先例の最三小判昭63・2・16民集42巻2号27頁からの引用。

 これは、夫婦同氏制が憲法13条違反であるとの主張に答える論述の出だしですが、その格調のよさも、これに続けて、「しかし」と論じていく過程で退潮していき、結論として違憲の主張が退けられています。そのことは、前回でみたとおりですが、今回は、氏名のうちの名について関心を向けることにします(注3)。それは、名の扱いについて、憲法13条のもとで、最高裁判所が説いているように、高い価値があることを前提として、現実にいかなる状況にあるのかを注目したいからです。

(注3)「氏名のうちの名」というときはともかく、一般に名というと名前、すなわち氏名ととらえられがちですが、以下では、名とは、ファーストネーム(first name)のことを指しています。

 ところで、憲法13条は、「すべて国民は、個人として尊重される」と規定しており、ここから、人権保障の価値の根源である個人主義が導かれると広く説明されています。つまり、憲法の人権保障においては、国民が個人として尊重されることがうたわれており、今ここで関心を向ける名についても、この憲法の宣言しているところが生かされ、実現されねばならないのです。しかし、この個人主義は、西欧のindividualismに由来しているといってよいのですが、日本の社会によく浸透しているのかとか、当然のこととして受け入れられているのかと問うと、安易な答えができないように感じております。この慎重な姿勢を持たざるを得ない理由の一つは、自民党の改正憲法草案にあります。そこでは、憲法13条中のことばについて、「個人」が「人」に置き換えられているのです。その根拠を簡単にいえば、個人ないし個人主義がよろしくないと考えるからのようです。そして、個人主義の概念を、利己主義にむすびつけているようです。これに対する反論や批判はすでに多く投じられているので、ここでそれを繰り返すつもりはありません。しかし、与党である自民党がそのような改正案を正面から示している背景には、無視できないところがあるのではないかと思ってしまいます。

 そこで、私は、日本の社会には、あるいは人々の生活の中には、西欧的個人主義がそのまま存在しているとはいえない、独特の状態が認められることを指摘し、読者の皆さんとそれの意味を考えてみる必要があるのではないかと考えたのです。

2 社会での個人主義

 まず、私の上記のような関心から注目した新聞でのコラム記事を紹介します。それは、ある企業の会長CEOの人が、会社で交わされる「おつかれさま」の挨拶を撲滅していることを紹介しながら、次のように述べている箇所です(注4)。

(注4)カルビー会長兼CEO 松本晃「おつかれさま撲滅運動」日本経済新聞「あすへの話題2018.5.7」。

 「(おつかれさま撲滅運動の)次にやったことは、社内で役職名で呼ぶことの禁止だ。『部長』『常務』『社長』『会長』・・・。これも日本の社会に蔓延する悪しき文化だ。こんなことを21世紀にいまだにやっている国なんて一体どこにあるのだろうか?/欧米の会社ではお互いのファーストネームで呼び合う。(以下、省略)」

 これと同様のことは、私も、長い間思っていたので、共感を覚えました。長年勤めた大学で、学長、学部長などと呼び、家庭でも、夫婦は、互いに名(ファーストネーム)や愛称で呼び合うよりも夫が妻をお母さん、妻が夫を父さんなどと呼ぶ例が多いし、夫婦で買い物に行くと店員が妻のことをお母さんと呼ぶし、幼稚園で、幼児が友達の親のことを、○○ちゃんのママと呼ぶし、子どもも、中学生以上となると、氏を呼び合うことになるといった具合です。

 名すなわちファーストネームを呼ばないのは、相手を個人としてよりも、人間関係ないし組織での自分と相手との位置づけに重点をおいているといってよいようです。そのため、遠慮がちとなる、心のうちを隠したり抑制したりする、相手との論議の進行に手間がかかる、といった個人主義の雰囲気が前面にないように受け取れるのです。そこで、私は、ある時、大学院生の教室で、それも人数の少ない演習(ゼミナール)において、互いをファーストネームで呼んで議論するように求めました。すると俄かに明るく熱の入った議論の場となり、その実験を社会での会社や組織でさらに展開してみたらと思っております。

 このささやかな体験から一般化した見解を述べるべきではないかもしれませんが、どうも名をめぐってみられる個人主義の日本独特の様相は、西欧の個人主義の理念そのものによって説明できないのではないかと考えています。そこで、日本社会の状況を、苗字・氏を広く用いるようになった明治期以前にまで遡って、観察してみることも意味があるのではないかと思っています。江戸時代の庶民の間では、名が個人の特定化の機能をもっており、氏を有していた武士たちより、個人主義が生きていたのではないかと想像しています。

 このような単なる思い付きに近い説明は、説得力を欠くのではないかと自覚していますが、名の扱いにみられる日本社会での実情に照らすと、憲法13条の個人主義の価値を西欧と同じレベルでとらえてはならないといってよいと思います(注5)。

(注5)憲法13条の個人の尊重、個人主義、さらに憲法24条の個人の尊厳に関する研究は多く存在しますが、それらが西欧の論議を詳しく紹介し、分析していることには敬意を表します。ただ、日本の社会には、独特な個人主義の意味合いがあることへの追究は、あまりなされていないといえます。

3 AIと個人の尊重

 社会は急速な変化を生んでいるし、インターナショナルな交流が増してきているから、上で紹介した会社での改革があちこちで生じ、個人主義の浸透が深まるかもしれません。そして、先ほどあげた憲法13条の改正をしようとする自民党の案は、無視されることになるかもしれません。

 ところが、これとは別に、社会に急激に進出しているAI(人工知能)・ロボットが個人の尊重の基本価値を損なう恐れを生み出しています。たとえば、企業の採用人事業務において、あるいは金融業の顧客信用調査において、対象者に関する大量の情報がスマホの利用、消費者カードの使用、その他を通じて収集され、そのいわゆるビッグデータ処理をAIが行うことが進行しているようです。その際に、本人が全く予知や予想ができない根拠に基づいて不利益な処理、とりわけ個人の人格が侵害されることがあり得るようです。これを防ぐ方法は、個人にはなく、たとえばEUですでに制定されているロボット法のような法律の制定によることがもっとも望ましいのです。しかし、日本ではまだそれがなされていません(注6)。これは急務なのに、政府は、迅速な対応をしていないのです。

(注6)最近、倫理規定を設けて対応しようとする企業が登場するようになっています。なかなか法制度が設けられないため、企業の自律的対応に委ねるのが日本的法秩序だといえます。しかし、かつて、情報公開や個人情報保護の制度がそうであったように、そのような対応は西欧では理解できず、国際的取引の場面で批判を受け、その批判に促されて法制度ができたことがあります。このAIについても、同じ道を歩んでいます。

 これは、前述の2で指摘したことと関連あるのか、すなわち、個人主義の理解、浸透が不十分なためなのか、検討する必要があります。

 さらに、法整備を怠っているうちに、AIが人間を超えて独自に働くことがあるのか、という懸念も抱かされます。このことについて、研究の結果、「私はAIが人間を超える『シンギュラリティ』は来ないと考えています」と断言する研究者もいます(注7)。しかし、私は、現在、AIについての勉強中であるため、説得的な内容の提示ができません。そこで、私が参照中のAI関連の文献を次にあげることにしました。

(注7)文献欄の⑥参照。

【AI関係文献】

  1. 松尾陽編・アーキテクチャと法――法学のアーキテクチュアルな転向?(2017年、弘文堂)
  2. 福田雅樹=林秀弥=成原慧編著・AIがつなげる社会――AIネットワーク時代の法・政策(2017年、弘文堂)
  3. 平野晋・ロボット法――AIとヒトの共生にむけて(2017年、弘文堂)
  4. ウゴ・パガロ(新保史生監訳)・ロボット法(2018年、勁草書房)
  5. 弥永真生=宍戸常寿編・ロボット・AIと法(2018年、有斐閣)
  6. 「人間発見・国立情報学研究所教授 新井紀子さん――AI時代を生き抜く力①~⑤」日本経済新聞(夕刊)2018年8月7日~10日
  7. 角田美穂子=工藤俊亮編著・ロボットと生きる社会――法はAIとどう付き合う?(2018年、弘文堂)

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■著者プロフィール


tomatsu_pf.png 戸松 秀典 憲法学者。学習院大学名誉教授。

1976年、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了(法学博士)。新・旧司法試験委員、最高裁判所一般規則制定諮問委員会委員、下級裁判所裁判官指名諮問委員会委員、法制審議会委員等を歴任。

●著書等
『プレップ憲法(第4版)』(弘文堂、2016年)、『憲法』(弘文堂、2015年)、『論点体系 判例憲法1~3 ~裁判に憲法を活かすために~』(共編著、第一法規、2013年)、『憲法訴訟 第2版』(有斐閣、2008年)『憲法判例(第8版)』(有斐閣、2018年)、など著書論文多数。

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