映画『ラストエンペラー』(1987年)は、中国の清朝最後の皇帝にして満州国皇帝になった愛新覚羅溥儀の生涯を描き、大ヒットした。清朝崩壊や日本による傀儡国家・満州国の擁立、戦後の中華人民共和国の成立など、歴史の大きなうねりに翻弄された「悲劇の人」という印象は、本書『ラストエンペラーの私生活』(幻冬舎新書)を読み、くつがえされた。
著者の加藤康男さんは、「溥儀には人間がもつ欲望がすべて揃っている。権力欲、金銭欲、物欲、我欲、性欲、食欲、名誉欲、保身欲――そう、煩悩といわれるすべてを身につけ、あからさまにそれをふりかざす人物でもあった」と、その怪物ぶりを評している。
映画でも二人の妻を同時にめとったことがセンセーショナルに描かれていたが、本書を読むと、そんなもんではなかったことがわかる。私生活の中でも「性」にかんする記述がまず目をひく。
溥儀の初めての性体験は、14歳のときで相手は若い宦官だった。宦官が奉仕し溥儀は感極まり、精を放った。その後も1945年の満洲国崩壊まで同性愛者だった、としている。
別の宦官の伝記には、多くの女官らによってさまざまな性の悪戯を教えられた、とある。加藤さんは「正常と異常の判断がつく以前に、女官や宦官による遊蕩と欲望の被害者となったのは、宮廷内にはびこった性的堕落の因習によるところが大きい。それゆえに自らを貶めるような異常性愛に奔ったのは間違いない」と書いている。
本書は宦官になる方法や纏足の施術法など、中国伝統の異常な因習についても詳しく取り上げている。
溥儀は11歳までに辛亥革命をはさんで二度清朝皇帝の位に就き、二度退位した。その後も「優雅な廃帝として紫禁城の主」として生きていた。そして16歳のとき、后(第一夫人)となる婉容、妃(第二夫人)となる文繍と結婚した。
皇后婉容との初夜に寝室をともにしなかった理由は謎とされてきたが、月のものにあたってしまい、以後中宮で夜を過ごすことはなかったという。その晩もお気に入りの宦官と夜を過ごした。
皇帝と皇后の性生活は逐一記録に残されており、二人の間に同衾の記録はほとんど見当たらず、皇妃文繍も同様だという。映画ではアヘンにおぼれてゆく婉容が描かれていたが、夫婦生活がなかったからと思えば、理解できる。
満州国の皇帝となった溥儀。皇后婉容は懐妊するが、相手は二人の侍従のうちどちらかと疑われた。二人とも否定したが追放された。小さな女児を生んだが、すぐに宮廷外に連れ出され、小さな命は終わった。「溥儀は『捨てよ』と命じ、万にひとつの可能性も信じようとはしなかった」と書いている。
終戦後はソ連軍に逮捕され、東京裁判に検察側証人として出廷、あらん限りの偽証をする一方、天皇の戦争責任を問う場面もあったという。「トリかごに入ったらトリになれ、イヌ小屋に入ったらイヌになれ」という中国のことわざ通り、したたかに生き抜いた側面もあったようだ。
その後、新中国では戦犯管理所で「学習」し、「人間改造」されたとして釈放された。五度目の結婚式は毛沢東の家に招待され行われた。毛沢東の側近は顔をしかめたが、毛沢東は終始笑顔だった。これ以上の宣伝はなかったからだ。
溥儀はEDで性生活は困難だったが、離婚問題を起こさないことが共産党首脳の基本方針だったから、周恩来のはからいで治療が行われたという。宮廷、日本軍、共産党と最後まで権力によって性生活を左右された生涯だったと言えるだろう。
著者の加藤康男さんはノンフィクション作家。『謎解き「張作霖爆殺事件』、『三笠宮と東條英機暗殺計画』など近現代史の著作が多い。
本書は2014年に刊行された『禁城の虜―ラストエンペラー私生活秘聞』(幻冬舎)を改題、加筆・修正したもの。
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