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デジタル化の改革 (第39回)

学習院大学名誉教授 戸松秀典

はじめに

 先日の散歩で、馴染みの小さな公園に立ち寄ったところ、ケヤキの大樹わきのベンチで、老婦人が電話をしている姿を目にしました。

 あたりを憚ることなく、大声で、電話により何かの申込をしているらしく、自分の名前、住所、電話番号を相手に知らせていることが聞こえてきました。

 さらに要件内容に話が及びそうで、これは聞いていてはいけないと思い、そこを立ち退いたのですが、背中にまだ届く声をあとにしながら、やれやれこういう人には、個人情報を守るといった意識がなく、今、政府が力を入れ始めているデジタル化推進の動向とも縁がないのだなどと思いました。そこで、帰宅して、その時から考えたことを今回も記すことにしました。

1 コロナ禍を契機としてのデジタル化

 現在、政府が力を入れている施策がデジタル化であることは、よく知られています。また、コロナ禍が契機となっていることも、最近の報道から明らかだといえます(注1)。つまり、コロナ禍が契機となってデジタル化が急務となっていると説かれているのです。

(注1) 以下の事実については、ここ数か月間の新聞やネットニュースで伝えられていることであり、その箇所を個別に挙示することは、省略します。

 本欄の第32回「新型コロナウイルス感染問題」第34回「新型コロナウイルス感染問題・再論」でも触れたように、新型コロナウイルス感染の脅威は、人類が体験したことのない異常事態ですから、それへの対策を従来の法制度に基づいて打ち出すことが難しいと受け止められています。

 そこで注目されているのが、デジタル化です。そのことを人類の歴史的体験に遡って、ペストの大流行と多数の死者が出た時登場したグーテンベルクの印刷機の発明が例に出されます。ペストの流行で多数の死者が出て、労働力不足となり、聖書を書き写す人手も足りなくなったため、印刷機の発明を生み出し、それが聖書の莫大な数の頒布を可能としたというのです。

 コロナ禍も、これが契機となってデジタル化が急激に進行、発展し、これまでに想像できなかった事態への対処が可能となっていると説明されているのです。

 印刷機の発明とデジタル化との対比をして、両者の異同を語ることにはあまり意味がないと思いますが、デジタル化のもたらす効用が大きいことについては、疑いをもたずに注目すべきでしょう。それには、デジタル化が何を指すのかを認識する必要があります。

 そこで、パソコンでそのことばを検索すると、デジタルとは、「連続的な量を、段階的に区切って数字で表すこと」とあり、デジタル化とは、「アナログ形式の情報をデジタル形式に変換すること」といった具合に説明されています。

 これでは、何だかよく分からないのですが、その分野の専門家でもない私には、ここから進んで語ることができません。しかし、よく報道されているデジタル化の遅れ、デジタル化の推進といったことに立ち入れば、理解できそうです(注2)。

(注2) 時計、カメラ、歩数計などがデジタル化していることは、すでに馴染み深いので、特別といえないでしょう。ただし、ここでは、法制度にかかわるデジタル化のことに着目しています。

2 後れているデジタル化の改革

 デジタル化の後れがネックとなり、施策の停滞が問題とされた代表的事態は、特別定額給付金10万円の支給についてでした。新型コロナウイルスの感染が拡大し、社会での活動の自粛が求められた本年の4月に、政府は、その支給を公にしたのですが、実際に給付金を受け取るのにかなり待たされたことは、本欄の読者の皆さんも体験されているはずです。

 その原因が、デジタル化の典型というべきマイナンバーカードが行き渡っておらずその役割を果たせなかったことや、自治体間で支給事務が異なったり、手間取ったりなどしたことにあります。要するにデジタル化がしっかり進展していたならば、6月の半ばになってやっと全国の自治体での支給手続きが終了したといった事態が生じないはずだと批判されています。

 国と地方自治体との間で生じていた混乱を分析した論者が、「政府の進める標準化の流れと、現場の知恵を生かした自治体のたゆまぬ改善努力が歩調を合わせなければ、住民のためになるデジタル行政は築けない」(注3)と指摘しているところに、デジタル化の問題の核心があるようです。

(注3) 斉藤徹弥「デジタル化『10万円』の教訓」日本経済新聞2020年6月17日6頁・中外時評。

 他の施策にも関連してデジタル化の後れの改善や新規の対応などがコロナ禍の中で熱心になされています。管政権は、デジタル庁を設置して、従来の取り組みから飛躍したデジタル政府の再構築を試みています(注4)。

 その進行中に何かの評価や問題指摘を行うことは控えるべきかもしれません。そこで、主要な注目点をあげるにとどめ、問題分析は、機会が得られれば行うことにします。

(注4) 再構築とは、政府が2001年に「e-japan戦略」を策定したことをはじめ、デジタル政府の構築に取り組んできましたが、これといった成果をあげられずに今日に至っていることが背景にあります。

 まず、金融機関の行政手続きは、来年度から完全に電子化することにし、銀行や保険、証券会社などからの申請、届け出をすべてオンライン化することを計画しているそうです。それとともに、金融庁が金融機関に顧客との取引の電子化を広げるよう促す計画だと報じられています。

 これによれば、一般市民は、銀行との取引でデジタル化した手続きを行うこととなるのですが、ATMにやっと慣れたところに、新たな電子機器使用が求められ、日本ではまだ通常となっている現金使用が制限され、それに馴染むのに苦労するのではないかと予想されます。

 電子機器を使用した日常の経済活動といえば、かなり利用が浸透している通信販売ですが、それについても、デジタル化に伴う問題が指摘されています。それは、ネット時代の買い物弱者にかかわる問題です。ネットの操作に慣れず、誤った注文をして、予想外の損失が身に降りかかっている層、とりわけ高齢者のことを指しています。これに関連したことは、以下で改めて考えることにしています。

 高齢者層でなく社会で活躍中の層については、オンラインでの仕事、リモートワークに関する問題が無視できません。これに加えて、選挙過程での電子機器の利用にも注目すべきでしょう。これらについては、改めて多角的な分析をして考察する必要があるので、今回は、立ち入らないことにします。

3 取り残される高齢者層

 さて、デジタル化については、その概略が以上のようであることを背景に、はじめで触れた老婦人の様子に話を戻します。もちろん、立ち止まって電話の内容を聞きとどめたわけでなく、その時の様子から想像したことですが、デジタル化の世の波の流れの中で、高齢者は、取り残された存在となるのではないかということです。

 これも、先日の散歩後に体験したことですが、比較的に高齢である者――筆者もそこに含まれますが――の集まりで、その中の一人が、役所の改築工事のため、馴染んだ窓口が不便な場所に移ってしまい探すのに苦労したとの不満を皆に伝えました。それに対して、ある者が、今は、パソコンに向かって手続きすればそれで済むことが多い時代だけど、われわれ高齢者は、そのようなことなどできないから、役所の窓口は、重要だね、と指摘し、皆が賛同しました。

 確かに、政府は、行政のデジタル化を進めることにしており、2021年の通常国会にIT(情報技術)基本法改正案を提出する予定としています。そこには、行政デジタルの一元化、デジタル化の一元管理、さらに国と地方のシステムの共通化が計画されています。

 これによると、自治体の行政手続きに関して、従来のようにアナログの方式がなくなっていくように予想されます。すると、高齢者の多くにとって、手書きの書類の提出や、窓口で口頭の申請をする度合いが少なくなり、役所の職員による手助けや家族などの支援によりパソコンによる手続きが不可避となる事態が予測されます。

 このような行政のデジタル化は、行政の効率化をもたらすとはいえる一方、対応に困難さを背負う高齢者に対する配慮が求められます。さもないと、デジタル化の進行により、高齢者は、取り残されるおそれがあります。

 国や自治体の行政過程で高齢者層が疎外感を抱くようになった時、民主主義の政治でなくなるおそれが生じます。デジタル化の進展は、デジタルデモクラシーの誕生を予測することができますが、そこには解決しておくべき問題があります。それについて検討する機会があればと思っております。


■筆者後記
 冒頭の写真は、サザンカで、冬の訪れを感じます。


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■著者プロフィール


tomatsu_pf.png 戸松 秀典 憲法学者。学習院大学名誉教授。

1976年、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了(法学博士)。新・旧司法試験委員、最高裁判所一般規則制定諮問委員会委員、下級裁判所裁判官指名諮問委員会委員、法制審議会委員等を歴任。

●著書等
『プレップ憲法(第4版)』(弘文堂、2016年)、『憲法』(弘文堂、2015年)、『論点体系 判例憲法1~3 ~裁判に憲法を活かすために~』(共編著、第一法規、2013年)、『憲法訴訟 第2版』(有斐閣、2008年)『憲法判例(第8版)』(有斐閣、2018年)、など著書論文多数。

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