学習院大学名誉教授 戸松秀典
新型コロナウイルスの感染拡大に対処するために、政府は、本年の4月7日に緊急事態宣言を発令しました。それは、本欄での注目対象である憲法・国法秩序に重要な関係があることなのでとりあげました。しかし、事態の推移を見守ったうえで、再論する必要があると感じながら、その回を未熟のままで終えました。
ところが、先日、なるべく人との出会いが少ないコースをとるつもりで散歩をはじめたところ、スマホを片手に声高に通話している外国人の青年とすれ違いました。すると、しきりにコビド(covid)(注1)といっている彼の声が耳に入り、やれやれ内でも外でもコロナウイルスの感染問題から逃れられないのだと感じたところです。そして、もう再論すべき時だと、散歩をしながら思った次第です。
(注1)covidは、世界保健機構(WHO)が本年1月に、新たに発生し世界中が警戒と予防を必要とする新型コロナウイルス感染症について、covid-19と呼ぶと宣言し、西欧諸国ではその呼称を使っています。日本では、簡略化して新型コロナとか単にコロナとしており、何だかその呼称において、よくあることですが、西欧との違いが生じています。
本欄の第32回(新型コロナウイルス感染問題)で、政府は、法的強制力を伴う措置よりも、自粛によって培われる自律性に依存する法秩序の展開が新型コロナウイルス感染対策の主軸となっていると指摘して、一応のむすびとしました。これに対して、当連載コラムの読者からその意見に反対だとのメールがBOOKウォッチ編集部に届きました。そして、「社会的圧力という他律性に依存するという法秩序の展開が対策の主軸になっているというのが、私の意見です」と記されていました。
私は、これに反論するつもりはなく、政府がとった対策により社会的圧力という現象が生じていることは間違いないと思っています。これは、自粛によって培われる自律性に依存する法秩序の展開を打ち出した政府の施策が生んだ弊害であり欠陥だというのが適当ではないでしょうか。指摘したところは私の意見ではなく、政府の対策の趣旨を描いたものです。自律性に依存する施策を打ち出しながら、その背後の意図として社会的圧力という他律性を頼りにしていたのなら、そのような政府は、無責任です。国民と違って、法的に正当性を有する強制力をもった政府が国民の他律性に依存するなどということは、法治国家では容認できないことだといえないでしょうか(注2)。
(注2)その読者のメール文面にも、そのような怒りが感じられます。
緊急事態宣言に伴い生じた自粛警察とかコロナ警察などと呼ばれる弊害については、マスコミで取り上げられ、問題とされているので、ここでは立ち入りません。
緊急事態宣言を発して1か月半の後、5月25日に、政府は、その解除を宣言しました。それは、政府が新型コロナウイルスの流行が収束したと認めたからだと伝えられています。確かに、感染者数と死亡者数がかなり減少しており、日本よりはるかに数値率の高い西欧諸国から見ると、不思議だ、奇跡だ、意図せざる成功だなどとの受け取りがなされています。このような受け取りに対して、明確な説得力ある説明ができるでしょうか。これについて、少々考えておくことが今回の再論の目的です。
緊急事態宣言を解除した政府は、ウイルス感染防止対策が成功したかのように表面上装っています。しかし、マスコミが伝えているように、西欧では、日本の政府の施策について成功したとは単純に評価してはいないようです。上記のように、不思議だ、奇跡だ、意図せざる成功だといった留保つきの評価が下されています。それは、次のようなことが見られるからです。
自粛要請を軸とするだけで、政府は何か積極的な防止策をとっていません。何らかの積極的な防止策を実施すると、国民は、一律ではないが損失や不都合を体験し、それに対する補償を政府に要求するようになります。そこで、そのような要求に応え、あるいは忍従を求める法制度を用意せねばなりません。日本では、誰の目にも明らかなように、そのような法制度がありません。そこで、政府は、自粛に頼ったわけです。
もっとも、それでは不十分だと非難されることを回避するためか、国民に向けたサービスを提示しました。アベノマスクと嘲笑的に呼ばれている全国民に一世帯二枚のマスクを配布する、給付金として一人当たり10万円を与える、自粛のために被る損失に関連していくつかの種類の給付をする、事業経営を助ける融資の便宜を与えるといった施策がその代表例です。
それらの具体的内容の詳細は省略します。指摘したいのは、何か思い付きで、実施のための十分な検討を加えたのかという疑問が次々と投げかけられたことです。どの給付も実際に受領できるまでに面倒な手続きを経ねばならないし、実現までに時間がかかりすぎる、多額の予算を支出しているのにその効果が疑わしい、税金の無駄使いと誰の目にもうつるやり方をしているなどといった指摘がたびたびなされています。
たとえば、一人当たり10万円の給付という施策をとりあげることにします。4月の決定以来2か月ほどを経てもいまだ支給が完了していないし、マイナンバー方式を利用しようとしたら機能せず、郵送に切り替えたため自治体職員はそのための労力を想定外に費やす必要があり、支給額に目下の生活にとってありがたみを感じる層と、はした金にすぎない層との間の格差が大きすぎるなど、批判的指摘がかなりなされています。
以上、代表的な欠陥例をあげましたが、これらを総合して、政府は、バタバタしていて何ら有効な施策を実施し実現していないとの評価がなされていることは、広く知られていて、ここで繰り返すのがむなしいことです。
以上のように、対応策の効果が上がっていないにもかかわらず、爆発的感染の拡大や死者の増加を生じていないことについて、それがなぜかと問いたくなります。しかし、その答えとして、そこに働いている主たる要素を的確に示している者はいないようです(注3)。認められるのは、献身的な尽力を示している自治体の長の活躍ですが、それが結果を生んでいるとまでは言い切れません。これは、貴重な経験だとして、記憶にとどめ、今後の発展に役立てるべきだとはいえます(注4)。
(注3)手洗いうがいがよく浸透している、マスクをする習慣がある、衛生管理が徹底している、権力に対する反抗・抵抗が顕著でないといったことをあげて、日本人を美化する見解がありますが、コロナウイルス感染拡大を防いでいることの説明としては十分ではないようです。
(注4)本欄でも、後に、自治体の注目すべき役割としてとりあげることにします。
科学者、感染症専門家などの説くところでは、新型コロナウイルスを撲滅することは不可能で、これから先ずっと対応していかなければならないそうです。今回のパンデミック(世界的大流行)は、一応抑えられたといえても、まだ有効なワクチンや治療薬が開発されていないし、集団免疫ができていないから、この先しばらくの間は、対策をつづけなければならないと警告が発せられています。その対策は、今回、政府がとった自粛に委ねるといういい加減なものでなく、科学者・専門家による行政への政策の提言を受けて法制度化したものでなければなりません(注5)。
(注5)今回の事態に対応して、本庶佑、山中伸弥、大村智のノーベル賞受賞者をはじめとする幾人かの科学者、専門家がマスコミを通じて、注目すべき識見を披露しており、このようなことは、めったにないことだといえます。
今後に設ける法制度は、今回の体験を基にして、効率性、迅速性、信頼性といった要素が十分盛り込まれていなくてはなりません。コロナウイルスの抑え込みのみを重視した法制度ならば、中国を見習えばよいでしょう。しかし、日本は、憲法のもとに発展してきている議会制民主主義の国ですから、徹底した議論を経て、そのような制度要素を備えた仕組みを構築せねばなりません。今回の新型コロナウイルス感染防止の戦いには、憲法秩序の形成にとって貴重な体験をしていることを繰り返し指摘しておきます。
緊急事態は、一応解除されましたが、第2波、第3波の感染のおそれはしきりに予告されています。これまで馴染んできた憲法・法秩序は、影が薄く、新たな様相のものに作り変えねばならないようです。しかし、本欄でたびたび指摘しているように、改革志向とはいえない全体の雰囲気においては、その期待に希望がもてないようです。
■筆者後記
冒頭の写真は、散歩中に目にした雑草の花ですが名前は知りません。世の中は、依然としてコロナウイルス感染で落ち着かないのに、この春の草花は、静かに道端で咲いていました。
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●著書等
『プレップ憲法(第4版)』(弘文堂、2016年)、『憲法』(弘文堂、2015年)、『論点体系 判例憲法1~3 ~裁判に憲法を活かすために~』(共編著、第一法規、2013年)、『憲法訴訟 第2版』(有斐閣、2008年)、『憲法判例(第8版)』(有斐閣、2018年)、など著書論文多数。
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