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憲法・国法秩序について (第40回・最終回)

学習院大学名誉教授 戸松秀典

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1 第40回の節目

 今回は、40回という節目になるので、連載内容を振り返りながら、本欄で筆者が示したかった意図を確認しておきます。

 そもそもの出発点は、憲法改正論議が政治世界や社会で盛んになっていて、それとの関連で、憲法研究者として何か語ろうとしたことです。ただし、憲法改正論議に正面から立ち向かつもりはありませんでした。

 マスコミで取り上げられていた改正論議は、私にとって理解できない内容だからです。たとえば、日本国憲法は、第二次大戦後の占領勢力に押し付けられたものだから、自主憲法制定のために改正するという主張についてです。

 押し付けられたと受け止めるかどうかはともかく、現時点では、70年余の憲法秩序が形成されていて、それが憲法のもとに存在している日本の国法秩序ですし、それをいまさら否定したり否認したりすることは、意味のないことですからできません。しかも、現在の通用している憲法・国法秩序は、70年余のほとんどを仕切ってきた自民党およびその前身の保守系政党が形成してきたのですから、自己否定の主張のようにみえます。

 このように、政権担当与党が憲法改正を主張し、それも全く実現できなくて今日に至っているのですから、世界でも例のない奇妙な現象です(注1)。

(注1)この説明に対する反論がいろいろ登場することは承知していますが、再反論を加えるなどの作業は意義がないので、止めておきます。ただし、現時点で、日本国憲法の規定の中に改正が必要なところがあることについては、これまでの本欄でふれています。

 このような状況に対していちいち論議を加えるよりも、現実の憲法・国法秩序について、日常生活における一般人に向けて、つまり法研究者、法律家、あるいは政治家を相手とするのではなく、ゆるやかに考えてみようとしたのが本コラムでのねらいでした。そこで、「散歩をしながら考える」という副題を付し、それだけではうまくいかないと感じた時、「散歩の後で考えるという」修正を付加しました。

 そもそも憲法問題としてとりあげるとき、そこに憲法についてだけ検討すればよいなどということはほとんどの場合ありません。ある法的紛争を裁判所に持ち込み解決をしようとするとき、憲法上の争点のみを裁判してもらおうとしても通らないことを承知しておくべきです(注2)。そこで、憲法・国法秩序という広い視野で考えようとしたわけです。

(注2) このことを簡略に説明する余裕が本欄にはないので、私の著作をあげて、それを参照していただくことにします。戸松秀典・憲法訴訟第2版(有斐閣 2008年)、同・プレップ憲法訴訟(弘文堂 2011年)。

 本欄で取り上げたテーマは、誰にとっても考えていただける普通の、身近な、あるいは、特別な知識を必要としないことだと思っております。しかし、新型コロナウイルスの感染問題に出会い、デジタル化の急速な進展が求められている現状を目の前にして、憲法・国法秩序をゆったり構えて観察していることでよいのか気になっております。そのため、近接する数回の本欄では、コロナ禍にかかる問題やデジタル化の現状に目を向け、本欄の当初とはやや異なる雰囲気となってきています。

2 日本国憲法の70年余

 本欄での論述の姿勢を見直すために、日本国憲法の70年余の体験をしっかり振り返ってみる必要があると思います。しかし、そのような回顧をここで簡潔に行うということは、不可能ですし、無責任とさえいえそうです。そこで、ここでは、二冊の本を紹介し、読者の皆さんには、それを読んでいただくことを期待しつつ、私の抱いている日本国憲法の70年余のイメージを述べておくことにしたいと思います(注3)。

(注3) 本欄が「BOOKウォッチ」という企画に属するから、こういう方式は、望ましいといえるかもしれません。

 その本は、江橋崇著『日本国憲法のお誕生――その受容の社会史』(有斐閣 2020年11月3日)――これを、以下ではAとします――、および、谷口将紀=宍戸常寿著『デジタル・デモクラシーがやってくる――AIが私たちの社会を変えるんだったら、政治もそのままってわけにはいかないんじゃない?』(中央公論新社 2020年3月10日)――これを、以下ではBとします。

 Aは、書名から明らかなように、日本国憲法の誕生とともに、それがどのように受容されたかを描く書です。

 日本国憲法は、1946(昭和21)年11月3日に公布されると、「全国各地で祝賀行事が行われて、多くの人々が祝典に参加し、行事や余興を楽しんだ」とされ、「このころから新憲法の画期的な意義を説く解説、啓発の活動が盛んになり、・・・政府の普及、啓発活動がシャワーのように人々に降りそそぐようになった」と、この書のはじめに述べられています。そして、この新憲法の記念グッズ、啓発グッズの物品資料を改めてよく見ると、「そこに、今までの正史の説明では聞いたことのない日本国憲法誕生の真相が明らかになる」と、その書の狙いが示されています。

 大変興味深いのは、第1章から順に、解説とともに、新憲法普及啓発のグッズ、官と民との記念品、祝賀行事と解説のパンフレット、記念絵葉書や記念切手、記念映画のことなどが掲載されていることです。

 著者が憲法研究者であることは、ここで紹介するまでもないことですが、搭載された資料の収集能力がとりわけ優れていることは、A書から強く感じ取られるはずです。そして、最後の「第13章 日本国憲法制定の社会史」や「おわりに」から、著者の日本国憲法制定にかかる見解を知ることができるのですが、それに対する評価は別としても――私は、大いに評価していますが――、日本国憲法の、つまり憲法秩序の当初がどのようであったかを、素直に理解することができる書です。




写真は、江橋崇著『日本国憲法のお誕生――その受容の社会史』(有斐閣 2020年11月3日)



 Bは、日本国憲法に焦点を当てているわけでないことが書名から明らかです。その意味では、Aとは大きく異なる書のように思われます。しかし、副題が示すように、憲法秩序と密接なかかわりがあるだけでなく、広く憲法・国法秩序に問いかけがなされていることを推測できます。

 実際にページをめくると、第四次産業革命が政治をどのように変化させるかということに関心を向けていることを知ることができます。その第四次産業革命とは、これまでとは比較にならないほど偏在化しモバイル化したインターネット、小型化し強力になったセンサーの低価格化、人工知能(AI)、機械学習などによって特徴づけられる技術革新のことを呼ぶのですが、これは、もうA書が見ている70余年前では想像が全くできない変化です。

 本欄でも前回(デジタル化の改革 (第39回))にデジタル化に関心を向けましたが、技術面についての知識が筆者には不十分なため浅い分析にとどまりました。ところが、Bの著者の二人は、政治学者と憲法学者ですが、デジタル関連の技術革新について存分に語る能力をもっておられることをその書の中で知ることができます。

 また、二人の対談のみで終始しているのではなく、ネットニュースの情報分析、世論調査、選挙の専門家たちを招いての対談ですから、本欄で関心を向けている憲法・国法秩序の広い範囲にわたる論議が展開されているところに魅力があります。ただし、技術革新の大変化に対応できていない日本の政治の問題も厳しく指摘されているので、デジタル・デモクラシーが安易にやってくるわけでないことも考えさせられます。




写真は、谷口将紀=宍戸常寿著『デジタル・デモクラシーがやってくる――AIが私たちの社会を変えるんだったら、政治もそのままってわけにはいかないんじゃない?』(中央公論新社 2020年3月10日)



 以上の紹介した二冊の書から、日本国憲法の70年余について法秩序がめざましく変化を遂げていることを確認していただけると思います。そのようなことは言うまでもないことかもしれませんが、特に指摘したい様相があります。

 まず、憲法に基づいて政治を行うという立憲主義の原理は、それが根付かせる努力がA書での社会および政治世界でなされたのですが、その進展があまりみられず未熟なままで今日にいたっていることをあげなければなりません。先述の本コラムの出発時点においても、そのことが背景となっております(注4)。

(注4) 立憲主義をテーマにした著書や論文が多数登場していること自体がそれを裏付けます。ここでは、佐藤幸治・立憲主義について(左右社 2015年)を代表作品としてあげます。

 次に、本欄でもたびたび指摘しましたが、政治過程が世の変化に迅速に対応できず、「後れている」との批判がいろいろな分野でなされています。そのためどのような不都合が生じ、問題となるのかを、Bの書を見ることによってよく理解できます。

 さらに、これも本欄で触れていることであるし、現状分析をする論者が嘆いていることですが、日本の現在には、期待や希望が強く抱かれる風潮がなく、消極的で沈滞した雰囲気が支配していることです。

 AとBの書を読みながら、このようなことについて考えさせられます。

3 憲法・国法秩序の今後

 

以上のような憲法・国法秩序について認められるイメージに対して、今後、われわれはどうしたらよいのかとの問いかけをせざるを得ません。しかも、現在、新型コロナウイルスの感染問題をかかえ、対峙している問題が簡単に解決できるとは思われない状況では、深刻さが増すばかりです。しかし、そうした嘆きを発しているだけでは済まされないとの思いをもつことが重要です。いや、こういう論調は、筆者の好まないところです。そのような空虚といえるような発想でなく、現在到達している憲法・国法秩序にどのような改革をなすかの課題を具体的に摘出し、それに地道に対処していくしかないといえます。

 具体的な課題については、本欄でも、国会の参議院改革、地方自治のあり方の見直し、選挙運動の改革、平等社会の実現などと取り上げてきましたが、さらに、別の課題がいくつかあるし、とりあげたことにもさらに深めた分析と考察が必要といえます。


■筆者後記
 冒頭の写真は、冬を感じさせる赤い実の南天です。



■お知らせ

 戸松秀典先生の「憲法――散歩をしながら考える」は、第40回が最終回となります。読者の皆様、毎月ご愛読賜り、誠にありがとうございました。
 ご多忙の中、3年間にわたりご執筆を賜りました戸松秀典先生に、この場をお借りしまして、御礼申し上げます。



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■著者プロフィール


tomatsu_pf.png 戸松 秀典 憲法学者。学習院大学名誉教授。

1976年、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了(法学博士)。新・旧司法試験委員、最高裁判所一般規則制定諮問委員会委員、下級裁判所裁判官指名諮問委員会委員、法制審議会委員等を歴任。

●著書等
『プレップ憲法(第4版)』(弘文堂、2016年)、『憲法』(弘文堂、2015年)、『論点体系 判例憲法1~3 ~裁判に憲法を活かすために~』(共編著、第一法規、2013年)、『憲法訴訟 第2版』(有斐閣、2008年)『憲法判例(第8版)』(有斐閣、2018年)、など著書論文多数。

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