皇室をめぐる話題が何かと多い。天皇陛下の生前御退位の話や秋篠宮家の眞子さまの婚約問題・・・。テレビや雑誌がプライベートまで細かく報じるので、知りたくないことまで知ってしまうほどだ。
ところが戦前の皇室は、もっとベールに包まれていた。庶民が近づけない別世界。その一端を教えてくれるのが本書だ。「侯爵夫人・鍋島紀久子が見た激動の時代」と言うサブタイトルが付いている。皇族に生まれた母、鍋島紀久子(1911~89)の数奇な人生を、娘である著者の視点で描く。「中の人」による貴重な本だ。
抑制の効いた筆致で淡々と
本書の主人公は「侯爵夫人・鍋島紀久子」。朝香宮鳩彦(あさかのみややすひこ)王と、明治天皇の第八皇女富美宮允子(ふみのみやのぶこ)内親王の第一王女として皇族に生まれ、旧佐賀藩主家の鍋島侯爵家に嫁いだ。夫は鍋島家第13代当主の侯爵・鍋島直泰氏。
戦後は、華族令廃止によって一市井人になった明治天皇の孫――。優雅な暮らしぶりは当然だが、本書を読むと、様々な苦労も垣間見える。
全体は、「皇族に生まれて」「侯爵家に嫁いで」「侯爵家の四季」「戦火の下で」「戦後を生きる」の5章に分かれている。著者は抑制の効いた筆致で母や祖父など一族の思い出を淡々とつづるが、それぞれの章を拾い読みするだけで、そうだったのか、と驚くような記述が見つかる。
維新以来の悲願の表れ
例えば祖母の生母、小菊典侍(こぎくのてんじ=園祥子)について。母・紀久子は「小菊」と呼び捨てにしていたという。「小菊」は明治天皇の御側に仕え、何人もの御子をもうけた人だが、「(母は)あくまでも『使用人』と言う感覚だったのだろう」と記している。
「生まれた子の『母親』はあくまで正室であり、生母であっても、子供たちとは身分が違う」。それが当時の「側室制度」だったと説明している。
祖父はどうして明治天皇の内親王と結婚することになったのか。著者が祖父から聞いた話はこうだ。
「ある日、明治天皇の御召しで御前に伺うと、『お前に富美宮をやる』と。・・・有難くお受けするよりほかはないよ」
朝香宮家は旧皇族の中でも由緒ある家系。祖父はパリに遊学しており、日本での生活もフランス風を徹底していた。食事中でも急に「フランス語の動詞変化を言え」と命じたりして、母は時に涙をこぼしたことがあったという。「西欧の国々と対等につきあわねばならない」という維新以来の悲願の表れだったのだろう、と著者は見る。
釣りや麻雀を好む
母・紀久子は何度か引っ越ししているが、過去の住まいは1300坪とか、3500坪とか途方もなく広い。朝香宮家の白金の旧宅は戦後、東京都の庭園美術館にもなっている。
晩年は下田や大磯に暮らした。意外にも岩場での釣りが趣味だった。麻雀も好み、友人を泊りがけで誘って興じていたという。
夫の死後、次第に「老人惚け」になる。ちょっとした知り合いにやたら贈り物をする、お返しが来る、また贈り物・・・その繰り返しで相手が困り果てる。来てもいない人が来た、と話したり、お風呂に入ることを忘れたり。晩年は足が弱り、二階の寝室に上がるのも四つん這いだったという。
「母が亡くなった時、私は涙を流さなかった。悲しいとか、残念だとかいうより、ようやく母を見送った、という責任から解放された気持ちのほうが、強かったのかもしれない」
老親の介護を抱えた人なら、だれもが経験する厄介な日々――著者もまた無縁ではなかったことに妙な親しみがわく。