2017年1月、逮捕歴のある男性が検索サイトに表示される検索結果の削除を求めた裁判で、最高裁は削除を認めない決定を下した。一方、同年3月に最高裁は、GPS端末を捜査対象者の車などに取り付けて行う刑事捜査が裁判所の令状なく行われたことについて、捜査を違法と判断した。〈技術〉の発達は、人々の生活に便利さや快適さをもたらす一方で、自由や権利と衝突することもある。とりわけ、近年の情報技術分野の急速な発展によって、このジレンマは飛躍的に増大している。
そこで注目されるのが「アーキテクチャ」だ。アーキテクチャの定義は様々だが、さしあたり〈環境のコントロールにより人々の行動を誘導・制御する構造〉としておこう。「公園のベンチの真ん中に設けられている肘掛けなどの突起物は、浮浪者がそこに寝転べないようにするためのアーキテクチャだ」、「マクドナルドの椅子が硬いのは、客が長居するのを妨げて回転率を良くするためのアーキテクチャだ」――ややもすれば「都市伝説」ともとられかねないこうした話は、アーキテクチャとは何かを説明するのにおあつらえ向きである。
話はこうしたリアル・スペースのものに限らない。インターネット上のSNSは、人々のコミュニケーションの可能性を拡げる一方で、文字数制限等のフォーマットに収まらないコミュニケーションを排除する。また、そもそも私たちのほとんどは、専門の技術者が設計したプログラム・コードに従う形でしか、コンピュータを操作することができない。これらはいずれも、突起物のあるベンチに寝転べないのと同じだ。このように、サイバー・スペースの領域においても、リアル・スペースと同様の「アーキテクチャ」に溢れていることがおわかりいただけるだろう。
アーキテクチャは、法と同じように、人々の行動を無意識のうちに方向付け、あるいは規制する。それらの多くが人々の日常に溶け込み、その「自由」や「選択肢」を拡げていることには疑いがない。しかし、それは本当の「自由」なのか。GPSや監視カメラなどの〈技術〉は、それ自体は防犯など人々の役に立つ面もある。しかし、「共謀罪」をめぐる議論などに思いを致せば、それらが野放しにされることのグロテスクさは、容易に想像されるところだろう。
権利や自由を語ってきた法と法学は、アーキテクチャをどのように捉えればよいのだろうか。これに応えるのが、『アーキテクチャと法―法学のアーキテクチュアルな転回?』(2017年2月刊)だ。本書は、〈設計〉〈構築〉〈技術〉の高度化がもたらす社会において、法と法学がいかにアーキテクチャを飼い馴らし、いかに人間の自由と創造性に資する形でそれらを受容していけるかを、法哲学をはじめ憲法学、民事法学、刑事法学など幅広い視点から考察する。
第1章 「法とアーキテクチャ」研究のインターフェース
第2章 アーキテクチャの設計と自由の再構築
第3章 個人化される環境―「超個人主義」の逆説?
第4章 技術の道徳化と刑事法規制
第5章 アーキテクチャによる法の私物化と権利の限界
第6章 貨幣空間の法とアーキテクチャ
第7章 憲法のアーキテクチャ―憲法を制度設計する
第8章 [座談会]法学におけるアーキテクチャ論の受容と近未来の法
検索履歴に基づくターゲティング広告や個人のプロファイリングは、日本国憲法が想定する人間観との関係で問題はないのか? 自動運転車やロボットといった「モノ」が事故を起こした場合には、その設計者は罪を問われるのか、また問われるべきなのか? ビットコインなどの仮想通貨を「規制」するブロックチェーンといった〈技術〉は、従来の(主に国家による)「規制」のあり方とは根本的に異なるがゆえに、人々の「自由」のあり方にも変容をもたらすのではないか?――本書が投げかける多様な問いは、法と法学への課題にとどまらず、〈設計〉〈構築〉〈技術〉の高度化がもたらす社会で人間とはどうあるべきか、という根源的な問いにまでつながりうる。
AI・ロボット時代の到来、そして「シンギュラリティ」がまことしやかにささやかれるいま、法と法学に関わる全ての人に必読の一冊だ。
『アーキテクチャと法―法学のアーキテクチュアルな転回?』出版社の書籍紹介ページ