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パチンコ店の前で――生きる自由と生存権(第7回)

学習院大学名誉教授 戸松秀典

1 パチンコ店の前を通ったとき

 前回と同様、自由について考えることにします。といっても、自由に関して立ち入った哲学的考察をするのではなく、今回も、散歩をしながら目にしたことを契機にあれこれ思いをめぐらすだけです。しかし、国の法秩序の中で、あるいは、個人の人生において、無視してはいけない問題がからんでいるように思い、記しておきます。

 それは、久しぶりにパチンコ店の前を通ったときのことです。そこに人が出入りするとムッとたばこの煙が溢れてきて気分が悪いから、個人的には散歩のコースとしては避けたいのですが、何気なく通ったその時は、どこかで見たような高齢の男性がさみしい顔をしてのろのろと出てきたのが目にはいりました。何の成果もなく手持ちの金が消えたのだろうと勝手な想像をしたのですが、気になったのは、それが見覚えのある顔であったことです。

 その方は、しばしばその脇を通るときに見かけたことがあり、社会福祉施設に住んでいる人で、おそらく、無職のために生活保護費の支給を受けているのではないかと思っていました。これは、あくまで私の勝手な推測であり、その人に私が何か関わり合いがあるわけでもなく、またお節介をするつもりもありません。ただ、この出会いを機会に、新聞で読んだ記事のことが思い出されたのです。

 その記事は、比較的大きく扱われ、また、ネットのニュースにも載ったので読者の皆さんもご存知かと思いますが、「厚生労働省の行った実態調査によると、生活保護費受給者が支給金をパチンコや競馬などのギャンブルに使うことが多く、その約8割がパチンコに費やされる」(日本経済新聞2018年1月24日朝刊より)というものです。

2 生きる自由の限界

 生活保護法に基づく生活保護費の支給は、市町村の自治体が担当している行政事務ですから、その使い方が適切か否かを調べ、指導しているわけです。そこで、生活の維持のために使うべき金をギャンブルに使っていたら、何らかの処置をとる必要があってよいはずです。

 ところが、上記の記事にあるように、自治体は、使い方についての指導や助言をするにとどめ、一律に禁止したり、直ちに支給停止をしたりしていません。それは、人の生きる自由に関わるからだといってよいでしょう。つまり、自分のもっている金をどのように使って生きていくかは、そもそも自由であって他者にとやかくいわれないということです。

 ギャンブルといっても、公営の競輪、競馬、宝くじなどのように、自治体が行っていることですから、禁止することに説得力がないはずです。せいぜい支給金を基に自立した生活を過ごすことを損なうような使い過ぎをしないよう指導、助言することが適当だとされているようです(注)。

(注)ギャンブルで得た収入は、支給された保護費から差し引かれますが、収入申告がしっかりなされるわけではないから、実態は、複雑なようです。

 憲法上の根拠を示すまでもなく、人が生きていくことには自由が優先していて、国や自治体はもちろん、他者からの介入を排除するということになっています。これは、人権理念の根本です。しかし、このことには、前回確認したように、何らかの限界があり、生きる自由が完全無欠だとか絶対的で何の制約もないとはいえません。社会で暮らしていくには、具体例をあげるまでもなく、様々な制約があります。自己の能力だけで生きていくわけにはいきません。したがって、生きていく自由には、自己責任が強く求められ、他者からの支援に依存してはいけない、などということは、現実を無視した勝手なお説教だといわざるをえません。

 話を、生活保護費の受給に頼る生活の方にもどします。そして、生活保護に頼らずに生きる人がいることも考えたいと思います。私も、散歩中に、ごくたまにですが、ホームレスの人とすれ違うことがあります。

 生活保護費の受給者となるためには、住所を定めなくてはならず、それを嫌ったり、住居を得られなかったりしていることがホームレス生活の背景事情であると知る機会がありました。このように、生きる自由を満足のゆくように確保するためには、かなりの要件を充足する必要があり、その詳細をここで私が説明するまでもないことです。

 つまり、生きる自由には限界があるわけです。その限界に対して、憲法25条は、生存権の保障をして対応することになっています。

3 生存権の実現

 憲法25条は、国法体系(第3回参照)においては、大樹の幹ということができ、そこから伸びた枝葉が規定内容の具体的実現を表しております。生活保護法とそれに基づく福祉行政の実態を観察しようとすると、その枝葉をみるのと同様、大変複雑であり、多様です。

 つまり、25条の文言の解釈から論理必然的に具体的問題の解決方法が導かれるわけでありません。同条が保障している権利は、生存権であり、それが「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」であることは、よく知られているところです。

 しかし、何が健康で文化的な最低限度の生活であるかは、それほど簡単に示せない抽象的・相対的な概念であり、そのことは、誰もが認めざるをえないのではないでしょうか。

 さらに、生存権の保障を具体的に実現しようとして制定されている法律およびそれに基づいてなされている社会福祉行政について、一言では語れない複雑で困難な実態が展開されています。そこに、憲法にかかわる一研究者として、関心を抱いてきたのですが、いかなる憲法秩序が形成されていて、課題がどのように存在しているかについて、容易に説明ができない困難さを感じております。

 今回の散歩の話題が冒頭で述べたように、パチンコ店の前で見た人のことで始まっておりますが、これは、ずっと感じている困難さへの一つの刺激となったためであるわけです。

 生活保護の現状において、強い関心を向けるべき人は、社会における少数者であるといえます。しかし、そこには、生きる自由という根本価値へのかかわりがあることを語りたかったのですが、それについての何か有意義な解答を示すに至らなかったことを認めざるをえません。

生活保護の対象となっている者が国民の税金から出ているお金をパチンコに投じているとはけしからんことだから、保護費の支給を直ちに止めてしまえと罵倒する人は、正義を背負ってそう言っているつもりかもしれませんが、その自負を、生きる自由の根本に基づいて考え直してほしいわけです。しかし、この思いも、これでよいのかと反省させられます。憲法の人権思想は、こんな具合に単純ではないのです。

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■著者プロフィール


tomatsu_pf.png 戸松 秀典 憲法学者。学習院大学名誉教授。

1976年、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了(法学博士)。新・旧司法試験委員、最高裁判所一般規則制定諮問委員会委員、下級裁判所裁判官指名諮問委員会委員、法制審議会委員等を歴任。

●著書等
『プレップ憲法(第4版)』(弘文堂、2016年)、『憲法』(弘文堂、2015年)、『憲法判例(第7版)』(有斐閣、2014年)、『論点体系 判例憲法1~3 ~裁判に憲法を活かすために~』(共編著、第一法規、2013年)、『憲法訴訟 第2版』(有斐閣、2008年)など著書論文多数。

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