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みんなの広場――自由と規律(第6回)

学習院大学名誉教授 戸松秀典

1 散歩で目にする広場・公園

 前回は、平等問題の一端にふれたので、今回は、自由のことを考えることにします。憲法においては、自由と平等とが人権理念の基盤となっていますから、気楽に憲法問題を考えるにしても、そこから離れるわけにはいきません。

 そこで、私が散歩していて、あちこちで目にする広場・公園での様子から受ける感じをもとに、自由の意味を考えることにします。そこにいる人々は、自由を感じている、味わっている、要するに何かの拘束とか束縛を受けることなく楽しんでいるように観察できるので、今回のテーマとして適切だといえそうです。

 上掲の写真は、皆に開放されている広場で、冬の日差しを浴びてくつろいでいる風景の一例です。私の散歩の地は、世田谷区ですが(注1)、この写真のような広場が区により設けられ、管理されていて、公園と呼ばれており、私有地の広場とは区別されています。区民は、このような公園によって自由を享受しているといってよいと思います。それ故、世田谷区民は、恵まれているといってよいでしょう。

(注1)世田谷区以外の地におられる読者の方にとっても、ここで扱う自由の理念は、普遍的意味をもっており、以下に述べるように、限られた個人的問題を扱うわけでないことをお断わりしておきます。

2 公園の利用規則

 普段の散歩では、その公園の脇を通り過ぎるだけで、中に入ることはないのですが、孫たちがやってくると、そこで遊び相手となることがあります。ある時、孫の投げたボールを拾いに公園の隅まで行ったとき、そこにあった立札が目に入り、書かれている事項を読みました。立札の写真を貼付したので見て下さい。それは、管理者の世田谷区が利用者に向け発している注意書きというか警告といえるものだといえます。

そこには、全部で八つの事項がありますが、一番目と終わりの二つの事項は、主として子どもの利用者に向けての声掛けの感じがします。その他の五つの事項は、大人というか社会人や若者などが主たる対象者となっている警告だと受け取れることができ、いずれも禁止事項だと呼べそうです。したがって、楽しく過ごそうと思っている人にとっては、あまり感じの良いものとはいえないように思えます。

 また、バイクとは、オートバイのことか、自転車のことか、それともその両者を指すのかとか、野球・ゴルフ・花火等のあぶないあそびとは何を指しているのか、幼児用の柔らかいボールやプラスチック製のバットやゴルフスティックまでふくんでいるのか、無届の集会は、東京都公安条例違反だからここに記すまでもないことではないか、などとあれこれ考えました。しかし、このような思考は、法規定の文言の解釈をあれこれ行って批判がましい論述をする癖のある法研究者がやることで、通常の公園の利用者にはなじめないことといえそうです。したがって、私は、ここでこのようなことを述べて、立札に批判を浴びせるつもりはありません。

 その後、散歩のたびに注意していたのですが、この立札は、公園の隅や端に設置されていて、場所によっては風雨にさらされているためか、判読できないほど傷んでいる、子どもはもちろん付き添いの大人たちの誰も読んでいる姿をみたことがない、硬式球でのキャッチボールをしたり、ゴルフのクラブでスイングをしたり、あるいは物品の販売をしている大人なども目にしたりすることはないのです。つまり、公園で自由を享受している人々において、この立札は、当然のこととして受けとられていて、顕著な影響をもたらしていないようです。そうかといって、それが全く無用なものだというつもりはありません。そこに書かれていることに明らかに反する行為をしている場合に、公園の管理責任者である世田谷区は、違反者に対して、その立札を根拠に予め警告がしてあると主張できるからです。

3 自由と規律

 自由に公園を利用している様子をここでとりあげたことに対して、おそらくわざわざ憲法を考える材料とするほどのことではないのではないか、とのご叱責をうけることを覚悟しています。そのうえで、自由とは、このようにあえて問題とするほどのことでもない状態が基盤となっているといいたいのです。つまり、自由という観念は、それを西欧のfreedom, liberty, Freiheit, liberte(末尾のeは、eにアクサンテギ)などといった語を引き合いに出して説明する必要がないのです。また、自由は、近代国家に仲間入りした明治時代に入ってきた西欧の概念であり、日本にはそもそもなかったなどと大袈裟な説明をする学者の考えは無視してよいと思います。自由は、古くから今日まで、社会生活を営んでいる人々の心には存在していたのであり、公園を利用している人々は、わざわざ意識しなくとも抱いていることだととらえるのが適切です(注2)。

(注2)自由の確保・獲得のための闘いの歴史のことを意識しているが、ここではそれについて論じることが目的となっていない。

 それなのに、ここでとりあげているのは、この自由には、公園の立札が示しているように、常に制約を伴う、つまり規律なくして自由を享受できないということを認識したいからです。自由がその特定の内容について、制限されたり、禁止されたりすると、裁判所に訴えて救済を求める例は、憲法問題を扱う議論で登場してきますが、それは、自由には規律が伴うということが基本にあって、そこから展開する問題をいかに調整するかが議論の内容となっています。その調整方法に、難しい問題がかかわるのですが、それは、散歩中に考えていて解決できるほど易しいことではないので、ここで止めておきます。

 しかし、一言付け加えておきます。それは、散歩で目にする公園の様子について気になっていることがあるからです。それは、公園を楽しんでいるのが保育園や幼稚園の幼児、小学生、さらにその付添人や保護者などであるのに対し、老人・高齢者を目にすることが少ないことです。そして、高齢者が介護施設の自動車に乗っているのを目にすることの方が圧倒的に多いのです。西欧の公園風景を報じるテレビ番組では、老人たちがにこやかに、悠然と過ごしている場面が通常のようで、この違いはなぜだろうと考えています。高齢者は、自由を享受しているか、気にしています。

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■著者プロフィール


tomatsu_pf.png 戸松 秀典 憲法学者。学習院大学名誉教授。

1976年、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了(法学博士)。新・旧司法試験委員、最高裁判所一般規則制定諮問委員会委員、下級裁判所裁判官指名諮問委員会委員、法制審議会委員等を歴任。

●著書等
『プレップ憲法(第4版)』(弘文堂、2016年)、『憲法』(弘文堂、2015年)、『憲法判例(第7版)』(有斐閣、2014年)、『論点体系 判例憲法1~3 ~裁判に憲法を活かすために~』(共編著、第一法規、2013年)、『憲法訴訟 第2版』(有斐閣、2008年)など著書論文多数。

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