学習院大学名誉教授 戸松秀典
「憲法」は、英語でCONSTITUTIONですが、CONSTITUTIONALには、「憲法上の」という形容詞の意味のほかに「健康のための運動」すなわち「散歩」という名詞の意味もあります。私は、毎日散歩をするように努めていますが、いつもこの英語での憲法と散歩との連想が頭にあります。そこで、この連載でも、散歩をしながら憲法のことを考えるという設定のもとに語ることにします。
このようにするのは、日常でご多忙の読者に、健康のための運動・散歩をするつもりで読んでいただければと思っているからです。大学での講義や本欄とともに掲載される多くの憲法書とは異なり、なるべく身近なことを憲法にむすびつけて語り、ともすれば堅苦しく、深刻で、難解になりがちな憲法論議とならないように努めます。
散歩にはいろいろなやり方があります。計画的に決めた順路を行く、行き当たりばったりとまわる、やみくもに歩き疲れたら帰るといった具合に。私の性格としては、なるべく計画的にやる方を好むので、あらかじめ対象地域を簡略でも調べておくことにしたい。これは、散歩のための準備体操であり、散歩をしながら考える対象である憲法のおよその状況をみて心構えをつくっておくことです。
日本国憲法(以下では、しばしば単に「憲法」という)は、前文と103の条文で構成されている法律です。法律といっても国の基本法であり、そのもとに他の法律が制定されています。つまり、日本国の法秩序は、この多いとはいえない規定のもとに構築されてきたわけです。ただし、各条文の文言は、概して一般的で抽象的ですから、そこから具体的内容が論理必然的に生まれるとはいえないのです。憲法をめぐる論議が多様に展開されているのは、これが原因の一つであるといってよいでしょう。かつて、憲法の啓蒙(今日では啓発ということばが好まれます)の時期に、憲法条文をしっかり何度も読みなさい、そうすると素晴らしい内容であることがおのずから分かると説いた学者や評論家がいましたが、宗教の経典とは違うのだからそのようなことは嘘だと私は感じておりました。そういうわけで、準備体操として憲法の条文に目をとおすことはしないでおきます。
憲法の概容の把握としては、前文、天皇制、平和主義、人権保障、および統治機構に関する規定で構成されていることをまず頭に入れておけばよいでしょう。次に、そうした規定のもとに、定めの内容を具体化する実践活動が展開されて今日に至っていることをイメージしておく必要があります。そのうえで、現在存在している実践の結果、つまり実態に目を向けることが重要です。そこで、これから散歩をしながら目にしたり、実感したりするところについて考えていくことにします。その考えることのための予備知識を求めるつもりはありません。日本の社会は、受験社会であり、勉強して覚えこむことが求められ、多くの知識があることによい評価を与えがちです。しかし、私は、憲法については、それは好ましくない状況を生み出しているとみています。具体的には、次回以降で示して、読者の皆さんに考えていただくことにします。ここでは、試験科目から憲法を除くべきだとの、私が司法試験委員であったとき、雑談の中で提案したことを披露して、このことを皆さんに考えていただく最初の質問として掲げておきます。
憲法を資格試験の受験科目から外すことの是非についてはともかく、本欄で考える事項の候補から、天皇制と平和主義の規定のことを除くことにします。これらは、日本国憲法の特徴をなす重要な定めですが、私は、本欄で、冷静に、あるいは説得力をこめた論法で語る自信がないからです。たとえば、天皇制は、ずっと歴史を遡っての分析の必要性を無視できず、法的論議としては多様な要素を取り込まなければなりません。現今では、今上天皇の退位のご意向を、政府や国会は1年以上経ても実現できないでいることに、私は理解でない感情でいっぱいです。また、平和主義は、誰もが否認できない人類にとっての理想ですが、日本の政府がこれを積極的に実現する努力を怠っているように思え、これをどうしたらよいかの自分の見解を確立できていません。先日、散歩に出ようとした時、スウィッチを切ろうとしたラジオから、平和の反対語は戦争でなく、暴力というのが正しいと説く評論家の声が耳に入ってきました。その声が頭に残ったまま散歩していたら、その追究に浸る境地になれず、自分は哲学者にはなれないと悟りました。つまり、本欄でこれについて語る能力が私には欠けていることを白状せざるをえません。
次回から散歩に出ます。出るとき、足を運ぶ道について二つの選択肢があり、そのいずれも散歩にとって有益だと思っています。ところが国の政策決定をするために設けられている二院、つまり衆議院と参議院は、機能上どうみても有効ではないと思え、憲法改正は、まずこれについて行うべきと考えます。皆さんのお考えはどのようでしょうか。次回に考えることにします。
●著書等
『プレップ憲法(第4版)』(弘文堂、2016年)、『憲法』(弘文堂、2015年)、『憲法判例(第7版)』(有斐閣、2014年)、『論点体系 判例憲法1~3 ~裁判に憲法を活かすために~』(共編著、第一法規、2013年)、『憲法訴訟 第2版』(有斐閣、2008年)など著書論文多数。
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