学習院大学名誉教授 戸松秀典
憲法14条の定める平等原則は、これを社会で実現しようとすると、難しい問題を生み出すことが少なくない。その一端を以前の本欄でも扱ったので、今回も、それに関連させて考えることにします。
第5回の本欄では、男女平等の実現度合いが低いことを、女性の国会議員の数が世界の諸国の中でかなり少ないという例をもとに考えてみました(注1)。その後、女性議員の数を増やす対策が政治の場面で論議され、政党においては、クオータ制を導入して、男女の平等を実現しようとの対応策を提示するところもあります。それは、選挙に向けた立候補者中での男女の割合を決めておこうとする方式です。すなわち、従来のように男性候補者が圧倒的に多い状態をやめて、政党の推薦する候補者中の女性の数を増やそうとするものです。国によっては、男女同数とするところもあります。
(注1)それは、2017年の世界経済フォーラムによる男女平等ランキング(ジェンダー・ギャップ指数)で、日本は144カ国中、過去最低の114位となったことです。
このクオータ制は、平等原則を実現する積極的差別是正策とか積極的差別解消策(注2)と呼ばれているもので、西欧で始められ、日本に紹介されて採用しようとしている方式です。注意すべきは、それは、憲法14条の平等原則が求めている、あるいは命じていることかというと、そうではないことです。このクオータ制による平等の実現は、実質的平等の実現だといえますが、憲法は、形式的平等の保障をしているのであって、実質的平等を否認してはいないが、その実現を命じてはいないという理解がなされています。最高裁判所の判例においても、その理解が正しいことだと断言できます。
(注2)affirmative actionとかpositive actionと呼ばれている。
この理解のもとに検討しなければならないことは、積極的に差別を是正ないし解消するために、いかなるクオータすなわち割合が適切かということです。立候補者の数を、男女同数とするのか、当選議員の数について男女同数とするのか、あるいは、立候補者や当選者の割合について、そのようになることを努力目標にするにとどめるべきか、などといった方策が考えられます。しかし、それぞれについて、さまざまな意見が交わされ、誰もが納得する合理的方式といえるものとはいえないように思われます。
さらに、議員選挙についてだけ、男女平等の実現に向けたクオータ制を導入すると、ただちに他の要因との関連で、疑問が生じてきます。すなわち、少子高齢化の進んでいる社会だから男女だけでなく高齢者の割合も考慮にいれるべき、いや、外国人や永住権取得者あるいは一定年数を経ている外国人労働者についても、政治過程への参画の選挙権・被選挙権を導入すべきといった主張も予想されます。
このように、何が平等かということについて誰もが一致した意見となることは難しいといえます。クオータ制を取り入れることには、何らかの政策的要素がかかわってくるはずです。したがって、クオータ制の設定には、ある程度、女性の政治過程における地位向上に向けた覚悟ないし割り切りが必要なのかもしれません。また、近年、憲法14条が禁じている性別による差別が男女の別による差別だけを意味するわけでないことも考慮に入れなければならない状態になっています。そこで、次に、それについての考察をしたうえで、問題にかかわる難しさを検討することにします。
男女平等の問題は、もう少し広い概念を使うと、性の平等の問題です。そして、近年は、世界に視野を広げると、男女という性の概念を改めるべきとの考えが広まっています。すなわち、性的少数者(LGBT)に対する差別解消の問題についての論議がこれにかかわっております。そのLGBTとは、Lesbian(レスビアン)、Gay(ゲイ)、Bisexual(バイセクシュアル)、および、Transgender(トランスジェンダー)のことで、性的少数者とか性的マイノリティといった日本語が使われています。これら四つをLGBTという一言で語ることについて、性的指向と性自認・性同一性とを混同していて、正しい認識ではないとの問題指摘がなされております。ここでは、そのことに立ち入って考察するゆとりがないので、別の機会にそれを行うこととして、とにかく、性差別として従来から論議されていた内容には、男女の別がもっぱら前提とされていたことを改める必要があるとの指摘をしておきます。
実際に政治過程においても、性差別についての新たな認識のもとに、差別解消に向けた法律案が提示されていることに注目させられます(注3)。また、すでに、「性同一性障害者の性別の取り扱いの特例に関する法律」が制定されており、この法律は、Bisexual(バイセクシュアル)やTransgender(トランスジェンダー)に該当する人に対し、法令上、性別の取り扱いの特例をすること求めています(注4)。
(注3)「LGBT差別解消 日本も論争 野党が法案提出へ」との新聞記事(日本経済新聞2018年11月20日)を参照。
(注4)なお、性同一性障害者ついては、その法律の2条が「生物学的には性別が明らかであるにもかかわらず、心理的にはそれとは別の性別(以下「他の性別」という。)であるとの持続的な確信を持ち、かつ、自己を身体的及び社会的に他の性別に適合させようとする意思を有する者であって、そのことについてその診断を的確に行うために必要な知識及び経験を有する二人以上の医師の一般に認められている医学的知見に基づき行う診断が一致しているものをいう」との定義付をしている。
さて、LGBTに対する差別解消を目的とした法律の制定といっても、国や地方自治体の責務、企業における採用、解雇、配置転換における差別禁止、行政の企業に対する指導や勧告、個人情報の扱い方などについて定めることになりますが、それによって差別解消が顕著に進行することが期待できるわけではないと思われます。たとえば、同性カップルのパートナー制度が渋谷区をはじめ世田谷区など全国のいくつかの自治体で採用されていますが、これに対する反対や嫌悪が唱えられていて、国レベルで法制度化されるには、相当の時間と論議が必要のようです。そこには、女性議員を増やすためのクオータ制の導入の場合と同様の、いやそれ以上の困難さが伴うようです。したがって、フランスなどの西欧で合法化された同性婚や同性カップルの養子を日本でも導入しようとしても、それが政治過程や司法過程で容易にみとめられないことは予想できます。第13回のこの欄でとりあげた夫婦別姓の問題に照らし合わせて考えれば、このような展望をせざるを得ないでしょう。
そこで、次に、日本では、性差別解消の道がなぜ険しいのか、考えてみます。
以上でみた性の平等問題において、共通した性格を指摘することができます。それは、問題の発端が日本の社会での自主性に基づくというよりも、西欧での展開を見て、それに刺激されて議論するようになっていることです。したがって、差別解消策も、先行する西欧で採用されたものを導入しがちとなります。これが駄目だと言っているわけではないのですが、問題の所在を自主的に認識していないためか、解消策の有効性についての説得力が欠けるように思われます。
たとえば、同性愛については、西欧のキリスト教文化において、歴史上古くから論議されていて、とりわけ、インテリ層の間で積み重ねられてきた高度な議論は、注目され刺激を受けるものだといえます。そのためか、日本の同性愛者の団体は、西欧の同性愛者による魅力的な論述を翻訳して語っていることを知り、何だか自らの心の内から生まれた主張、意見ではないように私は感じたことがあります。
また、問題の所在を自主的に認識していないと述べましたが、近年では、欧米の動向に刺激を受け、ゲイであることを明らかにして行動するようになっています。ただし、テレビ番組で活躍する人のことを通してゲイを知るのでは、認識として疑問だと思います。ゲイをカミングアウトした人が体験に基づいてLGBTについて語っているところからは、認識を強めると感じています(注5)。
(注5)たとえば、東京都人権啓発センター発行の「TOKYO 人権 Vol.79」(2018年秋号)に掲載の「インタビュー 田亀源五郎 『正しさ』より『誠実さ』で向き合う――他人の幸せを尊重できる自分に」から、私は認識を深めました。
さらに、国によって、個人の尊重ないし人の保護についての発想に違いがあることにも、注目せねばなりません。たとえば、首都圏の通勤電車では、痴漢対策のため、女性専用車両を用意していますが、被害に合う女性を保護するためにはこの方策はおかしくないと思われているはずで、目立った異論を見ていません。しかし、先日ラジオを聴いていたら、イギリスでは、女性専用車両を設けることは、女性保護のための性犯罪対策ではなく、性犯罪者という少数者のために、女性が自分の望む車両に乗れない不自由をもたらしているとの厳しい反対意見が投じられ、実現していないそうです。これを聞いて、日本との考え方の違いを感じました。
こういう話をし始めると、差別意識についてのいろいろな相違点にふれることになりそうですが、それを止めて差別解消策にかかる論議に戻ります。そして、ふれておかねばならないことは、導入する策がマイナス面を伴うということです。
クオータ制については、当選した女性議員が活躍する過程で、公選による議員としての尊敬でなく、クオータ制の恩恵により得た議員の地位であるとの差別的扱いを受ける事態が予想されます。そこで、そのような差別を受けることを覚悟し、排除する勇気をもてるかという問題がそれです。クオータ制の議員とのレッテルを貼られても、それを排除する自信をもたないかぎり、せっかく導入した積極的差別解消策も負の遺産となりかねないのです。以前のコラムでも、平等社会の実現のためには、社会の人々の意識が変わらなければならないことを強調しましたが、今回もそれを繰り返します。
異質なことに対して、人は、それを嫌ったり、排除したり、無視したりしようとします。LGBTについては、まさにこれが原因で差別を生むのではないでしょうか。そこで、差別解消のためには、異質なことを理解することが必要です。
ここまで述べてくると、通常の憲法に関わる論議から離れているように感じ取られているのではないかと思っています。しかし、平等原則が実現された社会を築くためには、以上のようなことにも考えを及ばさなければならないと思っています。
●著書等
『プレップ憲法(第4版)』(弘文堂、2016年)、『憲法』(弘文堂、2015年)、『論点体系 判例憲法1~3 ~裁判に憲法を活かすために~』(共編著、第一法規、2013年)、『憲法訴訟 第2版』(有斐閣、2008年)、『憲法判例(第8版)』(有斐閣、2018年)、など著書論文多数。
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