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言論の自由の限界――ヘイトスピーチ (第17回)

学習院大学名誉教授 戸松秀典

1「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」とヘイトスピーチ

 今回は、憲法21条が保障する言論・表現の自由について、最近抱えている少々難しい問題をとりあげることにします。

 まず、ここに掲げた「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」とは何のことか考えてみます。ヘイトスピーチについて多少の知識がある人は、これをいわゆるヘイトスピーチ対策法あるいは同規制法とか同解消法と呼ばれる法律で使われている用語だと指摘するかもしれません。しかし、それがヘイトスピーチと同じ概念かというとそうではないとの意見が出るでしょう。そこで、その用語の意味について検討しなければなりません。

 ヘイトスピーチ対策法などと呼ばれている法律は、正式名を2016(平成28)年5月に制定された「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」のことを指します。このように長い名称であるため、よくなされるように短縮した名称が用いられるのですが、この俗称が正確さを欠くと指摘されるのです。その指摘の意味を知るために、この法律の2条が次のように定義づけをしているところに注目します。すなわち、この法律における「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」とは、「専ら本邦の域外にある国若しくは地域の出身である者又はその子孫であって適法に居住するもの(以下この条において「本邦外出身者」という。)に対する差別的意識を助長し又は誘発する目的で公然とその生命、身体、自由、名誉若しくは財産に危害を加える旨を告知し又は本邦外出身者を著しく侮蔑するなど、本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として、本邦外出身者を地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動をいう」と定めています。この定義は、差別的言動を許さないことを核としているのですが、その言動の対象者を本邦外出身者やその子孫で適法に居住するものとしており、在留期間を過ぎている外国人や難民認定申請者、アイヌ民族などへの差別的言動が許されることになるのかという批判がなされています。

 この法律の目的は、その前文にうたわれているように、本邦外出身者に対する不当な差別的言動が許されないことを宣言するとともに、更なる人権教育と人権啓発などを通じて、国民に周知を図り、その理解と協力を得つつ、不当な差別的言動の解消に向けた取組を推進することであって、差別的言動の発信者に対する制裁や具体的対応策を規定しているわけではありません。したがって、対策法、規制法、あるいは解消法といった呼び方も、法律の内容を正確に反映しているとはいえませんし、ヘイトスピーチという名称を付けることも疑問だといわれます。

 ヘイトスピーチとは、「人種・民族・宗教・性的指向等を指標としたマイノリティ集団に対する敵意や憎悪を表す表現」(注1)と定義されて説明されているのですが、これに照らしてみると、上述のように、その法律は、対象が狭くなっているし、ヘイトスピーチ対策法が目指すべきところが欠けていると批判されています。

(注1)安西文雄=巻美矢紀=宍戸常寿・憲法読本第3版(2018年 有斐閣)150頁(宍戸執筆)

2 ヘイトスピーチ対策法

 ヘイトスピーチという語は、英語のhate speechですが、訳語として「憎む言論」とか「憎悪言論」あるいは「憎悪表現」が使われたことがあります。しかし、それですと本来の意味が誤解されるおそれがあり、現在では、ヘイトスピーチとして使われています。ただし、上で示した定義を念頭に置かないと、その意味が理解できません。特に、個人でなくマイノリティ集団に対する言動であることが重要な内容です。

 また、ヘイトスピーチという語が日本固有の、あるいは従来からの社会での現象を体現しているというより、プライバシーとかLGBTと同様、日本の外からもたらされた概念です。もちろん、その意味内容に該当する状態が日本の社会に存在しています。したがって、ヘイトスピーチに対処することを内容とする1966年の国際人権規約や1965年の人種差別撤廃条約に加わることを承認しています。ただし、後者の人種差別撤廃条約については、その4条でヘイトスピーチを犯罪として処罰することを当事国に求めているので、日本は、その規定の批准を留保しています。上で見た法律が差別的言論に対する具体的かつ積極的制裁を定めていないのは、このことが根底にあります。 そこで、日本では、諸外国で取り組んでいるようなヘイトスピーチ問題が存在していないのか、あるいは、同様な問題があるにしても、独特な事情があるのか、検討してみる必要があります。言い換えると、上記の法律の3条で、「国民は、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消の必要性に対する理解を深めるとともに、本邦外出身者に対する不当な差別的言動のない社会の実現に寄与するよう努めなければならない。」と定めており、このような基本理念をうたうことにとどめておくのでよいのかという関心がもたれます。

 そこで、諸外国でのヘイトスピーチ状況を見る必要がありますが、ここではとりあえずアメリカのKKKの例をあげることにします。映画や小説などに登場するので、よく知られていると思いますが、それは、「クー・クラックス・クラン」の略称で、オカルト的な要素を持つ秘密結社です。この団体の活動は、黒人差別が中心のようですが、カトリック、ユダヤ、同性愛にも差別的で攻撃的な立場をとって、白人の優位性を唱えております。このKKKの差別的言動は、急進的であり、社会に恐怖をもたらすので、犯罪として規制する必要性は認められるといえそうです。

 これに対して、日本の社会でのヘイトスピーチといえる問題状況は、性格が同じだといえないのかもしれません。いや、近年問題として取り上げている論議を参照すると、上記の法律は、日本的法秩序形成過程における脆弱性を反映しているにすぎないというべきかもしれません(注2)。

(注2)ここでは、法学セミナーが3回にわたって特集を掲載した記事をあげておきます。すなわち「ヘイトスピーチ/ヘイトクライム 民族差別の被害の防止と救済」法セ2015年7月号、「ヘイトスピーチ/ヘイトクライムⅡ 理論と政策の架橋」法セ2016年5月号、「ヘイトスピーチ/ヘイトクライムⅢ ヘイトスピーチを止められるか」法セ2018年2月号。

3 ヘイトスピーチを規制することの是非

 ヘイトスピーチを規制することについては、憲法21条が保障する言論・表現の自由を侵害するのではないかという問題を検討しなければなりません。これに関する議論は、大変多く登場しており、そのこと自体が問題の難しさを表しています。また、ヘイトスピーチに宿る差別意識は、存在しつづけており、解消することができないのはなぜかという問題もそこに伴っています。

 まず、言論・表現の自由の侵害問題については、この自由が人権のなかでもとりわけ高い価値を認めるべきとしても、絶対的ではなくその限界があることは否定できません。刑法では、名誉棄損罪、侮辱罪、脅迫罪など言論・表現に関して刑罰を加える規定をおいているし、民法では、不法行為として損害賠償請求を行使して救済できるようになっています。ただし、それらは、特定の個人に対する法的救済の制度ですが、ヘイトスピーチについては、差別的言論の被害者が不特定であったり、確定まではできない集団であったりすることが特徴で、従来の制裁や救済の制度が対象としていなかったことです。

 日本で実際に起きたヘイトスピーチ事例としては、川崎市で起きた事件があります。それは、在日韓国人女性に対してヘイトスピーチの言動をしたとして、デモを主催した男性に対して同様の行為をしないようにと、法務省が2018年8月1日付けで勧告した事件です(注3)。これは、その後、裁判所によるデモの禁止処分が出されたので(注4)、かなり注目されています。

(注3)日経新聞2016年8月3日朝刊参照。
(注4)川崎市のヘイトデモ禁止仮処分命令事件・横浜地川崎支決平28・6・2判時2296号14頁(戸松=初宿・憲法判例第8版Ⅲ-4-58参照)。また、京都の朝鮮人学校の事件に対する京都地判平25・10・7判時2208号74頁、大阪高判平26・7・8判時2232号34頁も参照。

 そこで、その事例の事実を紹介したいのですが、困った問題に出会います。それは、そこで問題とされているヘイトスピーチの内容を具体的に示そうとすると、ヘイトスピーチの発信者の意図を手助けすることになるのではないかという懸念です。憎しみに満ちた、あるいは迫害を意図した言論内容を詳しく紹介すれば、発信者は満足するが、被害者層は不快の念を深めることになります。もちろん、事例の詳細を伝えることは、言論・表現の自由の許容するところだとの主張も無視できません。

 この困難な問題は、ヘイトスピーチに刑罰を科すことの正当性が何であるかを問うことに関わり、また、言論・表現の自由の限界を納得のいく論理で説明できるかを探ることでもあります。私は、この問いをずっと考えていますが、結論を得ていません。いくつかの論者の説についても、納得しておりません(注5)。読者の皆さんも検討してみて下さい。

(注5)多くの文献をここであげる余裕がないので、一点、ジェレミー・ウォルドロン著(谷澤正嗣=川岸令和訳)・ヘイト・スピーチという危害(2015年 みすず書房)をあげておきます。

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■著者プロフィール


tomatsu_pf.png 戸松 秀典 憲法学者。学習院大学名誉教授。

1976年、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了(法学博士)。新・旧司法試験委員、最高裁判所一般規則制定諮問委員会委員、下級裁判所裁判官指名諮問委員会委員、法制審議会委員等を歴任。

●著書等
『プレップ憲法(第4版)』(弘文堂、2016年)、『憲法』(弘文堂、2015年)、『論点体系 判例憲法1~3 ~裁判に憲法を活かすために~』(共編著、第一法規、2013年)、『憲法訴訟 第2版』(有斐閣、2008年)『憲法判例(第8版)』(有斐閣、2018年)、など著書論文多数。

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