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誰が憲法上の価値を決定するのか (第29回)

学習院大学名誉教授 戸松秀典

国会議事堂

1 司法的統制

 前回の本欄では、内閣総理大臣の権限についてその特性を語ったのですが、その際、同大臣の解散権の行使について、司法権による統制が否認されていると述べました(注1)。これについて少し説明をしておかねばと思いながらも、そのままで済ましてしまったので、今回は、そのことから始めたいと思います。

(注1)前回の注(2)参照。

 まず、司法権は、具体的紛争について法規を適用して解決する権限であり、裁判所がそれを有しています。この抽象的な定義づけについて説明してしっかりと理解してもらおうとすると、法的専門領域に立ち入ることとなり、本コラムの雰囲気になじまないといえます。そこで、その定義を基とした司法権の一般的理解を前提として、上で言及した「司法権による統制が否認されている」こと、言い換えれば司法的統制の否認の意味を考えることにします。それも、実際の訴訟事例を取り上げて考えていくことにします。

 それは、苫米地(とまべじ)という名前の議員が提起したことから苫米地訴訟と呼ばれている事件の裁判例です。その訴訟では、当時の吉田内閣による1952(昭和27)年8月の衆議院解散(注2)について、同議員が、それが憲法違反であり、無効だとの判断をするよう裁判所に求めました。そこには訴えの仕方にかかわる紆余曲折があるのですが、それはともかく、ここではいきなり最高裁判所が下した1960(昭和35)年の判決(注3)に注目することとします。

(注2)それは、憲法69条の定める内閣不信任案可決に基づく解散でなく、憲法7条に基づき「抜き打ち解散」と呼ばれた。
(注3)最大判昭和35・6・8民集14巻7号1206頁(本欄で紹介している戸松=初宿・憲法判例第8版のⅥ-21を参照)。

 最高裁判所は、違憲・無効と判断すべきとの主張に対して、次のように答えています。

 「直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為のごときはたとえそれが法律上の争訟となり、これに対する有効無効の判断が法律上可能である場合であつても、かかる国家行為は裁判所の審査権の外にあり、その判断は主権者たる国民に対して政治的責任を負うところの政府、国会等の政治部門の判断に委され、最終的には国民の政治判断に委ねられているものと解すべきである。」

 これは、要するに、司法権の担い手である裁判所として憲法判断をせず、憲法上容認するか否かの判断を政治部門に委ねるとしています。言い換えると、内閣総理大臣の解散権の行使についての法的有効性に対しては、司法権が関与しないとしているのです。このことを念頭において、前回、内閣総理大臣の解散権の行使について、司法権による統制が否認されていると述べたのです。

2 最高裁判所と憲法判断

 内閣総理大臣の解散権行使に対しては司法権によるコントロールが及ばないとする判例法が以上のように形成されたのですが、それは、以後変更されることなく維持されており、確立した憲法秩序だといえます。そこで、内閣総理大臣の解散権は、司法権による介入なく行使されるとして、それ以外の憲法上の価値内容(注4)について、そもそも誰がそれを決定するのかという関心が生まれます。これに対しては、通常、日本国内の法秩序の最終的決定は司法権に委ねられており、それ故、日本は司法国家だと呼ばれていますから、以上でみた例は例外であって、ほとんどの場合は、司法権の担い手である裁判所が判断し、決定するのだといえます。

(注4)憲法は、そこに定められている内容が国の法や政治にかかわる価値の体系だといえます。

 この説明は、憲法81条に注目すれば明らかになります。その規定は、「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則、又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」としています。つまり、この規定によると、司法権の担い手である裁判所が憲法価値の決定者であり、最高裁判所はその最終決定者だとしてよさそうです。しかし、上で確認したように、苫米地訴訟では、最高裁判所がその役割を回避して、政治部門の裁量、すなわち政治部門独自の自由な判断と決定に委ねています。そこで、これと同様に、衆議院解散権のほかにも憲法価値の決定を裁判所以外の国家の機関に委ねることがあるのか調べておく必要があります。この調査を法学専門家でなく通常の人に求めることは適切でないので、憲法研究者である私が把握していることをなるべく簡略に示すことにします。

 まず、81条の定める裁判所の権限は、一切の法律、命令、規則、又は処分についての合憲性を審査する役割であり、アメリカで誕生した司法審査(judicial review)を導入したものです。そして、日本国憲法制定時の政治的雰囲気を背景として、この権限を、違憲立法審査権とか違憲審査制と呼ばれることが多かったといえます。この呼称のためか、最高裁判所が違憲の判断を下すか否かについて関心を呼び、その例が少ないことに学説上の非難が登場してきました。それが適切か否かは別として、81条のもとでは、立法権や行政権の行為に対して憲法に適合しているか否かを判断する権限が定められていると理解するのが正しいといえます。したがって、裁判所は、この司法審査の権限を行使して、合憲、違憲、あるいはそのどちらかを判断する必要がないといった裁判をすることになるわけです。

 そこで、実際には、内閣の行政権のほかに国会の立法権の裁量に合憲性の判断を委ねることが少なくないのです。このコラムでは、「民法750条の夫婦同氏制の合憲性 (第13回)」において、立法裁量の法理によって最高裁判所が訴訟を処理していることをみました。
 こういうわけで、最高裁判所が司法審査の権限を行使して、積極的に憲法価値の内容を決定しているとはいえないのです。また、立法、行政、司法の三権のうちのどこかの権限主体が優先的に、あるいは支配的に憲法価値の内容を決定しているともいえないのです。

3 憲法上の価値の決定の判断になぜ従えるのか・・・正当性の根拠

 以上の考察から、憲法上の価値の決定者が誰かについて、固定して、あるいは確定して答えることはできないといえそうです(注5)。

(注5)ただし、憲法問題の性格に対応して、ある程度のルール化をみることができます。その具体例は、今後の本欄で語ることにします。

 そこで、次に、憲法価値の判断、決定をする主体は、その正当性をどこに求めるのか、と問いたくなります。別の言い方をすると、示された憲法上の価値の具体的内容について、なぜわれわれは従わなければならないのかと問う必要がでてきます。

 その答えを、立法権と行政権の担い手である政治部門については、次のように述べてよいと思われます。すなわち、いずれも、国民の代表者として国民の信託を受けて活動している、あるいは、国民全体の奉仕者として活動しているといった具合に、その正当性の根拠を民主主義の理念に求めることができます。国民は、選挙を通じて、政治部門のなした政策決定に対して、賛否の意思を示すことができます。このことがよく機能しているかどうかは、民主主義の成熟度合いを示しています。

 これに対して、司法権については、同様な説明ができません。それは、司法権の担い手である裁判官は、国民から選出されているわけでないからです。違憲・合憲の判断の正当性の根拠を国民の意思に直接求めることができません。しかし、最高裁判所は、立法権や行政権のなした判断・決定に対して、国民がそれを受け入れるかどうかを検討することはできます。それ故、自らの合憲・違憲の判断が国民に受け入れられるものか否かの慎重な判断をしているはずだと説明できます。すなわち、司法権の判断にも国民の意思が直接ではないが、厳しく働いているといえます。国民が受け入れない司法判断ならば、国法秩序は、乱れたものとなり、法治国家ではなくなります。

 結局、憲法価値の最終決定者は国民だというべきです。上でみた苫米地訴訟判決において、最高裁判所は、「最終的には国民の政治判断に委ねられている」と説いているところがこれを示しています。しかし、この結論は、簡潔すぎて、もっと立ち入った説明が必要だといえます。それは、本欄の今後で行うことにしたいと思っております。


■筆者後記
 今回は、これまでより少々固い話となりました。それは、最近の世の情勢に刺激されているからです。すなわち、読者の皆さんも感じているように、資本主義の経済動向が世界的に急変しており、自由主義や民主主義について従来から受け止められていた理念内容が変容したり後退しております。そのため、憲法価値の具体的内容も再検討しなければならないようです。今回の結論めいたところがそのままでよいのか懸念しながら述べてみた次第です。今後、急激な変化の様相をなるべくとりあげ、考えていきたいと思っております。

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■著者プロフィール


tomatsu_pf.png 戸松 秀典 憲法学者。学習院大学名誉教授。

1976年、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了(法学博士)。新・旧司法試験委員、最高裁判所一般規則制定諮問委員会委員、下級裁判所裁判官指名諮問委員会委員、法制審議会委員等を歴任。

●著書等
『プレップ憲法(第4版)』(弘文堂、2016年)、『憲法』(弘文堂、2015年)、『論点体系 判例憲法1~3 ~裁判に憲法を活かすために~』(共編著、第一法規、2013年)、『憲法訴訟 第2版』(有斐閣、2008年)『憲法判例(第8版)』(有斐閣、2018年)、など著書論文多数。

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