学習院大学名誉教授 戸松秀典
イギリスといえば、議院内閣制のお手本の国だと、通常は受け止められています(注 1)。ところが、最近の報道では、EUからの離脱問題をめぐって、内閣の長であるジョンソン首相は、その意図どおりに離脱策を進めていないことがしきりに伝えられています。行政府が日本と同じ制度なら、首相は、下院(日本の衆議院にあたる)を解散して、国民からのEU離脱支持を得て、前進できるのではないかと想像してしまいます。しかし、そのようになるのを阻む法制度が存在しています。そのことを簡単に紹介しておきます。
(注1)イギリスあるいは英国は、通称であり、正式国名がグレート・ブリテン及び北部アイルランド王国で、連合王国とも呼ばれていますが、ここでは通称を使用します。
その制度は、2011年に成立させた議会任期固定法によるものです。これによると、下院議会議員の任期を原則5年とし、議会を解散するには内閣不信任の可決か、下院議員の3分の2以上の同意が必要と定められています。
これは、日本の憲法改正に当たるといってよい制度改革ですが、この改憲論議にはここではふれないことにします。注目すべきは、このような憲法改正に該当する改革がなされていることです。その背景には、その当時の保守党のキャメロン党首が総選挙で単独過半数をとれなかったので、連立を組む条件として提示された自由民主党の要求を受け入れたためだということです。その結果、それまで首相の専権事項であった解散権が制約をうけることになりました。そして、実際に、今回のEU離脱問題を打開するために、首相の強い権限行使ができなくなっているのです。つまり、ジョンソン首相が議会を解散して選挙に訴えようとしても、現状では与党が3分の2にはほど遠い議席しか占めていないので、議会の否認により阻止されてしまうのです。
このコラムは、一般の人に向けて発信しているので、外国の制度を引き合いに出して論議する比較憲法的な考察は避けたいと思っていますが、今回、あえてこのようにイギリスの例に言及したのは、議員内閣制のお手本の国での実情を刺激として、日本でも内閣総理大臣の権限について、柔軟に考えた改革を考えてもよいと思っているからです。ただし、ある法制度が必然的に、あるいは、自動的に一定の効果をもたらすわけではないのですから、イギリスで導入された制度を取り入れるべきというつもりはありません。現状との関係で、望ましい道を追究することが重要です。
そこで、内閣総理大臣の権限について、憲法が定めるところを簡略ながら確認しておきます。
日本国憲法は、68条、69及び72条において、内閣総理大臣にかかわる権限を定めており、それは、強い権限であると説明されており、そのように理解してよいといえます。とりわけ、内閣総理大臣は、69条に定めるような内閣の不信任決議の可決に対抗した行使だけでなく、7条を根拠として、自己の自由な判断に基づいて議院を解散できることになっています(注2)。
(注2)憲法7条2号に、天皇は、内閣の助言と承認により、衆議院を解散することができると定められています。これを根拠に、内閣総理大臣の裁量に基づく解散権行使ができると解釈されます。このいわゆる7条解散が積み重ねられ、司法権による統制も否認されているので、確立された憲法秩序だといえます。
ところで、この内閣総理大臣の解散権は、議会政治の流れの中で問題がない、あるいは民主主義政治の理念として適切だと受け取られているかと問うてみると、容易には肯定できないようです。それは、実際の解散権の行使が、ほとんど自由民主党の内閣総理大臣によってなされてきており、そこには、議会政治の運用というより、自民党内の派閥間の勢力争いが目立つことが少なくありません。その具体例をここで詳しくあげるゆとりがないのですが、たとえば、1976年に、当時の三木武夫首相は、ロッキード事件の対応の仕方をめぐって自民党内から受けた強い反発を打開するために衆議院の解散、総選挙を意図しましたが、自己の派閥勢力の弱さゆえにそれができませんでした。もう一つ例をあげるとしたら、1991年の政治改革関連法案をめぐる駆け引きがあります。当時の海部俊樹首相は、強い決意をもって臨んだのですが、自民党内の支持が得られず、自己の所属派閥の力不足のため、解散権の行使ができず、内閣総辞職をせざるを得ませんでした。他にも弱小派閥に所属しながらも大派閥の支援を受けて首相の座についていたため、首相としての専権事項である衆議院解散に打って出ることができなかった例は少なくないのです。これに対して、2005年に当時の小泉純一郎首相が行ったいわゆる郵政解散(注3)は、専権発動の典型例として記憶されています。
(注3)これは、2005年に郵政民営化法案が参議院で否決されたところ、小泉首相は、その時あまり予想されていなかった衆議院の解散を決断し驚かされたのですが、選挙結果は、自民党の圧勝でした。
このように、内閣総理大臣の解散権は、概して、党利党略のために行使されるので、政権をとれない野党にとっては仕方なく権限行使に従わざるをえない状態となっています。そこで、なにがしかの歯止めないし抑制のための制度が設けられないものか、論議されることもあります。たとえば、衆議院と参議院の選挙を同一日に行う解散の場合についてです。このいわゆる衆参同日選挙は、両者の選挙の意義が異なるのに、自民党の衆議院総選挙での敗北を避けるための手段として、行われようとします。これを禁止すべきという主張があるのですが、制度化はまだなされていません。
そもそも内閣総理大臣の権限に制約を加えることは、日本の実情からして可能なのでしょうか。憲法の定めるところを変える憲法改正論議に結びつくのではないのかといういわゆる憲法解釈論だけでなく、本欄でたびたび言及してきた日本の政治における改革志向の低調さを視野に入れざるをえないのです。
日本の議院内閣制は、改革なしで今日に至っていますが、それは、問題がなかったからだとはいえないでしょう。上述のように、改革の必要性は存在します。しかし、ギリスの様子をみて、それを真似すべきというわけではありません。はじめに述べたように、イギリスの制度、特に、首相の権限についての変更がなされたのは、イギリス固有の問題に対応するためでした。ここで考えておきたいのは、日本固有の問題に対応できているかということです。上で確認したように、内閣総理大臣の専権事項となっている衆議院の解散権が必ずしも議会政治の発展に有効に発揮されていないのに、放置されたままとなっていることです。相変わらず日本には改革の意欲が沸いてそれを実現しようというエネルギーに欠けているといわざるを得ないようです。この指摘だけで終わってしまうと、諦めとなります。これは、両院制の改革をはじめとする他の憲法秩序についても言えることですが、諦めることなく、今後のために、検討しておくことが重要です。
まず、内閣総理大臣の権限について改革するといっても、これに特化し集中した検討ではすぐ壁に突き当たります。それは、関連するいくつかの問題を視野に入れた改革の必要性の考察でなければなりません。現在の政治状況は、どこかの国と同様に、一党独裁に近い統治のありさまです。自由民主党に寄り添っていれば自己の現状は安泰のように感じられているようです。この私見は、自民党政治に敵対するものでなく、現状のままでは自民党自体も、民主政治の没落とともに崩壊するように思えるのです。批判を取り入れ改革する土壌がなくなると、取り返しのつかない不幸や悲惨さが生まれるといえます。これは、歴史上の体験に基づいて優れた思想家が指摘してきたことです。
少々舞い上がった調子の論述になってきました。内閣総理大臣の権限と関連している他の問題を適示して、改革の可能性について具体的に考えておきます。
このコラムでの繰り返しになりますが、まず、統治構造における参議院の改革に取り組むべきです。そのことと並んで、選挙制度の改革が急務です。旧弊に固執したマンネリ化した選挙で、政治家としての資質が疑われるような人物が選出されていると、改革のためのエネルギーは湧いてこないでしょう。他に、女性の地位向上、少子高齢化の原因解明と打破、個人の価値を優先し、尊重する社会の構築などといろいろあげることが可能です。
テーマとなることをあげるだけでなく、個別に取り上げ考えていきたいと思っております。本年中は、ありがとうございました。次回以降もよろしく。
●著書等
『プレップ憲法(第4版)』(弘文堂、2016年)、『憲法』(弘文堂、2015年)、『論点体系 判例憲法1~3 ~裁判に憲法を活かすために~』(共編著、第一法規、2013年)、『憲法訴訟 第2版』(有斐閣、2008年)、『憲法判例(第8版)』(有斐閣、2018年)、など著書論文多数。
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