本書『ディープフェイクと闘う――「スロージャーナリズム」の時代』(朝日新聞出版)は、世界を席巻するフェイクニュースに対する各国メディアの取り組みや、新たな動きとされる「スロージャーナリズム」について紹介している。日米欧のトップランナーたちへのインタビュー取材をもとにしている。
著者の松本一弥さんは1959年生まれ。早稲田大学法学部卒。朝日新聞入社後は東京社会部で事件や調査報道を担当した後、オピニオン編集グループ次長、月刊『Journalism』編集長、WEBRONZA(現「論座」)編集長などを経て現在は夕刊企画編集長。
過去には、満州事変から敗戦を経て占領期までのメディアの戦争責任を、朝日新聞を中心に徹底検証した年間プロジェクト「新聞と戦争」で総括デスクを務め、石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、JCJ(日本ジャーナリスト会議)大賞、新聞労連ジャーナリスト大賞を受賞した。早稲田大学政治経済学部や慶應義塾大学法学部で非常勤講師などとしてジャーナリズム論や取材学を講義し、著書に『55人が語るイラク戦争―9・11後の世界を生きる』(岩波書店)、共著に『新聞と戦争』(上・下、朝日文庫)などがある。
単なる記者にとどまらず、硬派の企画報道などに長年従事し、言論誌にも関わっている。大学でも教えるなど、ジャーナリズム自体を対象化する作業にも慣れた人のようだ。60歳ということもあり、それらをベースにした本書は長年の記者・編集者経験の「卒論」なのかもしれない。
「『ディープフェイク』とのはてしない闘いが始まった」というプロローグから、「第1章 『フェイク』と『ヘイト』が結合した現実」「第2章 大統領のつぶやきが世界を翻弄する――米国はいま」「第3章 『信頼の可視化』を目指す挑戦と社会学者見田宗介の接点」「第4章 『AI時代のジャーナリズム』と津田大介の七つの提言」「第5章 民主主義とフェイクニュースの闘い」「第6章 ネット上で『他者』と出会うための様々な試みとは」「第7章 いまこそ『スロージャーナリズム』を」と続く。このラインナップからも分かるように、民主主義を揺るがすフェイクニュースと、ジャーナリズムに対する根源的な問いかけが軸になっている。
本書の多くは海外の話になっている。そうした中で新鮮だったのは、トランプ大統領が登場した米国大統領選や、英国のEU離脱(ブレグジット)をきっかけに世界的に広まったフェイクニュースに対し、海外のメディアが積極的に対抗の取り組みを始めているという話だ。英国BBCは「スロージャーナリズム」を提唱、オランダ発のメディア「コレスポンデント」が「最新じゃないニュース」というスローガンのもとで独自の展開をしていることなどが報告されている。
「スロージャーナリズム」を英国で言い出したのはBBCでラジオ部門を統括していたヘレン・ボーデンだという。英米では24時間、途切れることなくニュースを出し続けているメディアが少なくない。早く情報を出そうとするあまり、「本当は何が問題なのか」が不明確になっているのではないかという反省が生まれた。BBCでは立ち止まって考える「リアリティーチェック」や、いわゆる調査報道に重点を置き、「何が」起きたかよりも「なぜ」起きたかを解明することに力を注いでいるという。2016年からスタートし、17年からはソーシャルメディアで出回っている情報の中から「ミスリーディング」と思われる情報を選び、これを調べて解説している。視聴者から、取り上げてほしいトピックの募集もしているという。
このほかガーディアン紙、テレグラフ紙のほか、放送局ではチャンネル4などもフェイクニュースに抗った取り組みをしており、中でもチャンネル4は、すでに05年ごろから「ファクトチェック」というコーナーを設け、政治家のウソを検証しているそうだ。
松本さんは「スロージャーナリズム」について、「ファストニュース(速報)」や「発表報道」とは対照的に、報道するスピードをあえて「減速」し、時間をかけて問題の本質に迫っていくものと考え、いわゆる「調査報道」を重視する。政治家や官僚、捜査当局、大企業など権力を持つ側が公表していない情報の中で、人々の生活に密接に影響するような「不都合な真実」を記者自らが独自の調査で掘り下げ、問題点を可視化する作業だという。
もちろんこうした作業はゼロからはできない。「森友事件」は、記者のところにかかってきた取材先からの一本の電話がきっかけだった。「加計」も同じく長く教育問題を担当してきた記者に取材先が漏らしたつぶやきから始まった。記者が築いてきた取材先との人間関係が大きかった。
また、海外の例でも分かるように、メディアがこうした「調査報道」に取り組めるかどうかは、組織の上層部の腹構えによるところも大きい。朝日で07年から1年がかりで連載した「新聞と戦争」は、自社の戦前の、大先輩記者の有様も俎上に載せる企画だった。これは当時の編集局長のぶれない方針が可能にしたということを本書でも示唆している。
松本さんは最後に、近年の日本における政治とメディアの関係を踏まえつつ、「私たちは『日本メディア史上の最暗部』ともいわれる『大本営発表』についていま一度注目すべき時が来ていると思う」と強調、近現代史研究者の辻田真佐憲氏の『大本営発表――改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争』(幻冬舎新書)を引用している。
「スロージャーナリズム」という用語は今のところ日本ではまだなじみがないと思われるが、これから市民権を得るかどうか。著者や後輩の活動にかかっているといえそうだ。
BOOKウォッチでは関連で、『2050年のメディア』(文藝春秋)『空気の検閲 大日本帝国の表現規制』(光文社新書)、『フェイクニュース――新しい戦略的戦争兵器』(角川新書)、『流言のメディア史』 (岩波新書)、『安倍政治 100のファクトチェック』(集英社新書)、『権力と新聞の大問題』(集英社新書)、『政治介入されるテレビ』(青弓社)、『戦前不敬発言大全』(パブリブ刊)、『探査ジャーナリズム/調査報道 アジアで台頭する非営利ニュース組織』(彩流社)、『NPOメディアが切り開くジャーナリズム』(公益財団法人新聞通信調査会)、『日報隠蔽』(集英社)、『報道事変 ――なぜこの国では自由に質問できなくなったか』 (朝日新書)、『新聞社崩壊』(新潮新書)、『記者と国家』(岩波書店)、『デジタル・ポピュリズム』(集英社新書)など多数紹介している。
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