森友学園問題で公文書への信用が失墜し、霞ヶ関や永田町に激震が走っている。思い出すのは防衛省の「南スーダン日報隠し」。きっかけを作ったのは在野のジャーナリスト、布施祐仁さんによる情報公開請求だった。
本書『日報隠蔽』(集英社)は、その布施さんと、朝日新聞のアフリカ特派員として現地取材を続けた三浦英之さんの共著だ。巨大組織が事実を隠ぺいしようとして失敗した内幕をこってり描く。立場の異なるジャーナリストがタッグを組んだ珍しい本だ。
「ない」と強弁していた「日報」が出てきた。責任者だった稲田朋美防衛大臣は2017年7月、辞任に追い込まれる。防衛省の日報問題では各メディアが抜きつ抜かれつの取材合戦を繰り広げ、最終的には「防衛省『日報』保管も公表せず」を特報したNHKの取材班が17年度の新聞協会賞を受賞した。
この「日報」の存在を最初に指摘したのが布施さんだ。1976年生まれ。『ルポ イチエフ 福島第一原発レベル7の現場』(岩波書店)で平和・協同ジャーナリスト基金賞などを受賞したしたほか、『経済的徴兵制』(集英社)、『日米密約 裁かれない米兵犯罪』(岩波書店)などの著書がある。現在は「平和新聞」の編集長をしている。
布施さんが、南スーダンPKO問題を追い始めたのは15年秋からだった。同年9月に安保関連法が成立し、「駆けつけ警護」などこれまで以上に幅広い任務が可能になったのだ。すでに自衛隊が活動している南スーダンではどうなるのか。実態をつかむため、情報公開制度を使って防衛省に関連文書の開示を求めた。
紛争が続く南スーダンには11年から自衛隊が派遣されていた。まず開示されたのは13年12月から14年5月までの「教訓要報」と題された67ページの文書だった。それを読んで布施さんは息をのんだ。「銃声が近くなる」「曳光弾が視認される」「全隊員が防弾チョッキ及び鉄帽を着用」「緊急の撤収計画を決裁した」。
スーダンに派遣されている自衛隊は、紛争が終結したあと道路整備などの人道復興支援をやっているものだと思っていたら、実際は違っていた。緊迫した、「戦争」を感じさせる文書だった。しかし、政府も自衛隊も現地の詳しい状況についてはほとんど公表していなかっただけに驚きが大きかった。
南スーダンは11年にスーダンから独立したが、13年から内戦が始まる。大統領と副大統領の権力闘争に、それぞれの出身母体の民族対立がからんだ。15年8月にいったん和平協定が結ばれたが、16年7月7日、両者が本格衝突する。大統領と副大統領が大統領府で協議中に、双方の警護隊が首都で銃撃戦を始めたのだ。戦闘は一気にエスカレート、4日間で300人以上の兵士が死亡した。
日本政府の公式見解は「散発的な発砲事案が生じている」。一方、現地のアメリカ大使館は「政府軍と反政府軍の激しい戦闘が続いている」とフェイスブックに投稿していた。国連軍の発表によれば、PKO部隊でも中国軍に死者が、自衛隊と同じ地区にいたルワンダ軍に負傷者が出たという。大変な事態になっていると感じた布施さんは7月16日、現地の派遣部隊とそれを指揮する日本の中央即応集団司令部との間でやりとりしたすべての文書の開示を請求する。
あとでわかったことだが、このとき政府軍は、外国の人道支援者たちが拠点とするホテルを襲い、暴行、掠奪、レイプなどの蛮行を繰り返していた。救助の要請があったにも関わらず、PKO部隊は動かなかった。出動すれば南スーダン政府軍との交戦になる危険性があったからだ。軽装備のPKOは重装備の政府軍に太刀打ちできない。自衛隊の「駆けつけ警備」が現実になった時、どのようなリスクがあるか、布施さんは改めて知った。
本格衝突の少し後に、朝日新聞のアフリカ特派員の三浦さんは現地に入った。摂氏47度。飢餓に疫病、破壊された家、無造作に転がる遺体。南スーダンの日本大使館や自衛隊はメディアの取材を徹底的に拒否し続けていた。現地の助手と四輪駆動車で回る。
大規模な戦闘があった国連世界食糧計画の大型食糧保管施設の敷地内では、多数の車両やトラックが破壊され、残骸になっている。道の真ん中には政府軍の戦車が砲身を吹き飛ばされ放置されている。自動小銃を構えた軍服姿の男たちが目を光らせる。写真は撮影できない。
市民に取材すると、「白人の女がレイプされたって? 南スーダン人はたくさん死んだよ。女も子どもも」。日本で盛んに報じられる「国連平和維持活動」(PKO)は、ここでは機能していないことを知る。
このころ東京では布施さんが、請求で入手した文書を丹念に読んでいた。黒く塗られたところも多いが、ヒントも見つかった。ある文書を読んでいて、「派遣部隊の日報」というものがあることに気づいた。「すべて」の資料を請求したのに、この文書は含まれていなかった。そこに詳しい状況が書かれているのではないか。9月30日、改めて布施さんは「16年7月7日から12日までに作成した日報」を、ピンポイントで指定して請求する。
防衛省から回答があったのは12月9日。「本件開示請求に係る行政文書について存否を確認した結果、すでに破棄しており、保有していなかったことから、文書不存在につき不開示としました」。
え? 廃棄? 直感的に布施さんは「あり得ない」と思った。貴重な一次資料だ。「公文書の扱い方あんまりだよ」とツイートしたら、猛烈な勢いで拡散した。マスコミ各社も一斉に動き出し、「戦闘発生時の日報は破棄」と大きく報じ始めた。取材合戦が本格化し、政府・防衛庁は大揺れになる。
なぜ防衛省は隠すことにしたのか。誰の判断なのか。年が明け17年になると、ハイレベルの内部情報が時折マスコミに漏れるようになる。それだけ内部で、日報の処理を巡って暗闘や不満があったということだろう。
「あとがき」で三浦さんは書いている。「防衛大臣を辞任に追い込んだ布施祐仁氏の一連の仕事は、日本のジャーナリズム界にとって紛れもなく『大きな仕事』であり・・・極めて有益」「衝撃的だったのはこれらの仕事が巨大メディアに属している企業記者ではなく、たった一人の在野のジャーナリストの手によって達成されたという事実」
最終的に新聞協会賞はNHKが受賞し、共同通信やフジテレビもこの問題では特報した。しかしながらそれらの端緒をつくったのは、記者クラブに属しておらず、大臣会見に出ることもできない布施さんだった。結局のところ、「一人のジャーナリストの努力によって得られた成果をそれぞれが分配し合って報じるという、敗北感にも似た屈辱を味わうことになった」と三浦さんは総括している。
本書は、二人の著者の交互報告で構成されている。現地で三浦さんが改めて確認したこと――それは自衛隊の宿営地の隣の建物で、200人と400人の兵士が2日間にわたり、自動小銃やロケットランチャーを使ってバンバン撃ちまくっていたという、まさに「戦争」そのものだった。とても「散発的な発砲事案」で片づけられるものではなかった。三浦さんは『五色の虹』(集英社、2015年12月刊)で第13回開高健ノンフィクション賞を受賞しており、文章に臨場感がある。
安倍政権の下では、公文書管理をめぐる問題が次々と指摘されてきた。「隠ぺい内閣」とでも呼ぶべき惨状だ。本書のほかにも関連の本も出始め、本欄でも『公文書問題』(集英社)を紹介した。また、カンボジアPKOをめぐっては『告白――あるPKO隊員の死・23年目の真実』(講談社)も出版された。こちらは当事者による大量の資料提供がもとになっている。南スーダンの日報問題や森友問題などでも、そのうち当事者から衝撃的な内容の手記が出ないとも限らない。あるいは大手メディアの記者の側から、「布施さんに負けじ」と真相本が刊行されるかもしれない。
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