「改竄・隠蔽・捏造」と聞くと、森友、加計、防衛庁日報問題のことだろうと思う。ところが本書『大本営発表』(幻冬舎)は違う。太平洋戦争中の日本を扱っている。
逆に言えば、それだけ、戦前・戦中と今の日本が重なってきている証しなのかもしれない。怖いというか、情けないというか。
帯に「これは過去の話ではない」と強調されている。もう少し詳しく言うと、本書が刊行されたのは2年前の2016年。このとき著者の近現代史研究者、辻田真佐憲さんの念頭にあったのは、3.11の原発事故だ。政府・電力会社のメディアコントロールでほとんどのマスコミが長年「原発安全神話」づくりに加担していたことを踏まえていた。
加えて、第二次安倍政権になって、報道への政治の介入が露骨になっていることも指摘されていた。しかし、まだ、森友、加計、あるいは防衛庁日報問題は発生していなかった。にもかかわらず、これらの問題を予測していたかのように本書には「改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争」という副題が使われていた。そして本書をなぞるかのように、森友、加計、あるいは防衛庁日報問題が後から起きた。その先見の明や、恐るべしだ。
著者は1984年生まれ。このところ、戦前の日本のメディア状況について、次々と労作を発表している。最新刊が『空気の検閲 大日本帝国の表現規制』。それぞれ独立した本だが、内容は相互に関連しており、同時進行的に研究を続けているのだろう。
本書は戦前の日本軍の公式発表「大本営発表」について、7章に分けて詳述している。大本営は常設ではなく、戦争に際して設置される組織だ。昭和になってからは1937年、日中戦争のさなかに設けられた。同年11月には大本営報道部が発足、「戦果」を記者クラブに発表する体制が整った。
日中戦争は日本軍優勢のもとに進み、各新聞は大量の従軍記者を中国に送り込んだ。「首都陥落」「占領」などの威勢のいいニュースのたびに新聞が売れる。戦争が「新聞ビジネス」の背中を押す形となった。
1941年12月。真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まると、「大本営発表」は緊迫感を増す。緒戦は勝ち続け、「発表」は比較的忠実に戦果を報告していた。大きな転機になるのが、42年6月のミッドウェー海戦だ。日本は多数の優秀なパイロット、空母4隻を失う惨敗、日米の開戦以来の攻守が逆転した。この事実を大本営発表としてどう伝えるか。
当時の報道部員が戦後、ミッドウェー海戦について回顧している。「大本営発表文中最大に苦しかった発表であった。幾度か原案を書き直しても通過しなかった」。当然ながら報道部の発表内容については、事前に軍幹部、首脳のハンコがいくつも必要だ。今の官庁や民間の広報課と立場が似ている。報道部は原案として「空母2隻沈没、1隻大破、1隻小破」を出したが、最終的には「空母1隻喪失、1隻大破」。もちろん戦果は過剰に盛られる。「苦しかった」というのは、このとき、大きく一線を越えることになり、「良心の呵責」があったからだろう。
こうして大本営発表で「改竄・隠蔽・捏造」が常習化し拍車がかかる。大本営発表によれば、太平洋戦争中に連合軍の戦艦を43隻、空母を84隻沈めたはずだが、実際には連合軍の喪失は戦艦4隻、空母11隻。日本軍の喪失は戦艦8隻が3隻に、空母は19隻が4隻に圧縮された。デタラメはあらゆる数字に波及し、さらには戦況を伝える表現にも及ぶ。守備隊の撤退は転進、全滅は玉砕と言い換えられた。本土空襲の被害は「軽微」「目下調査中」。沖縄戦での全滅は「総攻撃」「最後の攻勢」。
さすがに広島の原爆については「相当の被害」と発表した。この表現の異質ぶりに気づいた記者が「これで負けたんじゃないか」と口を滑らせたら、発表担当の陸軍中佐が「そんなことをいうと死刑だぞ」と睨みつけたという。
本書では、軍のお先棒や片棒を担いで戦果の誇示に狂奔した記者たち、マスコミも厳しく指弾されている。前掲著『空気の検閲 大日本帝国の表現規制』の一節を思い出す。日々の原稿を検閲で封じ込められていた記者たちにとって、いくら書いても文句を言われない記事、それが「大本営発表だった」というのだ。戦前・戦中の日本には「大本営発表」に則って書いている限り、「検閲」がない、という不思議なメディア空間ができあがっていた。
大正デモクラシーの時代は、軍部に批判的な論調だった新聞がなぜ10数年のうちに、軍の拡声器に成り下がったのか。なぜ対立から協調、支配・従属の関係になったのか。そこに至るまでの経緯についても、『空気の検閲』と同じく、本書でも詳述されている。
暴走を重ねた「大本営発表」は終戦直前、さらに大変な芝居を打つ。その内幕も本書で書かれている。戦争継続を主張する陸軍将校たちは、大本営発表を通じて徹底抗戦を訴えようとしたのだ。陸軍大臣の花押や軍務局長の認印などを偽造、偽の大本営発表文を作り、徹底抗戦派の報道部員が記者クラブで読み上げた。
ところが発表文の中に「連合軍に対し全面的作戦を開始せり」という文言があることに疑問を持った記者がいた。これは、単なる戦況報道を超えている、政治的・外交的な問題を含んでいると。花押や印鑑がいつもと違うと気付いた記者も。「この発表取りやめるわけにはいきませんか」。同盟通信の記者のひとことに、報道部の陸軍大佐が怒った。「生意気なことを言うな! 貴様のいっておることは統帥権干犯だぞ」。あとで記者たちが政府筋に確認したところ、偽造だと分かり、取り消しとなる。終戦の2日前のことだ。長年、大本営と一心同体だった記者たちが、最後に反旗を翻した瞬間だった。
本欄の『空気の検閲』の紹介文では、マスコミ関係者必読と書いたが、本書は加えて、企業や役所の広報担当者も必読と書いておきたい。発表文の内容や文言をめぐって上層部とのやり取りで苦労するのは大本営報道部と変わらないだろうから。今日の諸状況では、「改竄・隠蔽・捏造」を強いられるケースもなきにしもあらず。ちなみに大本営報道部で辣腕をふるった海軍少将は終戦直後、札幌で終戦連絡事務をしていたが、かつて発表文を巡ってもめた旧知の記者が訪れると、「君にはすまなかったな・・・」といったきり、落涙するばかりだったという。
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