本書『報道事変 ――なぜこの国では自由に質問できなくなったか』 (朝日新書) は現職の新聞労連委員長、南彰さんが、現在のマスコミを包む危機的な状況についてまとめたものだ。南さんは1979年生まれの朝日新聞政治部記者。2018年末には東京新聞の望月衣塑子記者と共著で『安倍政治――100のファクトチェック』(集英社新書)を出している。
本書の最大の特徴はタイトルに「事変」という言葉を使っていることだ。辞書によれば「事変」とは「事件」よりもはるかにスケールが大きく深刻な国際紛争などを指す。「北清事変」「満州事変」「支那事変」など戦前はしばしば使われたが、戦後はほとんど見かけなくなった言葉だ。
いまメディアで起きていることは戦前の「満州事変」のように、後になって考えると取り返しのつかないことなのかもしれない--というのが南さんの問題意識だ。
本書は「第1章 答えない政治家」、「第2章 『望月封じ』全詳報」、「第3章『ウソ発言』『デタラメ答弁』ワースト10」、「第4章 文書が残らない国」、「第5章 記者クラブ制度と『連帯』」に分けて、権力と報道の関係が、南さんの受け止め方では「事変」の領域に近づいていることを示唆する。
副題に「なぜこの国では自由に質問できなくなったか」とあるように、政権側が記者の発言を封じるケースが増えていることを特に問題視している。よく知られているように東京新聞の望月衣塑子記者は官房長官の会見で質問の機会が制約されている。南さんが望月記者と共著を出していることや、政治部記者時代は、会見での望月記者の質問を積極的にサポートしたということもあって、本書では第2章で70ページ余りを割いてその実情を詳報している。
このほか冒頭には、河野太郎・外務大臣が閣議後の会見で、記者の質問に答えず「次の質問どうぞ」とシカトした話なども。また、首相に対する「ぶら下がり」と呼ばれる首相番記者の質問の機会も減っていることなども出てくる。
本書を通読して印象深いのは、こうした政権側の「質問封じ」の話よりも、日本の大手マスコミを取り囲む「三重苦」とでも呼ぶべき困難な状況だ。ネット社会が急進展し、購読者が減って新聞経営はじり貧。そして、ネットに広がるマスコミ批判や不信。一方で記者は慢性的な長時間労働を強いられている。かつて新聞は経営が安定し、情報を独占的に発信、それを強みとして権力批判もできたわけだが、いまや長年のアドバンテージが失われ、長時間労働のみが残っている。本書によれば「疲弊した記者の流出が続いている」という。
そうした中で権力の側に寄り添い、忖度し、権力の代弁者となる記者やOB記者もいる。さらには、「質問封じ」などを通して「権力」による「メディア制圧」、いわば「事変」が進行中というわけだ。
本書は歴代官房長官会見を500回以上取材してきたという南さんの政治記者経験と、新聞労連委員長として、メディアの現状や将来について関係者と議論してきた経験がミックスした形で構成されている。
新聞労連は全国86の新聞・通信社の労働組合が加盟している。委員長に、南さんのような政治部記者がなるのは初めてらしい。2018年秋の就任時に30代という若さも異例。一般に政治部記者は政権に食い込むのが仕事であり、政権批判の色合いが濃い新聞労連には距離を置いてきたと推測されるが、南さんが就任するに当たっては、出身母体も了承したのだろう。これまでの南さんの仕事ぶりからやむを得ないと判断されたのか、それとも朝日新聞政治部と政権との緊張関係が、過去に例がないほどまでに高まっているということなのか。
本書ではいくつかのことを再確認したが、その一つが最高裁判事問題。安倍政権が長期化する中で、日弁連の推薦者が選ばれなくなっているのだという。2017年1月、日弁連推薦の判事2人の退官に際し、選ばれたのは日弁連推薦者以外の2人だった。日弁連の理事会で問題になったが、日弁連会長は「長い間の慣例が破られたことは残念に思います」。政権の司法への「介入」も強まっていることが読み取れる。
また、大手メディアへの斬新な提言もあった。これからの時代のメディアの幹部には、社内調整力だけではなく、社会との対話能力が資質として求められるとし、「例えば、編集局長になるには『10万件のツイッターフォロワー』を要件と課してもいいだろう」と書いている。また、新聞社から一度離れた後、ネットメディアで活躍している人材が、新聞社の社長や編集長として復帰するような柔軟な人事制度も必要だろうとも。
メディアはこのまま沈んでいくのか、それとも変われるのか。南さんは「その可能性は半々。でも、前者の可能性を信じている」。
類書はいろいろあると思うが、本書はいま政権と報道の間で起きている出来事を丹念に振り返りつつ、それを改めて「事変」という刺激的なタームで、巨視的歴史的な視点で問題提起したところがユニークだ。果たしてこれは南さんの危惧に過ぎないのか、10年後、20年後には現実になっているのか。
本欄では、戦前のメディアが権力べったりの歴史を歩んだ経緯については『空気の検閲――大日本帝国の表現規制』(光文社新書)や『大本営発表――改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争』(幻冬舎新書)、また新聞経営が悪化の一途をたどっている現状については『新聞社崩壊』(新潮新書)などを紹介している。
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