中国の監視社会ぶりやネットサービスの普及ぶりについては多くの報道がされている。個人情報も政府に筒抜けなのだが、驚くべきことに中国人のほとんどがそれに不満を抱いていないどころか現状を肯定的に見ていると本書『幸福な監視国家・中国』(NHK出版新書)は書き出している。
だから、習近平政権による言論弾圧と重ね合わせた「ディストピア」告発の書を期待して手に取った読者は肩透かしの感がするだろう。
実際、第1章「中国はユートピアか、ディストピアか」では、西側諸国の「間違いだらけの報道」の実例をいくつか挙げている。
「中国昨年2千万人超、飛行機などの利用禁止 社会信用スコアで」(ロイター、2019年3月7日)
「違法行為や社会貢献の有無で上下する信用スコア」といった中国全土をカバーするシステムは現時点では存在しない、と著者の一人、梶谷懐・神戸大学大学院経済学研究科教授は指摘する。「何しろあれだけ言論が弾圧されている中国なのだから、監視テクノロジーの普及とともに、きっと私たちの想像のつかないディストピアが構築されているに違いない」という先入観からくるバイアスに捕らわれているのでは、と見ている。
こうした中で、あえて本書を出したのは、「テクノロジーがもたらす実際の社会の変化をできるだけリアルに見つめながら、全世界で急速に進みつつある新しいタイプの『監視社会化』の流れ――すなわち、20世紀的なオーウェル式の監視社会とは異なる流れ――の中に現代中国で起こっている現象を位置づけよう」と意図したと書いている。
第2章「中国IT企業はいかにデータを支配したか」では、中国EC大手のアリババがアマゾンに勝った理由、モバイル決済の普及などにふれながら、なぜ中国の消費者が喜んでデータを企業に差し出すのかを考察している。アリババの信用スコアはユーザーが提供する情報が多いほどスコアが上がる。スコアが上がれば、さまざまな便利なサービスが使えるほか、融資や分割払いの限度額がアップするというメリットがあるのだ。第3章「中国に出現した『お行儀のいい社会』」では、著者が実際に金融サービスの信用スコアの変動をチェックし、「なぜ上がったのかはさっぱりわからない」とし、評価のシステムがブラックボックスになっているから、自発的に服従していると分析。監視カメラの普及もあり、殺人や暴力的な犯罪が劇的に減っているデータも紹介している。
こうした現状分析を踏まえ、第6章「幸福な監視国家のゆくえ」では、功利主義と結びつけ、究極的には「監視社会化を肯定せざるを得ないところに行きつくのではないか」という議論を展開する。このあたりは進化心理学や認知科学、行動経済学の領域であることも詳しく紹介している。
したがって、中国で起きていることは決して他人事ではなく、人類共通の今日的課題であるという著者の問題意識はここでようやく腑に落ちた。
最終の第7章「道具的合理性が暴走するとき」では、新疆ウイグル自治区の再教育キャンプの問題を扱っている。当初、オーウェルが「一九八四年」で描いたようなイメージで中国を語るのはミスリーディングだとしていたが、それに近いイメージで語ることを避けられない、としている。
本書は経済学者の梶谷さんのほか、テクノロジーがもたらす社会の変化に詳しいフリージャーナリストの高口康太さんが協力して執筆した。だから思弁的な章と客観的な章が混在するが、かえっていいバランスかもしれない。
本欄では『習近平のデジタル文化大革命』(講談社α文庫)を紹介している。
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