少年隊の"ニッキ"こと錦織一清さんが、初の自叙伝『少年タイムカプセル』(新潮社)を3月1日に上梓した。生い立ちからジャニーズ事務所入所、練習生としての日々とデビュー後の活躍など、これまでに公開していないことも含めて、まさにタイムカプセルを開けるように語った一冊。聞き手は錦織さんの大ファンであり、直接の親交も深い、ミュージシャンの西寺郷太さんだ。
スーパーアイドル"ニッキ"は、ステージの裏ではどんな少年だったのか。気になる錦織さんの素顔に加えて、当時ほとんどつきっきりで少年隊のマネージメントに当たっていた故・ジャニー喜多川さんの知られざるエピソードも満載だ。
1965年に東京都世田谷で生まれ、2歳の時に父親の仕事の都合で江戸川区の下町へ引っ越した錦織さん。風呂なしのアパートに家族4人で暮らし、生粋の下町っ子として育った。小学生の頃からディープ・パープルやKISSを聴き、中学1年では映画『サタデー・ナイト・フィーバー』をきっかけにディスコ・ミュージックにハマり、同時に矢沢永吉さんに影響を受けるという、アイドルとは無縁な大人びた子どもだった。
ジャニーズ入所のきっかけは、知らないうちに姉が履歴書を送っていたこと。1977年7月、錦織さんが小学6年生の時だった。何の興味もなかったものの、姉に懇願されて六本木のテレビ朝日へ。リハーサル室の場所がわからず、ロビーで姉が話しかけた相手が、なんといきなりジャニーさんだったという。
当時は「たのきんトリオ」がブレイクする前の、ジャニーズ事務所低迷の時代。オーディションには、錦織さんのほかに7、8人しかいなかった。そこでいきなり踊らされたという。錦織さんはダンス経験がなかったが、「割とできた」のだそう。しかしどうしてもできないステップがあり、悔しがっていた。すると、ジャニーさんがやってきて一言。「YOU、天才だよ!」
びっくりしたよ。だって「天才」と言われたのが初めてなら、「YOU」と言われたのも初めてだからね(笑)。自分としては完璧ではなくて悔しかったけど、ジャニーさんがそう言うんだから筋は悪くはなかったんだろうね。でも今にして思えば、手放しでジャニーさんに褒められたのは、これが最初で最後だったかもしれない。
のちにメンバーとなる二人の第一印象も。坊主頭だった東山紀之さんは「ボクサーの大場政夫に似ていると思った」。植草克秀さんは実家が裕福で、エナメルの赤いバッグを持っていて「まだタレントじゃないのに、すでに出来上がっている」子どもだったそうだ。特に東山さんとは気が合い、2人で映画を観に行くこともあった。練習生時代(当時は練習生全体を「ジャニーズJr.」ではなく「ジャニーズ少年隊」と呼んでいた)を経て、3人で活動するようになる。
ジャニーさんは、なんと「少年隊はグループじゃない」と言っていたという。
「個人が集まったグループなんだよ、これは」って。だから3人で100パーセントじゃなくて、「300パーセントになってくれないか」と。
その考え通り、キラキラしたアイドルグループというよりは、背中を預け合い、ハイレベルなダンスとアクロバットで魅了するプロ集団というイメージが強い。音楽にも、ジャニーさんの並々ならぬこだわりがあったようだ。
今も現役ジャニーズに歌い継がれている少年隊のデビュー曲「仮面舞踏会」は、何度も書き直し、録り直して、半年近くの時間をかけて出来上がったという。ジャニーさんが「これじゃダメ」「まだダメ」としつこく突き返し、歌詞は12パターン以上、曲のアレンジも何十パターンもあったそうだ。
少年隊の曲のアレンジには、錦織さん自身も関わっていた。「仮面舞踏会」でひときわ印象的なイントロの「Tonight ya ya ya... tear」のフレーズは、実は錦織さんの発案。厳しいジャニーさんも錦織さんのアイデアはたいてい面白がって取り入れたそうで、少年隊3人でレコーディングをした後、いつも錦織さんだけ残ってアレンジに参加していたという。
事務所に入った頃は、お膳立てされた曲やステージをその通りにこなすのがアイドルだと思っていた錦織さん。しかしジャニーさんは「自分のことは自分でやれ」と教え、積極的にものづくりに関わらせた。当時としては革新的な方針だったのではないだろうか。
もちろん、東山さんと植草さんについても語られている。まず東山さんは、先述したように練習生の頃から一緒に出かけるなど、特別に馬が合ったようだ。ダンスも相性が良く、「俺と東山の踊りのタイプは違うけど、音の感じ方は似てるから合う」と語っている。ちなみに植草さんは、「......一生懸命俺たちに付いてきていました(笑)」とのことだ。
しかしそんな"いじられキャラ"の植草さんのことを、錦織さんは「怖い」とも言う。その理由とは。
俺が植草のことを「怖いなあ」と思うのは、俺の頑固なところや、妥協しないところを全部知っている。それが一番怖い。ああ見えて全体を俯瞰してよく見ているから......、経験もあるし。(中略)怖い、イコール信頼しているということだけど。
2020年にジャニーズ事務所を退所した錦織さんと植草さんは、2021年からYouTubeチャンネル「ニッキとかっちゃんねる」を開始。2022年には「ふたりのSHOW & TIME SONG for YOU」を開催した。40年以上にわたる信頼関係に、胸が熱くなる。
本書ではさらに、バブルの波に乗って海外を飛び回り、「記憶がグッチャグチャ」になっているというデビュー前後のエピソードや、主要な楽曲の誕生秘話、ダンスやステージづくりに対するこだわりなどを、年代を追って語り尽くしている。当時ファンだった人なら、「あの頃、ニッキはこんな気持ちだったんだ」と、一緒に記憶のタイムカプセルを開けながら読めるはずだ。
〈目次〉
はじめに――小さな町の小さな家
第1章 YOU、天才だよ!
第2章 アイドルで成りあがる
第3章 東山紀之と植草克秀
第4章 グシャグシャの日々
第5章 1985年12月12日
第6章 それぞれのタイムカプセル
第7章 『PLAYZONE』――夏の青山の23年
第8章 1987年の少年隊
第9章 少年隊は俺たちだけじゃない
第10章 この先があるように踊れ─錦織一清のダンス論
第11章 師弟関係─ジャニー喜多川と錦織一清
おわりに――ひとりで屋台を引いてみたかった
■錦織一清さんプロフィール
にしきおり・かずきよ/1965(昭和40)年、東京都生まれ。12歳でジャニーズに入所、85年12月12日に少年隊として『仮面舞踏会』でレコード・デビュー。以降、『君だけに』『ABC』『まいったネ 今夜』など時代を超える名曲を次々と生み出す。86年には青山劇場でミュージカル公演「PLAYZONE」をスタート。以降、2008年まで毎年公演を行った。個人でも多くの舞台に出演、2009年頃からは演出家としても広く知られるようになる。2020年12月31日にジャニーズ事務所を退所。現在は、主に俳優・演出家として活躍中。シンガーとしても、2021年にはシングル『Cafe Uncle Cinnamon』をリリース。著書に『錦織一清 演出論』(日経BP)がある。
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