本を知る。本で知る。

沖縄返還交渉で「密かに情を通じて」いたのは・・・

記者と国家

 もう覚えている人も少ないかもしれない。沖縄返還を巡る外務省の機密漏えい事件。沖縄密約事件とも言われる。本書『記者と国家』はこの事件で逮捕され、有罪となった元毎日新聞政治部記者、西山太吉さんが事件や記者生活を振り返り、昨今の政治への思いを書き残したものだ。「西山太吉の遺言」という副題が付いている。

懲役4月執行猶予1年

 この事件や裁判などはかなり複雑な経緯をたどっている。ごく簡単に記すと、西山記者は1971年5月、外務省の女性事務官から、沖縄返還交渉に関わる「密約」が含まれた極秘資料を入手、のちにそれを社会党議員に渡した。72年3月の国会で社会党が追及する中で、極秘資料の流出が判明、4月に西山さんと女性事務官が逮捕されたという流れだ。

 沖縄返還の密約とは、有事の際の米軍による核兵器の持ち込み、および軍用地の原状回復費用の肩代わりに関するものとされるが、西山さんが関与したのは後者。

 一審で事務官は有罪、西山さんは無罪。二審で西山さんは懲役4月執行猶予1年。最高裁でもこの判決が維持された。

 日本政府は密約の存在を否定し続けていたが、2000年5月 に我部政明・琉球大学教授と朝日新聞が、アメリカ国立公文書記録管理局で、密約を裏付ける文書を発見。06年2月、北海道新聞の取材に対して、交渉当時の外務省アメリカ局長・吉野文六氏が日本側当事者として密約の存在を初めて認めた。吉野氏は09年、密約を巡る情報公開訴訟に、原告の求めに応じて証人としても出廷した。

 このように本件は、刑事事件としては有罪だが、日本政府が一貫して否定してきた「密約」については存在していた、というねじれた形になっている。

 裁判や報道では、西山さんが女性事務官と「ひそかに情を通じ」資料を入手していたことが問題視された。しかし、のちに密約があったことが確実視されたことなどから、単純な判断が難しい事件として知られている。ノンフィクション作家の澤地久枝さんが『密約―外務省機密漏洩事件』、作家の山崎豊子さんが 『運命の人』でこの事件を取り上げていることからも分かるように、世間の関心も高かった。

 今となっては「密約」という形で、日米両政府も「密かに情を通じて」いたと言えるのかもしれない。

社会党議員が勘づく

 本書は「権力対新聞」「ああ、宏池会」「欺かれた国会、国民」「情報公開法の罠」「省益優先の外務省報告」「長州一族の国家改造論」「辺野古問題の真相」の7章構成になっている。西山さんが当事者となる沖縄密約問題は、「欺かれた国会、国民」で書かれている。

 その詳細については、すでに裁判結果があり、西山さんもこれまでの著書で書いている。この女性事務官は、西山さんがきわめて昵懇で毎夕のように部屋を訪れていた外務審議官の秘書だった。彼女とは、地下鉄ストの時は車で送ると約束したことがあり、そのストの日、「彼女と社会でいう不適切な関係」になったという。

 西山さんはその後、入手した資料の存在は明かさずに、政府を追及する記事を書くが、あまり反響がなかった。社会党の横路孝弘議員だけが、西山さんが何か重大な資料を持っているのではないかと勘づき、アプローチしてくる。西山さんはずっと拒んでいたが、事態が動かないことにいら立ち、「このまま何もなく沖縄返還を迎えさせてはならない、大打撃とはいわないまでも一撃、二撃くらいは与えなければならない」と考え、資料を渡す決断をする。横路議員が優秀な弁護士と聞いていたので、扱いは任せてもよいのではないかと思ったが、そこからアシが付いた。

 裁判では、親しかった読売新聞の氏家齊一郎記者(後の日本テレビ会長)や、渡邉恒雄記者(読売新聞主筆)が弁護側の証人に立った。渡邉氏が、(記者というものは)「外務省側が隠そうとしていることに、最も重点を置いて取材するわけです」「・・・外務省側の発表を待っていたのでは、当然、国民に知らされなければならない交渉経過が永久に報道されずに終わってしまうのです」と証言すると、傍聴席から一斉に拍手が起きたという。

 一審の無罪判決後に当時の田中角栄首相は、「常識的な判決で、予想していた通りだった」と新聞にコメント、国会でこの判決について野党から聞かれたときも、「私個人としては尊重いたしております」と答えていたというから、なかなか複雑な事案だったことが推測できる。

密約開示請求訴訟を起こす

 西山さんは書いている。

 「私は・・・一人の国家公務員を有罪に追いやった結果上の責任者であり、私も同じく有罪となることに、なんらやぶさかではなかった」
 「だからといって、私は、国家公務員法違反で起訴されたこの刑事裁判をなんら肯定するものではない」
 「この裁判は、後年の米側開示の膨大な密約文書、あるいは偽証を告白した吉野証言などによって、すでに裁判の構成要件を完全に喪失していることが明らかになった」

 一審の無罪判決は、「公務の内容が違法であって、公務の民主的な運営ということ自体が無意味である場合には、民主的運営の保障のための秘密保持義務は考えられない」としていたという。西山さんは、「私の裁判における国家の秘密なるものは違法であり・・・その時点ですでに、私は起訴の対象ではなくなっている」などと考え、密約開示請求訴訟を起こす。

 本書によれば、一審では「国民の知る権利を蔑ろにする外務省の対応は、不誠実と言わざるを得ない」として外務省の非開示処分を取り消し、文書開示が命じられたが、国側が控訴、二審判決はこの文書を「永久保存されるべき文書であった」としつつも、「廃棄の可能性」に触れ、不開示を擁護、最高裁はさらに「行政機関が文書を所有していることの立証責任」を原告側に負わせるなど、手厳しいものになった。

記者が追究すべき最高の仕事は「永久機密」の探索

 本書は「遺言」という副題がついていることからも分かるように、思い切った発言も目立つ。とりわけ、渡邉恒雄氏が2013年に成立した特定秘密保護法を施行するため、14年に内閣に設置された「情報保全諮問会議」の座長になったことを問題視する。「かつて、新聞界に籍を置いたものとして、これほどのショックを受けたことはなかった」とまで書いている。

 国家機密については、国は圧倒的に有利な立場にある。「国は守る」「新聞は攻める」という関係にあるのだが、攻める側の代表が守る側の代表を積極的に応援する――、この瞬間にバランスが崩れると危惧する。

 「新聞は攻めるというが、戦後、重要な国家機密が漏洩して、国の安全が脅かされたことがあったのか。沖縄密約にしても、返還協定の数か条が虚偽表示されていたにもかかわらず、相手の米側が二十数年後に情報公開し、それが朝日新聞によって伝達されるまで、日本のメディアはまったく報道しなかった。私がその一端にふれたにすぎない」
 「国にとって本当に隠したいのは新安保条約交渉時に交わされた、朝鮮半島での緊急事態に際し、事前協議なく在日米軍が出撃できるとした"朝鮮議事録"や、あるいは沖縄密約のような『永久機密』であり、それは同時に違法、不当な機密なのである。記者が追究すべき最高の仕事は、この永久機密の探索」

 西山さんは政治部記者として、1960年代前半に韓国の対日請求権問題も担当した。読売の渡邉氏とは一面トップのスクープで競いあった。無償3億ドルの経済協力金。これはその後の沖縄返還で、日本がアメリカ側に支払ったとされる総額3億2000万ドルの「特別支出金」と金額が似ている。沖縄を取り返すのには、ずいぶん金がかかったのだなあ、と評者は妙なことが気になった。1ドル360円の時代、今の貨幣価値だといくらぐらいになるのだろうか。北方領土や北朝鮮との間でも、必ずや付きまとう話だなと思った。その後の経済成長などを考えれば、金額はおそらく桁外れになるにちがいない。「密約」がないことを祈るばかりだ。

 BOOKウォッチでは関連で、『「日米合同委員会」の研究』(創元社)、『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』(創元社)なども紹介している。

  • 書名 記者と国家
  • サブタイトル西山太吉の遺言
  • 監修・編集・著者名西山太吉 著
  • 出版社名岩波書店
  • 出版年月日2019年8月 8日
  • 定価本体1600円+税
  • 判型・ページ数四六判・152ページ
  • ISBN9784000613552
 

デイリーBOOKウォッチの一覧

一覧をみる

書籍アクセスランキング

DAILY
WEEKLY
もっと見る

漫画アクセスランキング

DAILY
WEEKLY
もっと見る

当サイトご覧の皆様!
おすすめの本を教えてください。
本のリクエスト承ります!

広告掲載をお考えの皆様!
BOOKウォッチで
「ホン」「モノ」「コト」の
PRしてみませんか?