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宗教・信仰の自由 - 社会での宗教の様相(第26回)

学習院大学名誉教授 戸松秀典

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1 墓地の分譲

 散歩をしながら憲法のことを考える――これは、本欄の最初の1年間をとおして扱ったテーマでした。散歩中によく目にしたり感じたりしていることが国の法秩序ないし憲法秩序に結び付けて考えさせられる場合が少なくなく、その体験を本コラムで扱うことは意義があると思っていたからです。そこで、なるべく広く、それも身近に存在することをとりあげ考えるように努めました。

 しかし、その際、とりあげるべきか否か躊躇した場面があります。それは、散歩の道すがら、また、散歩の延長である自転車での走行中、目にした墓地の分譲を示す看板や旗に関することです。それは、国法秩序・憲法秩序のかかわりでいえば、宗教・信仰の自由(注1)に結びつくことですが、これに関連して考える問題は、語ることが容易ではない内容になっています。今回は、あえてこれを扱うことにしました。

(注1)憲法20条は、「信教の自由」を保障していますが、この信教という語は、明治憲法28条で用いられているのを引き継いでいます。しかし、憲法の下での状況の違いに照らすと、今日使われている宗教とか信仰という語による方が分かり易いので、このように宗教の自由ないし信仰の自由と表現します。


 ところで、墓地の分譲とか販売の広告が散歩で通る寺院のあたりだけでなく、新聞紙上の広告や投函のチラシでも盛んに目にするようになっているのは、人口の変動、人の寿命の変化、居住環境や家族形態の変容などさまざまな要因があり、それについて簡単に説明することが困難なようです。そこで、散歩で目にしたことに関連して基本的なことだけにふれておきます。

 まず、墓といえば、「墓地、埋葬等に関する法律」のことを無視することができません。これは、日本国憲法施行の翌年の1948(昭和23)年に制定、施行されていることからも明らかなように、国法秩序・憲法秩序において、知っておく必要のある規律を定めています。これによると、墓地は、埋葬や焼骨の埋蔵をするための場所であり、そこには自治体の長の許可が必要とされるなど、勝手に墓を設置することが認められません。

 また、墓地の分譲・販売などと述べましたが、寺に併存する墓地は、本来、その寺に許されて墓を建て、永代供養料を払っている場所を指しており、住宅地の分譲・販売とは異なることです。寺の敷地とは別個に墓地を設けて売り出すのを、墓地の分譲・販売と呼んでよいようですが、そこには都道府県知事の許可が必要とされております。

 ところが、近年は死後に入る墓について、従来と異なる状況となっています。死後は、先祖が設けた墓に入ればよいなどと簡単に言って済まされないこととなっています。それは、先祖代々の墓に入りたくない、そのような墓がない、あっても現在の住所地から遠すぎて残された家族には都合が悪い、そもそも自己の焼骨を墓に入れて弔う必要がない、あるいはそのような習慣を受け入れたくないなど、さまざまな考えが存在しているからです。

 そこで注目すべきは、社会における宗教の意義が変化していることです。墓問題は、その代表です。散歩で目にした墓の売り出しの広告や旗が発端となって、社会での宗教、とりわけ仏教の変化について考えてみたいと思います。

2 宗教・信仰の自由の現状

 仏教の変化と述べましたが、この指摘には、私事との関連も背景となっています。およそ宗教については、客観的ないし普遍的立場から述べることは無理だと思うので、ご容赦願います(注2)。

(注2)大学で講義していた時、憲法20条の宗教の自由について語る時は、私の信じる仏教の宗旨を明言して、違和感を与えるような表現があるかもしれないことについて、他宗教の信者である聴講者の了解や寛容を求めておりました。教壇を離れた現在も、いくつかの寺院や住職・僧侶らとむすびつきをもっていますが、以下の論述は、あくまでも憲法研究者としての立場のつもりです。


 さて、その仏教の変化とは、私が幼時に祖母に連れられて寺の行事や法事に参加・参列したこと、さらに、少年時代の生活体験をもとにして指摘しています。現在と比べると、日常生活において、仏教にかかわる行事が少なくなく、近隣の人々も、菩提寺とその住職や僧侶との交流があったと記憶しています。しかし、近年では、時々帰る郷里において、そのような雰囲気が薄れていたり、無くなっていたりしている変化が感じられます。寺の境内での盆踊りや年末年始の時期には、以前ほどの信徒らの集まりや賑わいがなくなっています。どうやら、寺や僧侶との結びつきは、葬祭に関連してだけ維持されているように思えます。いや、葬祭についても、最近は葬祭センターができ、寺で葬式を行うよりも、そこに僧侶を呼んで行う例が多くなっているようです。

 こうして、仏教の衰退が社会での目につく現象となり、ニュースのテーマにもなっております。たとえば、NHKのテレビ報道番組で、僧侶が葬祭に招かれお布施を得る機会が少なくなっていたり、たまに求められ遠くの葬式や年忌で経をあげることがあっても、そこで得る布施のみで生活を営むことが難しかったりなど、僧侶の困窮状態を報じているのを見て、深刻さを感じています。また、ネット上で、浄土宗僧侶でジャーナリストの鵜飼秀徳の「『4割が年収300万円以下』お寺経営の厳しい現実」という記事を読んで、深刻さを増しています(注3)。その記事では、現状のままでは、寺社はなくなる一方だと述べています。

(注3)詳しくは、鵜飼秀徳・寺院消滅(2015年 BP)を参照。


 このような状況について、宗教に対する関心、いや仏教への信心が薄れているといえるのですが、その傾向においても、対処しようと努力している僧侶の活躍が報じられています。それ故、仏教の変化を単純にとらえてはいけないと思っております。一般社会での終活ということばの広まりに対して、それだけが宗教の対象ではないと、新たな活躍をしている宗教者つまり僧侶の存在についても注目する必要があります。

3 宗教・信仰の自由の今後――宗教家の活躍

 このような宗教・信仰の自由の現状をみると、今後、この自由はどうなるのかと考えてみたいと思います。もっとも、ここで注目しているのは宗教の中でも仏教についてであって、他のキリスト教やイスラム教などの日本社会での様相については観察していません。ただし、それらの日本社会での少数派の宗教が仏教を圧倒して広まっているとはいえないようです。つまり、日本の社会では、人々の間で宗教の存在意義が薄れているといえても、それは、仏教に対する公権力の抑圧によるものでなく、人々の意識というか精神状態の様相としてそうであるということです。

 人々の精神状態が宗教・信仰とは無縁となっている、あるいは宗教・信仰を疎ましく思っていることに対し、積極的な働きかけをすべきだとして活動している僧侶のことが報じられています。そもそも宗教は、歴史上、真言宗の空海、浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、日蓮宗の日蓮、臨済宗の栄西、曹洞宗の道元などの僧侶とその弟子たちが、人々の間に教えを広め、人々の信心を培ったことを忘れられません。人々の心をつかむ僧侶の力が宗教・信仰の活力を生み出すのだと思っています。

 先ほどあげたNHKの報道においても、都内の若い僧侶が寺院から出て、喫茶店や集会所などで、集まった若者を中心とする人々に語りかけたり議論したりしている場面を見ることができました。そのように、歴史上の僧侶の活躍が今日の社会状態に対応した形で発展していくのかもしれません。この感じを抱くことになった契機は、NHKの報道以外にもいくつかあります。その一つとしてあげたいのは、妙法院門跡門主の杉谷義純を大きく紹介する新聞記事(注4)です。彼は、仏門に入るも、「修行ばかりしていないで社会との接点をもつべきだ」と主張し、大学生時代から、海外に赴き、平和の重みを肌で感じ、仏教が社会から無視されていることを仲間と議論しながら打開しようと活躍をつづけてきています。その活躍は、非政府組織「世界宗教者平和会議」の設立であり、世界の宗教者が教義の違いを超えて平和を祈る「比叡山宗教サミット」の開催などとして現れています。

(注4)日本経済新聞2019年8月4日のThe StyleにおけるMy Story(22頁)参照。


 他にもあげるべき例として、今年の9月に襲来した台風15号で多大の被害を受けた千葉県内で、寺の住職が自分も被災者であるのに率先して近隣住民に生活の維持のための手助けをしている報道を目にしたことです。これは、自治体の行政機関があまり救援の施策ができていないのに比較して、宗教者の活動に意義があることだといえます。・・・このような論述をしていること自体、机上の観念論であって、今後の宗教・信仰の自由に役立つなどとは思えません。読者の皆さんに、考える対象を提示したにすぎません。

 一言指摘しておきたいことは、次の問題です。すなわち、宗教・信仰の自由を侵害する公権力の行為が登場した時のみ、その自由をめぐる憲法問題としてとりあげることでよいのかということです。以上にみたように、宗教・信仰に対する関心が薄れてそれの自由の存在意義が問われる状態についても考えることによって、憲法による自由の保障の意味が明らかになるのではないでしょうか。

 なお、憲法20条は、政教分離原則を保障しており、これの問題は、別の機会にとりあげることにします。

■筆者後記
冒頭の写真は、彼岸の時期にしては後れて庭の片隅に一本だけ咲いた彼岸花です。彼岸の季節感を少々狂わしていることや、従来の数本の姿がなくなったことに照らすと、本欄で語った宗教の自由の実情に何だか合致しているように感じております。

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■著者プロフィール


tomatsu_pf.png 戸松 秀典 憲法学者。学習院大学名誉教授。

1976年、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了(法学博士)。新・旧司法試験委員、最高裁判所一般規則制定諮問委員会委員、下級裁判所裁判官指名諮問委員会委員、法制審議会委員等を歴任。

●著書等
『プレップ憲法(第4版)』(弘文堂、2016年)、『憲法』(弘文堂、2015年)、『論点体系 判例憲法1~3 ~裁判に憲法を活かすために~』(共編著、第一法規、2013年)、『憲法訴訟 第2版』(有斐閣、2008年)『憲法判例(第8版)』(有斐閣、2018年)、など著書論文多数。

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