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奇妙な憲法改正論議(第25回)

学習院大学名誉教授 戸松秀典

はじめに

 本コラムも25回目となりましたので、ここで執筆方針を再確認したいと思います。
 このコラムでは、テーマが憲法にかかわるとはいえますが、いわゆる憲法学上の論議を展開するのではなく、ひろく一般の人に向けて、やわらかく、そして分かりやすく語ることにしています。

 また、とりあげるテーマについて、何か説得したり啓発したりする意図はなく、読者の人たちと一緒に考えたいと思っておりますので、何かご感想やご意見をお持ちでしたら、BOOKウォッチ編集部(記事の末尾参照)へお気軽にお寄せいただければ幸いです(著者)。

1 「憲法」の受け取り方

 本欄は、今回で3年目を迎えます。2年前の2017年8月に、本コラム連載のあいさつ文において、憲法改正論議が盛んである世情を背景としながらも、その論議に真っ向から取り組む姿勢を示しませんでした。難しい憲法論議よりも、身近なことを憲法にむすびつけて、やわらかく語るという方針をかかげ、そのように努めてきました(注1)。

(注1)冒頭に、このことを再確認していただくために、執筆方針として記しておきました。

 ところが、回を重ねた今回、相変わらず目につく憲法改正論議についてひとこと述べておいた方が、本欄での論調の性格がはっきりするように思えたので、避けてきたテーマに正面から取り組むことにしました。それは、身近な事柄に目を向けて、憲法秩序の具体的形成の様相を考えるための基礎ないし前提となる問題です。

 憲法改正論議がどのような内容であるかを語るにあたって、そもそも「憲法」をどのように受け取っているかについて注目する必要があります。カッコつきで憲法としたのは、政治過程においては、私の観察するところでは、どうもそれの認識が通常ではないと思われるからです。

 まず、明治憲法すなわち大日本帝国憲法に対する受け取り方が日本国憲法についても引き継がれていることを指摘できます。かつて不磨の大典として明治憲法が扱われたとき、それは有難いものとして神棚に祀っておくような存在でした。日本国憲法は、そのような存在の明治憲法の改正規定(73条)に基づいて誕生しました(注2)。不磨の大典が全面改正されて日本国憲法となったわけです。ところが、その後、それが日本国おいて自主的に制定されたとはいえないから新たに制定し直すべしとする政治勢力と、誕生した憲法が理想の憲法だから改正には全く反対だとする政治勢力との対立が生じました。これが憲法秩序における改憲派と護憲派の対立としてつづいてきました。注目すべきは、それは、以前にもふれたことですが、政権を担当する自民党が改憲派で、政府と対立する野党が護憲派という、政治状況の在り方として、奇妙な状態であることです(注3)。その状態においては、憲法というとき、それに対する受け取り方が二分され、あるいは多様な理解がなされるので、カッコをつける必要がでてくるわけです。

(注2)日本国憲法誕生の経緯を語る場合、立場の違いにより力点が異なるのですが、私の『憲法』(2015年、弘文堂)7~10頁では、努めて事実を示したつもりですので、参照してみて下さい。
(注3)諸国の政治状況では、憲法秩序・国法秩序を維持しようとするのが与党で、それに対立するのが野党であるのが通常ですが、それとは反対の状況を日本ではみせているのです。ただし、それは、国法秩序の基本である憲法についてであって、国法秩序全体についてそうではないことに奇妙さがあります。

 さらにまた、日本国憲法は、その96条が改正規定として存在するのですが、そこに定めた改正をいかなる法手続きを経て行うかを定めた法律が長い間存在しなかったことも、奇妙です。その法律は、2007(平成19)年にやっと誕生しました(注4)。したがって、日本国憲法も、長年神棚に祀られているかのような存在であったといってよいようです。こういう状況では、憲法を改正するかしないかの論議は、盛んになされていたのですが、いわば空中戦であって、実りのない空しい議論だといってよいと思います。

(注4)正式名は、日本国憲法の改正手続きに関する法律です。

2 「憲法」から生じる奇妙な論議

 このように、日本国憲法は、70年ほどの体験を経ながら、憲法改正についてさんざん議論されたにもかかわらず、それが一度も実現されないまま今日に至っているのです。このことは、独裁国家でも全体主義国家でもなく、議会制民主主義の国家であるといっても誤りではないこの国において、奇妙な事実だといわざるをえないのではないでしょうか。

 このように奇妙だといえることは、次のような他の改憲論議の例にもさらにみることができます。
まず、安倍首相が憲法改正を自分の任期中に達成すべき使命であるかのように説いていることです。安倍首相は、自民党の総裁であり、自主憲法制定を党の綱領に掲げているから、そのような政治責任を唱えているのは当然だといえるかもしれません。しかし、日本国憲法制定以来ずっと、憲法内容の具体化をする法制度の実現を担ってきた自民党が――正確には、途切れた時期もありますが――、自ら築いた成果を憲法違反だというわけにはいかないはずです。このコラムでたびたび指摘してきたように、一般的で抽象的な内容に満ちた日本国憲法の規定を法律および下位の法規定によって具体化することにより、憲法秩序すなわち国法秩序が実現するのです。したがって、トータルに憲法改正ということは、奇妙だといわざるをえません。憲法改正をいうには、どの憲法規定のもとのどのような状態が規定の改正をしなければ世の趨勢に合致しない、不合理さが顕著である、あるいは法秩序のバランスをもたせられないといったことを説かねばなりません(注5)。

(注5)本稿執筆の時点で、安倍首相と自民党は、四つの項目を掲げ、それを憲法改正の対象とするとしていますが、そのことが自主憲法制定の党の綱領とどうして一致するのかの説明がないようです。

 この指摘に対しては、首相の憲法改正論は、9条についてであり、とりわけ、自衛隊の存在を憲法規定に根拠づけるために同条に3項を加えるという案を言っているのだとも受け止めることができます。しかし、この改正案は、しっかりした論議を経た考えだといえそうもないうえに、従来の憲法9条2項の戦力の不保持に関する解釈論との関係が厳しく問われるといえます。その解釈論について、ここで詳しく説明するゆとりがないですが、要するに、自衛隊――その前身の保安隊や警察予備隊――の設置を根拠づける自衛隊法などの法規定がその条項に違反しないことを無理矢理といわれるほどの解釈論により説明してきたのです。それに対して、護憲論者からは、これは、憲法改正をしないで、政府が合憲であることを解釈論上説明し正当化した「解釈改憲」と呼んで批判されておりました。解釈改憲とは、奇妙な憲法論ですが、そのうえ3項を加える改正論が登場すると、奇妙さが重なるといわれそうです。もちろん、ここではその良し悪しに立ち入るつもりはありませんが。

 他にも、実定法の解釈論議の性格からみて、奇妙といえる例はありますが、憲法改正反対論者にみられる例を一つあげておきます。それは、その立場の者は、憲法改正そのものがタヴ―であって、およそそれに言及することが認められないとするものです。日本国憲法96条の規定があっても、そのように厳しく禁じます(注6)。これは、前述のたとえ、すなわち日本国憲法を神棚に祀るということに当たります。

(注6)これは、私が弁護士会の会合で体験したことですが、憲法記念日の講演会のテーマをどのようにするか準備の相談をしていた時、憲法改正にかかわることにふれる内容とする提案が出たことに対して、「憲法改正」のことばを使うこと自体に激しい批判が投じられました。つまり、憲法改正が禁止用語となっていることを知り驚いたのでした。

 最後に、改憲に関する世論の動向を報じるマスコミの報道内容にもふれておきます。それは、「憲法改正に賛成か、反対か」を尋ねたアンケート結果を報道していることです。その質問対象である改正内容が具体化されて、国会での手続き上、衆参の憲法審査会における議論が開始されているならよいのですが、そのようなことなどされていないのに、質問されているのです。そこにいう憲法改正とは、まことに漠然としていて、これを奇妙と思わないのはなぜなのか疑問になります。憲法改正も立法作業に属します。いかなる内容の立法であるかを明示しないで、どうして賛否を問えるのかという疑問です。これも、このコラムでふれている日本社会での性癖、すなわち、長年の慣習に疑問をもたないことの現われかもしれません。「憲法改正に賛成か反対か」とは、長年親しんできた問いかけだという慣習です。

 以上の叙述は、政治分野に働いている複雑な要素をとりいれていないとの批判を受けそうです。そのことは承知であえて憲法改正論議の概容を語り、日本では、法制度上の改革がなかなか進まないことの代表例を示しました。

3 今後の「憲法」

 日本の現在の国法秩序をめぐる議論をするとき、「憲法」とは、日本国憲法のことであると誰もが受け止めるようになるべきです。その受け止め方が基盤となって、現実の法秩序に改めるべきことが生じているなら、そして、その事態にかかわる憲法の規定を改正した方が問題の解決の道であるなら、規定の改正作業に取り組むべきです。それをするための法手続きは用意されています。確認しておきますが、これを憲法改正と呼ぶわけですが、改正の対象となる具体的事態が存在していてそう呼ぶのです。日本国憲法全体をとりかえるなどということは、ここでの憲法改正でなく、革命です。それはもう法の世界の問題でなく政治の問題です。

 そこで、われわれ日本国民は、憲法98条と憲法改正手続法に従って憲法規定の改正を体験してみるとよいと思います。それは、うえで指摘した奇妙な改正論議が姿を消す発端となるでしょう(注7)。

(注7)私としては、本コラムの第2回で述べた参議院の改革が憲法改正の最初の提案になればよいと思っていますが、今の政治状況では、それに取り組む雰囲気など期待できないようです。

 執筆方針とはやや矛盾することを述べてしまったのではないか気がかりとなっています。 次回からは、従来の論調に戻すつもりでいます。

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■著者プロフィール


tomatsu_pf.png 戸松 秀典 憲法学者。学習院大学名誉教授。

1976年、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了(法学博士)。新・旧司法試験委員、最高裁判所一般規則制定諮問委員会委員、下級裁判所裁判官指名諮問委員会委員、法制審議会委員等を歴任。

●著書等
『プレップ憲法(第4版)』(弘文堂、2016年)、『憲法』(弘文堂、2015年)、『論点体系 判例憲法1~3 ~裁判に憲法を活かすために~』(共編著、第一法規、2013年)、『憲法訴訟 第2版』(有斐閣、2008年)『憲法判例(第8版)』(有斐閣、2018年)、など著書論文多数。

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