中学や高校では日本の近現代史をきちんと教えないことが多いといわれる。論者の立場によって歴史の見方が異なるので、教えづらいということもあるのだろう。
本書『日本近現代史講義――成功と失敗の歴史に学ぶ』 (中公新書)は「特定の歴史観やイデオロギーに偏らず実証を旨とする、第一線の研究者による」入門書というのがうたい文句。政府関係の役職も多く、多方面で活躍する山内昌之・東大名誉教授らが編者となり、14人の学者が執筆している。
この種のアンソロジー本の編者というと、通常は名前だけという感じになりがち。ところが、山内氏は「序章」で20数ページにわたって「令和から見た日本近現代史」を書いている。世界史全般にまで視野を広げた壮大なもので、ヘロドトスの『歴史』は悪意の塊であるというプルタルコスの説などを引用、「日本の近現代史に関する東アジアの一部の個性」を考えるときに示唆に富んでいると注意喚起している。日本についても長いスパンで振り返り、過去の日本の「政治家」の中ででは徳川家康を特に称揚している。
本書は13章に分かれている。トップの「第1章 立憲革命としての明治維新」は、瀧井一博・国際日本文化研究センター教授が担当している。明治憲法や伊藤博文の研究で知られ、大佛次郎論壇賞、角川財団学芸賞、サントリー学芸賞などを受賞している。「第3章 日露戦争と近代国際社会」は、サントリー学芸賞、読売・吉野作造賞などの受賞歴があり、本書の編者も兼ねる細谷雄一・慶応大学法学部教授。ラストの「第13章 ポスト平成に向けた歴史観の問題」は吉田茂賞、読売・吉野作造賞、大平正芳記念賞などを受賞している中西寛・京都大学大学院法学研究科教授という具合に、論壇の各賞を受賞した有名学者が並んでいる。
今日的なところで、世間的な関心が高いのは「第11章 日本植民地支配と歴史認識問題」だろう。筆者は木村幹・神戸大学大学院国際協力研究科教授。冷静な分析で評価の高い朝鮮半島問題の専門家だ。木村氏もサントリー学芸賞、読売・吉野作造賞を受賞している。
本稿で木村氏はまず、日本の植民地支配についての議論の中には「明確な誤りを含んでいるものも多い」ということを指摘する。典型として、「日本の植民地支配例外論」、すなわち、日本による朝鮮半島や台湾等への支配は「他国の植民地への支配とは異なることを強調する議論」を取り上げる。日本の植民地支配が、西欧列強の「悪辣な」支配とは異なる「よいもの」だったのか、あるいは、より「悪辣な」ものだったのか。
その詳細は本書をお読みいただくとして、今日、多くの読者の関心があるのは、「日韓関係のこじれ」だろう。木村氏は以下の流れを記す。
・1945年から65年まで、日韓両国の間には正式な国交すら存在せず、ゆえに日本国内に残留した在日韓国人を別にすれば、朝鮮半島の人びとが日本政府や日本企業を直接相手取って問題を提起することは事実上不可能だった。 ・1965年の日韓基本条約とそれに付随する一連の協定で、韓国政府が無償3億ドル、有償2億ドルの経済協力支援金を受け取る見返りとして「締結国及びその国民」の「請求権に関する問題」が「完全かつ最終的に解決」したことを日韓両国が確認した。 ・しかしながら厄介だったのは、経済協力支援金を受け取った時の韓国政府が、植民地支配末期に軍人、軍属、あるいは労働者や「慰安婦」として動員された人々に対して、十分な補償を行わなかったことである。結果としてこれらの人びとの不満は残り、やがて彼らの運動となって現れることになる。
こうした経緯については多くの読者はすでにご存知だろう。本書ではさらに、不満を持つ人々の運動が朴正煕(在位1963~79)、全斗煥(在位1980~88)政権の下では実ることがなかった理由として、当時の韓国経済が日本に大きく依存していたことを挙げる。1970年代前半には韓国貿易における日本のシェアは40%を超えていたが、2010年代に入ると10%を割り込む。韓国経済における日本の重要性は「かつての5分の1以下」になった。60~80年代に韓国を政治的・経済的に支配したエリート層は、過去の日本統治時代を巡る紛争が持ち上がると、その激化を防ごうとしてきたが、現在は「日本の影響力は昔と同じではない」(2012年の李明博大統領の発言)というわけだ。
「今日の日韓両国では『歴史問題の収拾』という火中の栗をあえて拾いに行く人はいない。理由は言うまでもなく、今や彼らにはそのリスクを冒すだけの利益を見出すことができないからである」と木村さんは記す。もはや経済が政治にブレーキを掛けることができない状態になっているのだ。
評者は十数年前にイランを訪れたときのことを思い出した。アメリカとイランの関係は今と同じく緊張をはらんでいたが、街には韓国企業のCM看板が目立ち、宿泊した大手ホテルのパソコンはすべて韓国製だった。「こんなところにまで進出しているのか」と、当時すでに韓国が、世界のあちこちの国々にマーケットを広げていることを目の当たりにして驚いたものだ。
歴史認識問題がこじれている背景に、韓国の経済的な自立があるという分析は、日本人としてもっと知っておいた方が良いのではないだろうか。日本による「経済制裁」が韓国にダメージを与えるのか。むしろ韓国による「訪日観光客抑制」が日本のボディブローになるのか。そのあたりの見極めにも関係してくることになりそうだ。日中関係の確執にも同じような視点が必要なことは疑いない。
本書は一種の「入門編」なので、各章がコンパクトな構成。ただし、各章で参考本が挙げられており、さらに詳しく知りたい読者は手を伸ばすといいだろう。
B00Kウォッチでは、近現代史に関する本を多数取り上げてきた。明治維新関連では『ある明治人の記録――会津人柴五郎の遺書』(中公新書)、『榎本武揚と明治維新――旧幕臣の描いた近代化』(岩波ジュニア新書)、『維新と科学』(岩波新書)など。近代史を1人で書き上げたものでは、『日本の近代とは何であったか』、『近代日本一五〇年』(いずれも岩波新書)や『暴走する日本軍兵士――帝国を崩壊させた明治維新の「バグ」』(朝日新聞出版)を紹介している。また、ベストセラーになった『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮社)のほか、戦争の裏面史では、『なぜ必敗の戦争を始めたのか――陸軍エリート将校たちの反省会議』(文春新書)、『陸軍・秘密情報機関の男』(新日本出版社)、『軍事機密費』(岩波書店)、『機密費外交』(講談社現代新書)、『戦争調査会』(講談社現代新書)、さらに『空気の検閲――大日本帝国の表現規制』(光文社新書)や『大本営発表――改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争』(幻冬舎新書)など多数を取り上げている。
日中戦争の拡大に抵抗した外交官の貴重な証言としては『外交官の一生』(中公文庫)、日本と朝鮮半島の関係では、『韓国を蝕む儒教の怨念』(小学館新書)、『ルポ「断絶」の日韓』(朝日新書)、『朝鮮に渡った「日本人妻」』(岩波新書)など、徳川家康や徳川家については、『戦乱と民衆』 (講談社現代新書)、『徳川家が見た戦争』(岩波書店)など、天皇側近の記録では『宮中五十年』(講談社)なども紹介している。
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