大学の学長は忙しい。学内の会議も多いし、政府関係の審議会の委員なども務めなければならない。自分の本来の研究がストップしてしまう。
本書『機密費外交--なぜ日中戦争は避けられなかったのか』(講談社現代新書)の著者、井上寿一さんも学習院大学の学長。さぞかしお忙しいことと思うが、しっかり著書を出し続けている。
専門は日本政治外交史。2017年には『戦争調査会』の出版が話題になった。戦後、幣原喜重郎首相自身が中心となって進めた「敗戦の原因及び実相調査」についての新書だ。ほかにもこの数年、毎年のように講談社から新書を出している。日本の学長では一番の働き者といえるだろう。
今回は満州事変前後の日中関係がテーマだ。なぜ日中戦争は避けられなかったのか。それを「外交機密費」を足掛かりにしながら分析している。
日本政府は1945年8月14日、降伏に先立って重要機密文書の焼却を閣議で決めた。証拠の隠滅だ。あちこちの役所や軍の施設から煙が立ち上り、重要文書が灰になったことはよく知られている。したがって、機密書類から日本軍や政府の戦前の行状を探るのは非常に難しいとされてきたが、かろうじて生き残った書類もあった。満州事変のころの外交機密費の史料もその一つ。本省と在中国公館との往復電報や機密費の領収書だ。当時はこうした機密の支出でも、責任者は領収書を受け取り、本省に報告する義務があった。これらの史料の分析を通して、満州事変期の機密費外交の内情に迫ったのが本書だ。
外交機密費の使用目的は三つ。「インテリジェンス」、「接待」、「広報」だ。「インテリジェンス」というのは秘密性の高い情報収集活動。エージェントを使って情報を得るケースもある。たとえば、ソ連と国境を接し、様々な民族が入り乱れていたハルビンの領事館では、6人の諜報員を使っていた。日本人1、朝鮮人2、中国人2、ロシア人1人。彼らへの諜報費の領収書も残っている。
「接待」には特にカネが必要だった。ちょっとしたパーティのようなものもあれば、個別の宴席もある。とりわけ重要だったのは、外交官による軍人の接待。単純化していえば戦争拡大を懸念する外交官と、拡大を志向する軍人たちの思惑には大きな違いがあった。そこで外交官は機密費を使って軍人たちと意思疎通を図ろうとする。いまでいう「官官接待」だ。満州事変や満州国の調査のために訪れたリットン調査団に対しても、機密費による接待攻勢があったそうだ。ハルビンでは、これらさまざまな接待に外交機密費の半分を使っていた。
三つ目の「広報」は主にマスコミの手なづけだ。中小の現地メディア、海外メディアだけではない。上海の公使館は、広報外交の担い手として通信社「聯合」の上海支局長松本重治に目を付け接近した。当時の有力なジャーナリスト、内外の要人に知己が多い。彼が官民協力の英文ニュースの配付機構「プレス・ユニオン」の専務理事も兼ねていることに注目し、主にこのプレス・ユニオンの財政強化の名目で資金を渡している。
こうした機密費外交はどこまで奏効したか。結論的に言えば、日中戦争の拡大を食い止められなかった。外務省が中国側の「親日派」に支援の手を差し伸べる前に、「現地軍は中国国民政府の領域を侵食する華北分離工作を進めた。対日妥協路線が限界に達した蒋介石は、不倶戴天の敵の中国共産党と手を組んででも抗日へと転換する」。
本書を読んで痛感するのは、当時の満州、上海などが今では考えられない状況下にあったということだ。各国・各民族それぞれの内部抗争、権謀術数が入り乱れる戦国時代のような様相。そこで和平や謀略など様々な工作が行われていた。誰が敵で誰が味方なのか。そして結局は軍の強硬路線が主導権を握り、自滅する。当時の外交官の任務は、平時とは全く異なった。
戦後、様々な関係者が証言を残している。BOOKウォッチでも長く中国各地で総領事などを務めた石射猪太郎『外交官の一生』(中央公論新社)を紹介済みだ。また、軍側の機密費については『軍事機密費』(岩波書店)も掲載した。
本書では今の時代との比較もしている。たとえば「内閣官房報償費(官房機密費)」。2018年3月に初めて開示されたが、使途の公表や領収書の添付義務はない。支払先も分からない。著者は言う。「戦前並みに領収書を取り、支出先も記録し、非現用文書の扱いになれば原則として公表すべきだろう」。たしかに、戦前よりも情報公開が後退しているというのは悲惨だ。
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