「何しろ、家康公が築いた平和は260年も続きました。70年余りで敗戦になったその後とは、まるで比較になりません」――徳川宗家18代の次女が最近、朝日新聞のインタビュー記事でそう語っているのを読んで「おやっ」と思った。なかなか思い切ったことを言っているなと感じたのだ。
明治維新は「革命」だったと、歴史家の半藤一利さんは近著『歴史と戦争』で断定していた。支配者の座を追われた徳川家の一族は、何とか命だけは助かり、華族として遇されながら明治、大正、昭和の激動を生きた。しかし、複雑な思いは今もあるのだなと痛感した。
本書『徳川家が見た戦争』(岩波書店)は、その徳川家の一人、徳川宗英さんが岩波のジュニア新書として書いたものだ。子供向けということもあってわかりやすい。しかし、語るべきことは大胆に語っている。上述の「18代宗家の次女」の発言と共通するところがある。
宗英さんは1929年、ロンドンで生まれた。田安徳川家11代当主だ。田安徳川家は一橋徳川家などと同じく、御三家に次ぐ御三卿で、将軍家に後継ぎを出す家格だった。
学習院、江田島海軍兵学校を経て戦後、慶応大学工学部を卒業、石川島播磨で海外事業本部副本部長など要職を務めた。95年に退職した後は、全国東照宮連合会顧問や霞会館評議員などの一方、徳川家にまつわる多数の著作も出している。
中学時代は勤労動員も経験し、死を覚悟した軍人の卵。戦後はエンジニア兼国際的なビジネスマン、名誉職兼著述業と多彩な人生を歩んだ。本書は、まず下記のような「まえがき」から始まる。
「日本人が戦争を語るとき・・・誰もが被害者の立場で語ることが多いと思います」
「大規模な戦争を始めたのが日本であることを、ほとんどの人が話さないことに対して、以前から私はおかしいと感じてきました。アジア各国に莫大な被害をもたらし、日本の戦死者や空襲などで死亡した人数の数倍もの人数がアジア各国で死亡したのは、日本軍がアジア各国で戦争をしたからです」
「日本人はいくら平和論を語ったとしても、この点を忘れているのであれば、説得力は持ちません」
江田島の海軍兵学校では原爆を目の当たりにした。1945年8月6日、他の生徒と自習室で机に向かっていたら窓の外で突然、閃光が走り、あたりが真っ白になった。ほどなく轟音と共に窓ガラスががたがたと音を立て、建物全体が大きく揺れた。屋上に駆け上がると、広島市の方向から灰色の巨大な雲のかたまりがムクムクと湧き上がり、急速に上昇しながら勢いよく広がっていく。雲の下の方は不気味に赤く染まっていた。
そして15日。「今日は、対岸まで行こう」と教員に言われて生徒たちはカッターを漕いだ。午後になって学校に戻ると、驚くべき知らせが待っていた。「日本が降伏した」というのだ。「玉音放送」をリアルタイムで聴くことはできなかった。聴かせると生徒が動揺すると心配した教師たちの配慮だった。
徳川家の末裔たちは、この戦争に、さまざまな形で巻き込まれた。本書はその何人かの実例を紹介する。
とくに有名なのは、玉音放送の録音盤をめぐる攻防だ。無条件降伏を阻止しようとする一部陸軍将校は14日深夜、反乱を起こし皇居を占拠、ポツダム宣言受諾を国民に伝える玉音放送の録音盤を奪おうとする。それを隠していたのが、当時の侍従、徳川義寛さんだった。幕末の尾張藩主の孫。反乱軍に殴られたが、隠し場所を明かさなかった。映画にもなった「日本のいちばん長い日」の緊迫シーンだ。もしもこの時、録音盤が奪われていたら...。
本書にはほかにも、明治以降に活躍した何人もの徳川家の人々が登場する。中でも印象深いのは、「世が世なら16代将軍になっていた」徳川家達(1863~1940)だ。若くして英国に留学して国際感覚を身に着け、30年にわたって貴族院議長を務めた。シーメンス事件で山本権兵衛内閣が総辞職したときは、後継首相として組閣の大命も受けたが、辞退した。宗英さんは解説する。
「もしも家達が組閣の大命を受けていれば、『大政奉還以来、半世紀ぶりの徳川家の政権奪回』ということになったわけだが、その先はどうなったかわからない」
「組閣の話が持ち上がったのは、長州閥や陸軍が幅を利かせはじめた大正の初期。平和主義者で『賊軍』の家達が首相になっていたら、その後の原敬や浜口雄幸のように暗殺されていたかもしれない」
ここで垣間見えるのは、明治維新以降の日本を、特に陸軍を牛耳った「長州閥」に対する厳しい見方だ。
江戸時代は中国や朝鮮と友好的な関係を続けていたのに、明治になって、「アジア周辺国蔑視」の機運が生まれた。1874年の台湾出兵、85年の朝鮮王朝の王妃「閔妃暗殺」・・・日清や日露戦争以外にも日本は明治になって周辺国に侵略・クーデターを繰り返したと宗英さんは指摘する。本書の行間からは、明治維新で勝者となった「長州閥」などが、奢りに奢って日本を破滅に導いたとの思いがのぞく。それが維新の敗者、徳川家の側から見た近代史の一面だということだろう。おそらくその思いは冒頭の徳川宗家18代の次女の発言とも重なるのではないか。
本書を読んでわかるのは、著者が平和主義者で中庸を重んじる人だということだ。それは第二章の「戦争がなかった江戸時代」、ご先祖たちがいかに戦乱を避けて安定した社会を築こうとしたかという説明にもつながる。「争いの時代を終わらせた家康」「海外から評価の高い『徳川の平和』」「海外派兵をしなかった江戸時代」などなど。秀吉の朝鮮出兵の後、断交状態だった中国や朝鮮との関係を修復したのも家康だったと強調する。
したがって、著者のスタンスは徳川家の伝統を引き継いだものだ。加えてもう一つ、「海軍兵学校」の教育で醸成されたことも強調されている。そこでの教育の根幹について著者は「士官である前に、まず紳士であれ」だったと振り返る。戦時下でもリベラルな教育が行われていたという。著者が入学する直前の42年から44年までは、日米開戦に強く反対した井上成美・元海軍大将が校長を務めており、その影響が大きかった。
著者は、最近の世間の風潮については、こう記す。
「書店に行くと『嫌韓』『反韓』などといった見出しがついた、韓国を安易に批判したり蔑んだりしたりする書籍や雑誌を目にするようになった。今の私たちにも、中国や韓国を見下げる感情や意識がないか、改めて自省しなければならない」
そして、平和を守り抜くには、日本が起こしてきた戦争の歴史を知り、「失敗体験」を学習することが重要だと説き、「この本が若いみなさんが戦争と平和を学ぶための一助になればと願っている」。
どうやら著者は徳川家だけでなく、近現代史の「語り部」にもなっている。あの戦争はなぜ始まったのか。本書は400年のスパンで明治以降の戦争をとらえたという点で、画期的だ。「徳川家」への身びいきという指摘もあろうが、子供だけでなく、大人にとっても勉強になる。
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