北海道に多数のアイヌ語起源の地名があること誰でも知っている。もう少し南下し、本州の北部にも類した名前があることは、これまた多少は知られている。では本州のどの辺までがアイヌ語地名圏なのか、和語地名との境界線はどのあたりなのか。それについてはいくつかの説があるようだ。
本書の著者の筒井功さんは1944年生まれ。共同通信記者を経てフリーになり、長年にわたり在野の研究者としてそのことを調べてきた。そして、アイヌ語地名の南限線として、奥羽山脈の西側では秋田・山形県境の山地(神室山地と丁岳山地)を、東側ではもう少し南に下って、宮城県の北から三分の一あたりを東西に走る線を境界と想定している。西側は垂直の崖のように明瞭だが、東側は緩やかな斜面のようで、幅広の帯に近いとしている。
こうした境界線を考えるにあたって著者は、①北海道と同じ地名が数か所ある②日本語では解釈がつかない③逆にアイヌ語だと、かなり容易に意味がつかめる④その地名が付いた場所の地形などの特徴が、あてはめたアイヌ語の意味に合致する、という「4つの条件」を列挙している。
この境界線より南には、アイヌ人が地名を残すほど濃密に集団としては住んでいなかったというのが著者の見方だ。
この境界線は、古代の対蝦夷用に作られた城柵の位置よりも北方にある。そのことについて著者は、蝦夷とはアイヌ民族を含む政治的概念であって、畿内に成立した古代律令国家にまだ従属していなかった人びとだとしている。イメージ的にいうと、律令国家領域の北端に柵がつくれられ、柵の北側領域に、律令国家にまつろわぬ人々が住む。その先にさらにアイヌが住むという感じだろうか。「『蝦夷』とアイヌは同じではない」という一章も設けられ、詳しく説明されている。
著者は過去の先達のアイヌ研究を参照しながら、古老の聞き取りや現地踏査を重ねる。デスクワークとフィールドワークをミックスさせているのが特徴だ。当初はバイク、のちに車を使うようになったが、現地では常に車中泊だというから、調査活動も体力的に大変だったことだろう。辺鄙な場所まで入り込み、そこの地形や小さな川の流れを味わい、アイヌが好みそうな場所だと体感して持論を確認する。
秋田の山中には、アイヌ起源と見られる地名がかなり多いそうだ。東北北部にアイヌ地名が多数残っているのは、アイヌと和人が必ずしも敵対したということではなく、むしろアイヌがいつの間にか和人に同化し、地名も継承されたのではないかと著者は見ている。江戸時代には津軽に、わずかだが、アイヌが集団で暮らしていたことが藩に把握されていたことや、明治になっても先祖はアイヌという人が、秋田の山中には住んでいたことなど興味深い指摘も多い。
著者にはこのほか、サンカ、葬儀、猿回しなどに関した著作もある。本書ではマタギについても書き込まれ、「彼らは山のアイヌ人だった」と結論づけている。マタギの隠語にはアイヌ語起源が多いことなど論証には説得力があり、納得してしまう。
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