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勝者の作る歴史だけが、歴史なのか

ある明治人の記録 改版

 明治維新150年――ということは戊辰戦争150年でもある。この戦いに勝利した西郷隆盛は大河ドラマの主人公となって改めて脚光が当たっている。

 一方の敗者は旧幕府軍、中でも会津藩は悲惨だった。本書『ある明治人の記録』は敗者会津人のいわば「遺書」である。1971年に中公新書になってロングセラー、2016年までに57版を重ねて17年12月、新装の改版が出た。

「幕閥」の外にいたにも関わらず陸軍大将に

 主人公の柴五郎(1859~1945)は二つの顔を持つ。明治期の陸軍軍人として華々しく活躍した顔と、旧会津藩士の子息としての顔だ。

 まず、軍人としての顔。陸軍幼年学校、士官学校を出て、軍事参議官、台湾軍司令官などを歴任し、陸軍大将にまで上り詰めている。

 北京で駐在武官をしていた1900年には、義和団の乱がおきた。沈着に防衛戦の指揮を執って日本の大使館をはじめ各国大使館を守り抜いたことで一躍勇名を馳せる。英国のビクトリア女王など各国から勲章を授与された。外国語が堪能で、国際通、中国通として知られた。

 もう一つは会津人としての顔。会津藩士の五男として生まれ、戊辰戦争の末期、いわゆる会津戦争で祖母・母・兄嫁・姉妹は自刃。藩ごと放逐される運命の中で、幼かった五郎も青森県下北半島の火山灰地に移封される。

 「日々の糧にも窮し、伏するに褥(しとね)なく、耕すに鍬(くわ)なく、まことに乞食にも劣る有様にて、草の根を噛み、氷点下二十度の寒風に蓆(むしろ)を張りて生きながらえし辛酸の歳月」を強いられる。そんなどん底生活から、青森県庁給仕として拾われ、14歳の時、陸軍幼年学校に合格、軍人への道が開ける。よほどの俊英だったに違いない。

 その後、さらに猛烈に勉強し、「フランス語なら読み書き不自由なく喋れる」ほどに。いわゆる薩長らの「幕閥」の外にいたにも関わらず陸軍大将にまでなった稀有の人だった。

悲憤慷慨の物語

 本書はその柴五郎が、実の兄弟のように親しかった友人、石光真清さんの息子の石光真人さんに託した幼少時の回想記「遺文」が軸になっている。亡くなる3年ほど前、昭和17年、84歳ごろのことだ。毛筆で半紙にこまごまと書かれていた遺文を初めて見た真文さんは「強いショック」を受けたという。そこには歴史から抹殺された者たちの悲憤慷慨の物語が記されていた。

 真人さんは戦前に早稲田大を出て東京日日新聞に勤め、戦後は日本新聞協会などにも勤務するなど、文章の世界と縁が深かった。柴五郎はそんな真人さんに、遺文のチェックを頼み、真人さんもいろいろと聞き直したりして本書が完成した。

 第一部が「柴五郎の遺書」。五郎少年の脳裏に焼き付いた会津戦争と、その後の苦難の日々がつづられている。第二部が「柴五郎翁とその時代」と題し、編者の真人さんによる補足説明となっている。

 太平洋戦争が始まって間もないころ、すでに退役していた柴五郎は、「この戦は負けです」と確信を持った声で断言していたそうだ。真人さんが様々な情報をもとに反駁しても譲らなかったという。中国通だっただけに、「中国という国は決して鉄砲だけで片付く国ではありません」「日本は彼等の信用をいくたびも裏切ったし面子も汚しました。こんなことで大東亜共栄圏の建設など口で唱えても、彼等はついてこないでしょう」「中国は友としてつき合うべき国で、けっして敵に廻してはなりません」と話していたという。

「血涙の辞」にその無念の思い

 本書を読んで誰もが感じるのは、柴五郎の気骨である。肖像写真からもわかるように、まさに古武士的な風格がみなぎり、威厳がある。本書のタイトルが「ある明治人...」となっているのは、柴五郎が単に明治という時代に生きたということだけではない。その時代が持っていた日本男子の気概と精神的な高邁さを柴五郎が体現していたということだろう。したがって本書は一義的には「ある明治人の記録」である。

 そしてもう一つ、その明治を作ったのは新政府側の人だけではなかったことを知らされる。「賊軍」として否定され、排除された中からも、柴五郎のような人物が現われ、彼等もまた明治という時代を作ったのだ。しかしながら彼らの胸中深くには、「汚名」を着せられ沈黙を強いられた者のみが語り継ぐ、もう一つの物語があった。本書の書き出し部分「血涙の辞」にその無念の思いが凝縮されている。この文章の日本語の格調の高さはまた、改めて柴五郎と彼の生きた明治の時代の格調の高さをしのばせるのである。

 戊辰戦争で勝者となった西郷隆盛は、その10年後に西南の役で敗者に回る。革命の後に勝者の間では必ず内部分裂や新たな権力闘争が起きるのだ。その西郷討ちに、ここぞとばかり駆けつけた会津の残党もおれば、西郷の反乱を、会津旧藩士と志を同じくするものとして加わらなかったものもいたという。会津の恨みを叛徒征伐に利用されてはたまらぬというわけだ。そのあたりを知れば大河ドラマ「西郷どん」への興味はさらに深まるかもしれない。

 真人さんは「柴五郎翁とその時代」という補記の中で、歴史というものがいかに勝者よって都合よく作り上げられるものにすぎないかと嘆息する。「東北に西南に、深い傷跡を残した明治維新は、薩長幕閣政府、官僚独善政府を残して終わった」。

 そしてその後の日中戦争、太平洋戦争――「重大な事実が・・・隠匿され、抹殺され、歪曲されて、国民の眼をあざむいただけでなく、後続の政治家、軍人、行政官をも欺瞞したしたことが、いかに恐ろしい結果を生んだかを、われわれは身近に見せつけられた」。歴史の歪曲、事実の隠蔽は二度と起きないのか? 真人さんは再び不吉な予感を覚えると記す。半世紀前の本書が今なお重い意味を持つ、もう一つの理由といえる。

  • 書名 ある明治人の記録 改版
  • サブタイトル会津人柴五郎の遺書
  • 監修・編集・著者名石光真人 著、編集
  • 出版社名中央公論新社
  • 定価本体700円+税
  • 判型・ページ数新書・182ページ
  • ISBN9784121802521
 

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