本書『朝鮮に渡った「日本人妻」――60年の記憶』(岩波新書)はカットにあるように、「フォト・ドキュメンタリー」。いわゆる帰還事業で朝鮮人の夫と共に北朝鮮に帰った「日本人妻」のその後と現在の姿を写真と文章でつづったものだ。著者のフォトジャーナリスト、林典子さんは過去6年間に11回の訪朝取材を重ね、9人の日本人妻に会い、彼女たちの人生に丹念に迫っている。
林さんは1983年生まれ。国際政治学、紛争・平和構築学を専攻していた大学時代に西アフリカのガンビア共和国を訪れ、地元新聞社「The Point」紙で写真を撮り始めた。
著書に『フォト・ドキュメンタリー 人間の尊厳─いま、この世界の片隅で』(岩波新書)、写真集『キルギスの誘拐結婚』(日経ナショナル ジオグラフィック社)、『フォトジャーナリストの視点』(雷鳥社)、『ヤズディの祈り』(赤々舎)などがある。
2012年DAYS 国際フォトジャーナリズム大賞、13年フランス世界報道写真祭ビザ・プール・リマージュ「報道写真特集部門」Visa d'Or(金賞)、14年NPPA全米報道写真家協会Best of Photojournalism「現代社会問題組写真部門」1位、17 年石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞など受賞。
まだ30代半ばだが、国内外の社会問題やジェンダーをテーマに上記のように多数の著作、受賞歴がある。英ロンドンのフォトエージェンシーに所属し、ニューヨーク・タイムズ、ニューズウィーク、ドイツのデア・シュピーゲルなどに寄稿。日本人の女性フォトジャーナリストとしては、まだ若いにも関わらず、突出して国際的に活躍している人のようだ。
まず、本書をもとにデータのおさらいをしておこう。1945年の戦争終了時、日本国内には約200万人の朝鮮人がいた。このうち約140万人は50年までに朝鮮半島にもどったが、この年、朝鮮戦争が勃発したことなどから、日本にとどまったり、改めて日本に密航してきたりする人もいた。
52年のサンフランシスコ講和条約発効で、日本に住んでいた朝鮮人は無国籍になり就職には一段と苦労した。54年当時、在日朝鮮人の完全失業率は51.4%もの高率になっていた。
58年になって一部の朝鮮人から帰還を希望する声が高まり、北朝鮮の金日成首相が受け入れを表明、59年から帰国事業が始まる。この年の帰国者の4割強は生活保護の受給者だった。日本側には「厄介払い」の思惑もあり歓迎したとされる。
60年の統計だと、一人当たりのGNPは韓国が79ドル、北朝鮮が137ドル。帰還者の大半は韓国側の出身者だったが、事業が始まった当時は、北朝鮮や社会主義に勢いがあった。
84年までに帰国した朝鮮人とその家族は約9万3千人。このうち8割は最初の2年で渡った人だ。いわゆる「日本人妻」は約1830人、その子どもたちも含めて日本国籍保持者は約6800人とされる。「日本人妻」の中の43人だけが、1997、98、2000年の日朝の赤十字事業で「里帰り」している。
本書の著者の林さんは2013年から取材を始めて18年11月までに11回訪朝。最初の数回の訪朝ではほとんど写真は撮らなかったという。これは林さんが他の取材でも心掛けていることのようだ。現在も取材を継続中だが、亡くなる人が相次ぎ、存命中に出版したいと思って、とりあえず本書をまとめたという。
本書は文章が中心の報告だが、林さんは写真ジャーナリストだけあって描写は精密だ。面会回数を重ねる中で、少しずつインタビュー内容を深めるという方法をとっている。
北朝鮮の取材はもちろん当局のOKがなければできない。「案内人」と称する人物が同行する。こうした取材は、国家によってコントロールされており、日朝交渉を有利に導こうとする材料として使われているだけ、という批判があることは林さんも十分承知している。本書でもそのことに触れているが、「日本人が朝鮮半島で一生を過ごすことになったのは、元をたどれば戦前の日本の政策によるものだったことは否めない」と記す。「単純に白か黒か」と決めつけるのではなく、あくまで「人道問題」としてアプローチしている。
取材を繰り返すにつれて、日本人妻と二人だけになる機会も増え、そんな中で話してくれたエピソードなども本書では紹介している。
日本では「脱北者の手記」がいくつも出版され、その中には「日本人妻」のものもある。またアジアプレスなどは潜入取材で「日本人妻」の悲惨な現況を報道している。
林さんも、自分は会えたのは、「日本人妻」約1830人の中の「わずか9人」と断っている。その中でも一人ひとりの経験は異なり、多様だ、とも。
その一人に60年の帰還当時21歳、北海道大学水産学部唯一の女学生だった皆川光子さんがいる。4歳年上の大学の先輩、崔和宰さんと学生結婚、帰還船に乗ったときはお腹のなかに赤ちゃんがいた。その後、崔さんは北朝鮮で水産研究所に勤め、研究者として13冊の著書を出版した。その中に描かれている魚類の絵やグラフの多くは、主婦業のかたわら自宅で光子さんが制作したものだという。
林さんは光子さんと何度も会った。「昔の話をするとやっぱり涙が出ますよね」と光子さん。夫は14年に脳出血で亡くなった。
「私が夫についてここに来たということは、夫のため、ということですからね。だからこそ、この社会の中で必ず夫を成功させて見せると思って生きてきたんです。ですから、夫が社会的に成功したということ、仕事で業績を残したという、そういうときに幸せを感じました」
光子さんの住む元山市には1993年ごろには43人の日本人妻がいた。当時は定期的な交流会もあり、皆で撮った珍しい集合写真も本書に掲載されている。次第に高齢化で亡くなる人が増えて2018年末には4人に減った。交流会も途絶えたという。
本欄では日本と朝鮮半島の近現代史を、やや角度を変えて振り返る本をいくつも紹介している。『増補 遥かなる故郷 ライと朝鮮の文学』(皓星社)の著者、村松武司さんは戦前、朝鮮で生まれ育ち、敗戦によって21歳で「帰還」するまで日本を知らなかった。『近代日本・朝鮮とスポーツ』(塙書房)、『評伝 孫基禎――スポーツは国境を越えて心をつなぐ』(社会評論社)、『無冠、されど至強――東京朝鮮高校サッカー部と金明植の時代』(ころから刊)はスポーツという側面から、朝鮮半島と日本の複雑な近現代史を再考している。『朝鮮大学校物語』(株式会社KADOKAWA)は映画「ディア・ピョンヤン」で国際的に評価された在日コリアン二世の女性映画監督が「日本の中の北朝鮮」を体験的につづっている。『芸者と遊廓』(青史出版)や、『妓生(キーセン)――「もの言う花」の文化誌』(作品社)、さらには『阿片帝国日本と朝鮮人』(岩波書店)は、この方面でのただならぬ両国関係を詳述している。
ところで最近、林さんと同世代の女性で、国際的な視野で戦争や近現代史に迫る人が増えている。『戦争とトラウマ――不可視化された日本兵の戦争神経症』(吉川弘文館)の中村江里さんは1982年生まれ。『マーシャル、父の戦場――ある日本兵の日記をめぐる歴史実践』(みずき書林)の大川史織さんは88年生まれ。『あのころのパラオをさがして――日本統治下の南洋を生きた人々』(集英社)の寺尾紗穂さんは81年生まれ。ドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」監督の大矢英代さんは87年生まれだ。
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