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1507年、宴席に「妓生」をはべらせた日本人がいた!

  • 書名 妓生(キーセン)
  • サブタイトル「もの言う花」の文化誌
  • 監修・編集・著者名川村湊 著
  • 出版社名作品社
  • 出版年月日2001年8月31日
  • 定価本体2800円+税
  • 判型・ページ数A5判・257ページ
  • ISBN9784878933868

 本書『妓生(キーセン)――「もの言う花」の文化誌』(作品社)は、韓国の「妓生」の歴史をたどり、そのルーツや、現代にいたる変遷、さらに日本との関係などをまとめたものだ。貴重な写真や絵柄も多数収録されている。韓国や日本の史料をもとにした研究書だが、一種の読み物にもなっている。著者の川村湊さんは文芸評論家。

釜山の「緑町遊郭」

 本欄では先ごろ、大著『芸者と遊廓』(青史出版)を紹介した。同書には戦前、日韓併合下の平壌には「妓生学校」があって、日本の歌舞も教えられていたという話が出ていた。そこで、もう少し詳しく「妓生」について知りたいと思い、手に取ったのが本書だ。2001年刊だが、近年、類書は見当たらないようなので、本書がほとんど唯一の日本語による分かりやすい「妓生解説書」と言える。ウィキペディアの「妓生」の記述のかなりの部分も本書に拠っている。

 著者の川村さんは、1951年生まれ。法政大学教授。妓生に関心を持ったきっかけは1982~86年、韓国釜山の東亜大学で日本語・日本文学を教えたことによる。

 釜山には戦前「緑町遊郭」があった。この遊郭にいたのは基本的には日本人娼妓だったが、そこには朝鮮人妓生の検番もあり、割烹や料理屋への呼び出しに応じ、性的な接待もしていたという。日本の娼妓と韓国の妓生が混在、併存していたようだ。

 川村さんの釜山赴任当時、この地区は「玩月洞(ワノルドン)」という名になり、新時代の「キーセン」たちの娼館が並ぶ地区に様変わりしていた。緑町遊郭から玩月洞へ。名称は変わっても土地の生業は変わらない。客の多くが日本人という構造も。そこで川村さんは「妓生」に興味を持ち、少し調べてみようと思い立つ。

高麗時代に早くも「官妓」

 本書は「第一章 妓生の歴史」「第二章 妓生列伝」「第三章 表象された妓生」「第四章 妓生の生活と社会」「第五章 妓生学校」「第六章 艶姿妓生 植民地と妓生文化」「第七章 妓生の図像学」「第八章 現代のキーセン」に分けて、妓生の歴史と現状をたどっている。この目次を見てもわかるように、内容はかなり学究的で念入りだ。

 妓生のルーツは諸説あるようだが、高麗(918年-1392年)の時代にはすでに「官妓」として宮中の宴席などで不可欠の存在となっていた。続く李氏朝鮮(1392~1910)の時代には、妓生庁という役所もできていた。「正三位」「従四位」などとして宮廷に仕えていたわけで、日本の芸者とは相当異なる。このあたりは韓流ドラマファンならよくご存知のはずだ。

 歌舞を披露し、性的接待も含めたおもてなしをする。当然ながら、特定の妓生を贔屓にして溺愛する王君や高官もいた。廃止論もあったが、そうすると、かえって一般の婦女に性的な被害が及んで風俗が乱れかねないということで見送られた。

 妓生の重要な仕事に「外交補助」があった。宋、明、清からの使者たちが朝鮮に来ると、妓生を配した酒食、色気付きの宴会で接待する。歴代の朝鮮王朝はこうして中国を懐柔した。自国の辺境を警備する将兵たちを慰撫するためにも、多数の妓生が派遣されていた。

 李朝の500年は「『妓生政治』『妓生外交』によってその平和が保たれていたといってよい」と川村さんは書いている。

「義妓」の名が残る

 この妓生に日本も古くから関わっていた。1507年には、倭の「野人」の宴席に、才色兼備の妓生を供進したという記録が残っているという。度重なる倭寇などもあり、日本に対しても何かと神経を使っていたのだ。

 歴史上有名な妓生も多いそうだ。彼女たちの中には高い教養を誇り、優れた詩歌などを残した才媛もいたからだ。

 さらに「義妓」として名を残し、祀られた妓生もいる。その一人が、論介という名の妓生だ。秀吉の朝鮮侵略で、鉄壁の守りを誇った晋州城は加藤清正軍に攻められ、落城寸前となった。そのとき城内から化粧を凝らし、盛装した女性が出てきた。論介である。彼女の色香と秋波に、好色な倭将がついふらふらと近寄る。巧みに倭将を誘った論介は、倭将の腰に腕を絡ませ南江の流れに飛び込んだ。妓生ながら敵将を倒したということで、彼女は歴史上最も有名な妓生の一人になった。

 1980年代に韓国でヒットした歌謡曲「論介」では、彼女の「祖国愛」がうたわれているという。「日本軍に一泡も二泡も吹かせたということで、これは韓国人たちにとって、痛快で、英雄的な出来事なのである」と川村さん。彼我の歴史認識の違いと「恨」の根深さを改めて知る。

 朝鮮出兵ではほかにも「義妓」の名が残っているという。平壌の妓生・桂月香は、平壌を占領した小西行長軍の副将の寵愛を受けたが、副将が熟眠しているときに朝鮮軍人を招き入れ、副将の首を切り落とさせたという。

中島敦も奇妙な小説

 川村さんは文芸評論家なので、文学的な見地からの解説も多い。日本人が書いた小説で「妓生」がタイトルに出てくるのは一つしかないという。1923年に大阪毎日新聞に連載され、25年に単行本になった『兎と妓生と』だ。著者は作家、文芸史家の木村毅(1894~1979)という人。

 時代は1916年ごろ。主人公は日本軍兵士。朝鮮での「不逞鮮人」によるゲリラ戦で負傷したが、現地で1人の妓生と親しくなる。ところが、彼女の父親は日韓併合に反対して決起し、死刑になった抗日派の大物だった――というあらすじだ。もちろんこの物語は「悲恋」で終わるのだが、日韓併合からさほど時間もたっていない時に、よくぞまあこんなストーリーの小説が書けたものだ、しかも新聞連載されていたとは、とびっくりした。大正デモクラシー時代だったから可能だったのか。

 このほか芥川龍之介にも、平壌の義妓・桂月香が登場する警世的な短編があるそうだ。『山月記』で有名な作家の中島敦(1909~42)は、京城にあった遊郭街で年若い朝鮮人娼婦と交渉を持つ旧制京城中学生の話を『プウルの傍で』という初期の習作に書いている。日本語の分からない朝鮮人少女と、朝鮮語の分からない日本人少年が何もせず狭い部屋で奇妙な時間を過ごす話だ。

 青少年期を京城で過ごした梶山季之の小説『李朝残影』(1963年)にも妓生が登場する。日本人の絵画教師と妓生との交流が軸になっている。ここでも日本人の父は3.1独立運動で朝鮮人を惨殺した日本軍の隊長、妓生の父はその犠牲者という、近現代史を踏まえた設定になっている。

日本でも平安時代に「歓楽街」

 朝鮮半島で妓生が誕生したころ、日本は平安時代。すでに大坂の淀川河口あたりには巨大な「天下一の歓楽街」が出来ていたという。この一帯は山陽・南海・西海の三道が交わる交通の要衝。水辺には民家が連なり、川面には、「娼女が群れをなして舟上で春をひさぐ」光景があったそうだ。有名な美形がひしめき、「上は卿相より下は一般庶民に至るまで、彼女らを愛好し、ついには妻妾にもする」。これは平安時代後期の学者、大江匡房の『遊女記』にしっかり書き残されている。西暦で言えば1100年ごろの話だ。いわば「日本の妓生」を語る貴重な文献史料になっているという。

 本書ではこのほか、和泉式部も遊女だったという説や、妓生と日本の「傀儡子」などとの関連についても触れられている。韓国の話だと思っていた妓生が、いつのまにか日本も無縁ではないと知る。

 川村さんは、「近代の『妓生』は、日本人が遊郭や券番の制度を持ち込み、女衒や置屋のシステムを朝鮮に作り上げていった上に成立したものである。こうした朝鮮における遊郭制度の確立が、従軍慰安婦という制度とまっすぐにつながっていることは疑う余地はない」と記す。

 本書には川村さんが独自に収集した100年ほど前の妓生のブロマイド(絵葉書)も多数収録されている。これはどこかで見たものと似ていると考えているうちに思い出した。日本でも明治中期から「美人絵葉書」がブームになり、そこに登場していたのはおおむね芸者だったのだ。これは『大正昭和美人図鑑』(河出書房新社)に出ていた。

 たぶん、日本の「芸者ブロマイド」が朝鮮の「妓生のブロマイド」の原型だろう。こんなところにも両者のつながりが感じられ、興味深かった。

 日韓関係が相変わらずゴタゴタしているが、本書は歴史を裏側から、100年、1000年単位で眺めて頭を冷やす好書と言える。たぶんすでに絶版だと思われるが、文庫化を期待したいところだ。

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