平昌(ピョンチャン)の冬季五輪に注目が集まっている。朝鮮半島を舞台にしたスポーツの祭典。しかしながら、この五輪のにぎわいから20世紀前半の朝鮮スポーツ史に思いを寄せる人は少ないだろう。
本書『近代日本・朝鮮とスポーツ』(塙書房)は戦前の朝鮮にとって、スポーツとは何だったのか、どのような意味を持ったのか、日本支配との関わりの中で振り返る貴重な論考だ。
「支配と抵抗、そして協力へ」という副題が付いている。本書は二部構成となっており、第一部では帝国日本の視点から朝鮮統治の一環としてのスポーツを、第二部では植民地朝鮮の視点から、朝鮮民族のナショナリズムとスポーツの関係を描く。
そんな大会があったのかと驚くのが、1925年から始まった「朝鮮神宮競技大会」だ。植民地朝鮮の最大級のスポーツイベントだったという。大会に際して、まず会場となる総合運動場の造成が行われた。同じ年に朝鮮神宮も創建された。「スポーツと神社」が朝鮮半島の人々の目の前で強く結びつく。
「内鮮一体」「皇民化」の動きが急だった。全競技参加選手の内訳は日本人53%、朝鮮人47%。ほぼ半々だ。27年の大会からは「マスゲーム」が導入された。3000人の女子学生が参加したこともあった。近年、北朝鮮の各種大会ではではマスゲーム的演出が派手だが、ルーツは意外にもこの大会にあったのかもしれない。ちなみに朝鮮の神社はどんどん増えて、42年には50社以上あったそうだ。
1920年代は、朝鮮人自身から、朝鮮人の身体や健康状態は劣っており、改善・改造が必要だという声があがっていた。東亜日報なども盛んにスポーツイベントを主催した。そうした中で、次第に有力な朝鮮人選手が出始める。35年の全日本サッカー選手権で優勝したのは京城蹴球団だった。同じ年のバスケットの全日本選手権も朝鮮のチームが優勝した。
「日本選手」としてオリンピックに出場する強者も現れ始める。中でも目覚ましい活躍をしたのが36年のベルリンの男子マラソンで優勝した孫基禎だった。
「彼が半島出身であることは内鮮融和の一助ともなるべく種々の点から見てまことに慶賀に堪えない」(東京日日新聞)。しかし、朝鮮メディアの受け止め方は違った。「孫基禎君が優勝したということはすなわち朝鮮青年の未来が優勝したという予言」(東亜日報、36年8月10日号外)。しかも同8月25日付の東亜日報に掲載された五輪表彰式の写真では、孫基禎選手の胸の日章旗が消されていた。総督府は激怒、8月29日、同紙は発行禁止の処分を受ける。「内鮮一体」の手段だったはずのスポーツが、予想外に民族意識を高揚させてしまったのだ。
著者の金誠さんは札幌大学教授。1974年、神戸市生まれ。40年に祖父が朝鮮半島から日本にわたってきた。父はケミカルシューズの裁断工で、母はミシン工だったという在日コリアンだ。本書は「思い入れを持って取り組んだテーマ」だというが、過剰に肩に力が入ったような気負いはない。戦前の植民地支配とスポーツとの関係が、日本と朝鮮の複眼で、淡々と手堅く客観的に叙述されている。
金さんは神戸大学大学院博士課程満期退学。あとがきのところで、「恩師の木村幹先生には大学院を終えてからも、私の研究をご指導いただき...」とあった。木村さんは、神戸大教授。日韓歴史共同研究にも深く関わり、読売・吉野作造賞などを受賞してメディアの評価が高い人だ。なかなかしっかりした弟子を育てていると思った。
本書では当然ながら、ハングルの文献なども参考資料に挙げられている。金さんの専攻はスポーツ史・韓国近代史だという。次は戦後の日本で活躍した在日コリアンのスポーツ選手などをテーマに、フリーライターではできないような、学究的な著作を期待したい。
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