石原慎太郎氏が11年ぶりに文芸誌に連載した作品が、本書『湘南夫人』(講談社)だ。作家活動のかたわら、参議院議員、衆議院議員となり、運輸大臣などを歴任。その後東京都知事(1999-2012)の後、再び国政に復帰したが、2014年に政界を引退した。
16年に田中角栄元首相を題材にした小説『天才』(幻冬舎)がベストセラーとなったが、言ってみれば政界の内幕話。本書は文芸作品なので、石原氏も力が入ったに違いない。
湘南に大邸宅を構え、巨大企業グループを擁する北原家。急逝した三代目当主の若き未亡人・紀子は二代目の非嫡出子・志郎と再婚、志郎が北原産業を率いている。
一方、一族の末端に属する野口建士は音楽評論家だが、クラシック音楽の興行で一山当てたいという野心を持っている。親しく交際する北原夫婦と野口夫婦だが、野口は紀子に惚れていることを公言し、そのピアノの才能を見込んでいる。地方での演奏会に紀子をひっぱり出し、成功を収めた矢先、野口の妻の甥・川上明が登場、物語はさらに混迷の度を濃くする。
陸上自衛隊の少佐だった川上は、海外への後方支援に行っても交戦規定がないことに腹を立て退官したという。またヨットが趣味で、北原、野口夫婦を伊豆諸島の島々へ連れ回し、ダイビングの面白さを教える。思想、趣味ともに川上には石原氏の影響が感じられる。
野口が、日本民族の情念を写しだした交響曲の完成をめざし、紀子を巻き込む。また川上は北原産業に武器製造を提案し、実現に動き出す。野口がプロデュースした新潟での紀子のピアノリサイタルに川上が同行、その夜異変が起こる...。
178ページの中篇だが、テンポのいい展開にページを繰る手が止まらない。タイトルは通俗小説風で、設定も久米正雄や菊池寛らの戦前の通俗小説によくある上流階級に置いている。だが、石原氏はそんなことは百も承知の上だろう。音楽の女神のようなヒロインに登場する男たちがことごとく惹かれていくという現代のメルヘンだ。これぐらいのしつらえをしないと成立しないだろう。
石原氏は一橋大学に在学中の1956年に『太陽の季節』で鮮烈にデビュー、芥川賞を受賞した。反倫理的な内容は当時ひんしゅくを買った。
初出は「群像」18年8月号~19年5月号。作家生活60年にして同誌への執筆は初めてだったというから驚く。何でも若い頃、同誌の編集長といさかいがあったらしい。
書き出しの数ページ、北原、野口夫婦の会話だけで、このややこしい一族の関係を語らせてしまう技法に舌を巻いた。87歳の今も本書のようなビビッドな作品を発表する創作欲は驚異的だ。
評論家の福田和也氏は現役作家を採点した『作家の値うち』において、石原氏の『わが人生の時の時』に最高点を与えている。保守的スタンスに立つ両氏の政治的バイアスを考慮しても、石原氏はやはり政治家としてよりも作家として評価されるべきではないかと考える。
15年に旭日大綬章を受賞、功成り名を上げた石原氏だが、まだまだ健筆をふるっていただきたい。
当サイトご覧の皆様!
おすすめの本を教えてください。
本のリクエスト承ります!
広告掲載をお考えの皆様!
BOOKウォッチで
「ホン」「モノ」「コト」の
PRしてみませんか?