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2020年回顧6 朝ドラ「エール」最終回で歌われなかった大ヒット曲

古関裕而

 高視聴率を維持したNHK連続テレビ小説(朝ドラ)「エール」のモデルは、昭和史を音楽で彩った作曲家、古関裕而(1909-1989)だった。昭和前期、「利根の舟唄」、「船頭可愛いや」などで人気作曲家になった。中でも当時、大ヒットしたのは「勝って来るぞと勇ましく」の歌詞で知られる「露営の歌」(昭和12年)だった。56万枚という戦前最大のレコード売上げを記録した。

多数の戦意高揚の歌

 『古関裕而――流行作曲家と激動の昭和』(中公新書)は、その音楽人生を昭和史の中に位置づけた力作だ。著者の刑部芳則・日本大学商学部准教授(日本近代史専攻)は古関について以下のように記す。

 「古賀政男や服部良一と肩を並べて、流行歌の三大作曲家と呼ばれるようになれたのも、戦争が起きたからである」
 「自分(注:古関)は戦争によって作曲家として活躍する機会に恵まれた。しかし、一方で自分が書いた歌を大衆が支持し、その歌で戦場に送られ、多くの若者たちが死んでいった。そのような矛盾する状況を、古関は終生背負うこととなった」

 多数の戦意高揚の歌を作曲し、戦後は一転、平和を祈る「長崎の鐘」。よく知られる東京五輪の「オリンピック・マーチ」について、刑部さんは興味深い指摘をしている。昭和17年につくった「皇軍の戦果輝く」と同じ終わり方をしている、というのだ。どうやら無意識のうちに、古関の中に眠っていた日本的な旋律が、戦後、オリンピックというもう一つの「勝負」に際し、蘇ってきたのでは、と推測している。

 「エール」は最終回の11月27日、古関のヒット曲メドレーを放送したが、そこには「露営の歌」などの軍歌は登場しなかった。

戦後も戦争の「後始末」に50兆円

 古関のみならず、日本にとって戦前と戦後は、簡単には切り離せない。『太平洋戦争の収支決算報告』(彩図社)は戦後も尾を引く戦争の苦い教訓を、「戦費・損失・賠償」という角度から総括する。

 日本は多くの人命を失っただけではない。官民の在外資産、海外領土も喪失した。国内外の損失はどれほどのものだったのか。また、戦後に国際社会に復帰するためにどれほどの賠償をおこなったのか。戦争を戦費・損失・賠償など、金銭面の数字から解剖すると、あの戦争の本当の姿が見えてくる――というわけだ。

 賠償金を支払う相手は、外国だけではない。自国民に対する戦争の償いも国家財政の大きな負担になった。金額だけでいえば、むしろ、こちらのほうが桁違いに大きい。昭和40年代中盤の段階で、恩給受給者は約280万人。年間総支給額は約2300億円。国家予算の3~4%を占めていた。1994年段階でも約180万人に年間1兆6400億円。国家予算の2.4%に相当する。これまでに日本国内の旧軍人や軍属、戦争被害者に支払われた恩給や遺族年金の総額は50兆円を超えているそうだ。

 本書はこのように戦争を「収支」という面からクールに見つめなおしている。とにかく、いったん戦争をやってしまうと、戦後も後遺症が「カネ」の形でも残ることが理解できる。令和の今も支払いが続いている。戦争にゴーサインを出した責任者たちは、少なくとも日本国の「経営者」としては失格だということがよくわかる。

エリート軍人と下級兵士

 なぜ無謀な戦争に突入したのか。『帝国軍人』 (角川新書)を読むと、その理由がすんなり理解できる。なにしろ、これまであまり知られていなかった秘話やエピソード、裏話が満載。それらをもとに、戦争を指導した「帝国軍人」たちの実像が極めてわかりやすい形で浮かび上がるからだ。

 本書では三つのことが指摘されている。一つは、軍人は官僚であり、公の場では、ミスを認めないこと。事実も改竄・隠ぺいし、自己弁護する。エリート軍人たちの戦後の回顧録は必ずしも信用できない。二つ目は、軍人の中では、作戦系が情報系より力を持つこと。情報が軽視される。三つ目は、独ソ戦についての判断の誤りが、日本の最大の失敗であり、無謀な戦争に突入した理由になったということ。今日の官僚や政治家のふるまいや、「コロナ禍」への政府の対応を考えるときにも、参考になる。

 『兵士たちの戦後史――戦後日本社会を支えた人びと』 (岩波現代文庫)は一般兵士に照準を合わせている。多数の「戦友会誌」の雑多な投稿を丹念にチェックすることで、「下級兵士」の実像を探ると、「エリート軍人」たちの回顧録には出てこない、兵士たちの本音が聞こえてくる。

 「戦友会誌」からわかるのは戦後、「戦友会」に加入することを嫌がる人がたくさんいたことだった。「暴力」「上官支配」が横行した軍隊生活を呪う声が少なくない。「ラバウルの戦友」誌の第8号(1971年)には、ガダルカナルで「隊員が飢餓状態にあるにもかかわらず、肉の缶詰を独占していた大隊長や、米の分配の際に不正をして自分の取り分を増やそうとした中隊長」などの醜聞も掲載されている。

中国に200もの日本人町

 戦争は昭和16年12月8日の真珠湾攻撃で突然始まったのではない。それ以前から日本は中国戦線で戦いを続けていた。『傀儡政権――日中戦争、対日協力政権史』 (角川新書)は日本が中国につくった多数の「傀儡政権」全般について論じている。満州国以外にも主要なもので5つ。短期間だけ存在したごく小さなものも含めると、その数十倍あったという。

 そこでは今日の日本人からは想像もつかないことが起きていた。『従軍慰安婦と公娼制度』(共栄書房)によると、戦前の中国には約200もの「日本人町」があったという。

 日本が占領・支配した地域では、敵対する中国人と雑居が難しく、日本人だけの町をつくる必要があった。1941年4月時点で中国在留日本人は約40万人。大きな日本人町には風呂屋、葬儀屋、美容院、産婆、畳屋、おでん屋など内地なみに何でもあった。中でも際立ったのが、料理店、飲食店、カフェーのたぐいだった。これらの多くは表の看板の商売だけでなく、裏は売春の場所でもあった。

 職業別人口調査によると、中国における日本人の「芸妓、娼妓、酌婦其他」は1940年には1万5041人もいた。本書は、日本人町のこうした場所で働いていた女性たちも広義の「従軍慰安婦」と規定している。

戦争孤児は置き去り

 『論点別 昭和史 戦争への道』 (講談社現代新書)は、昭和の戦争と社会を理解するための10の謎に迫る。著者の井上寿一さんは学習院大学学長。専門は日本政治外交史。「謎」の中には「昭和の戦争は、アジア侵略か解放か?」という問いもある。その答えは自明だろう。

 『かくされてきた戦争孤児』(講談社)は、戦後社会に無視され、置き去りにされてきた孤児たちの口惜しさと無念の思いを、孤児自身による調査や聞き取りをもとにまとめた貴重な一冊だ。『傷魂─忘れられない従軍の体験』(冨山房インターナショナル)は戦後、オペラなどクラシック評論家として有名だった宮澤縱一さんが、九死に一生を得たフィリピン戦の体験記。74年ぶりに復刊されたものだ。『特攻 最後の証言――100歳・98歳の兄弟が語る』(河出書房新社)は人間魚雷「回天」、潜水特攻「伏竜」、水上特攻艇「震洋」という三つの「特攻」を経験した兄弟の回想記だ。

 『陸軍登戸研究所〈秘密戦〉の世界――風船爆弾・生物兵器・偽札を探る』(明治大学出版会)は戦前の日本で行われていた「秘密」の軍事研究について解説したもの。その中には生物兵器の一つ、ウイルス兵器の研究もあった。実際に朝鮮で実験を行い、成功していた。コロナ禍の今、読み返す価値のある本だ。

 同じく敗戦国、ドイツに関しては、『ヒトラーの脱走兵――裏切りか抵抗か、ドイツ最後のタブー』(中公新書)が意外な話を伝えていた。脱走兵は約30万人もいたというから驚く。

 戦後のドイツで「反ナチ」での英雄として称賛されたのかと思いきや、正反対。世間の目は厳しかった。彼らは裏切者、犯罪者とみなされ、のけ者にされたという。ドイツは戦後、ナチズムの過去を厳しく追及し、戦前のドイツと縁を切ったという風に語られることが多いが、この「脱走兵」への対応を見てもわかるように、そう単純ではなかったことがわかる。同書は「脱走兵」を手掛かりに、戦前・戦後のドイツ社会を再考し、「過去の清算」に至る長い道のりを辿っており、日本人にも参考になる。



 


  • 書名 古関裕而
  • サブタイトル流行作曲家と激動の昭和
  • 監修・編集・著者名刑部芳則 著
  • 出版社名中央公論新社
  • 出版年月日2019年11月25日
  • 定価本体880円+税
  • 判型・ページ数新書判・294ページ
  • ISBN9784121025692
 

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