戦後すぐに出版された戦争体験記が、このほど74年ぶりに復刊され、しかも増刷になっている。『傷魂─忘れられない従軍の体験』(冨山房インターナショナル)だ。
著者の宮澤縱一さんは1908年生まれ。京都帝国大学法学部卒。戦後は武蔵野音楽大学教授を務め、音楽評論家としても活躍し、2000年に亡くなった。『私がみたオペラ名歌手名場面』『ビゼーとカルメン』『あなたをオペラ通にする本‼』『プッチーニのすべて』『蝶々夫人』など多数の著書がある。音楽業界ではよく知られた人だ。
『傷魂』は、宮澤さんのフィリピン戦従軍記だ。爆撃で傷つき、治療もされないまま密林に置き去りにされ、死の直前に奇跡的に救われるという「九死に一生」の体験がつづられている。
原著は1946年出版。長く忘れられていたが、2020年8月に復刊本が出た。現代の子どもたちにも分かりやすいように多少手直しされ、ルビも付けられている。
戦争末期の1944年5月に召集された宮沢さんは陸軍一等兵。軍隊では下層生活を強いられた。本書は「奴隷船か、地獄船か」(応召より輸送船の遭難まで)、「崩壊への道」(比島へ、マニラ上陸――セブ島――ミンダナオ島、最初の空襲から山中に逃げるまで)、「受傷――自決――捕虜」、「現世の餓鬼道」に分かれ、絶望の日々を振り返る。
フィリピン戦線では、日本人の戦死者が約51万人。太平洋戦争による日本人戦死者は、戦闘地域別ではフィリピンが最も多かった。個別の激戦地ではガダルカナルや硫黄島が有名だが、それらをはるかに上回る戦死者を記録した。
44年10月からの米軍の大攻勢によって日本軍は追い詰められる。ジャングル奥地への敗走を強いられた。食料はほとんどなくなり、「カエルやヘビがご馳走だった」と宮澤さんも書いている。死者の多くは「餓死」だった。
同じ「皇軍」の兵士が、他の部隊を襲って食料を強奪するなど、信じられないようなことも起きた。戦後も黙して語れないような地獄図が各地で繰り広げられた。
異例の増刷になったのは、国際的バイオリニスト、黒沼ユリ子さん(1940~)が推薦文を書いていることが大きい。黒沼さんは高1で日本音楽コンクール1位になり、若くして天才的バイオリニストとして注目された。当時すでに音楽評論家として名を成していた宮澤さんには「ユリちゃん」と呼ばれて可愛がられたという。プラハの音楽院で学び、長年、メキシコを拠点に世界各地で音楽活動を続けてきたことで知られる。
黒沼さんは本書を読んで、「宮澤先生が、まさかこのように過酷で悲惨な、そして馬鹿げた戦争体験をされておられたお方とは、コレまで夢にも私には想像できないことでした」と仰天した。そして、「かけ替えのない文字と行間に詰められた貴重な思いを、後世の日本人に残してくださったことには、感謝以外の言葉を私には何も見つけられません」「今日の若い人々への必読書といえます」と推薦の言葉を記している。
戦後、オペラなどクラシック評論家として有名だった宮沢さんが、戦争中は一兵卒としてカエルやヘビを食べていたというのは、確かに衝撃だ。
文化人のフィリピン戦の体験者では、戦後日本を代表する作家の一人、大岡昇平さんが有名だ。自身の体験をもとに『レイテ戦記』『野火』など不朽の名作を残した。
『昭和とわたし 澤地久枝のこころ旅』 (文春新書)によると、大岡さんがフィリピンで所属していた部隊の兵士はほとんどが死んだ。「自分は生きて帰ってきたけれども、帰ってこなかった大勢の人間に一人一人かけがえのない人生があった」と大岡さんが語るとき、たいがい絶句し、大粒の涙を流したという。澤地さんはそんな大岡さんを何度も見たと書いている。
「新書大賞2019」を受賞したベストセラー『日本軍兵士』(中央公論新社)にもフィリピンの話が出てくる。戦争末期のルソン島では、日本軍にとって一番の敵は米軍、二番目は地元フィリピン人のゲリラ、三番目は流浪化して友軍の食料を狙う日本兵の一群だったという。強盗殺人もいとわない彼らは「ジャパンゲリラ」と呼ばれていたそうだ。
BOOKウォッチでは関連で、『兵士たちの戦後史――戦後日本社会を支えた人びと』 (岩波現代文庫)、『太平洋戦争の収支決算報告――戦費・損失・賠償から見た太平洋戦争』(彩図社)、『戦慄の記録 インパール』(岩波書店)なども紹介している。
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