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飢餓のガダルカナルで大隊長は肉の缶詰を独占していた・・・

兵士たちの戦後史

 タイトルを見ただけで、何となくわかったような気分になる。『兵士たちの戦後史――戦後日本社会を支えた人びと』 (岩波現代文庫)。あの戦争を戦った元日本軍兵士が、戦後の日本社会でどう生きて、どんな思いを抱いていたかという物語――。

 たしかにその通りの内容だが、いろいろと認識を新たにするような話が出てくる。とにかく「エビデンス」が豊富なのだ。「元日本軍兵士」と言っても多様で、決してひとくくりにできないことがよくわかる。

「日本軍兵士」の多くは餓死

 著者の吉田裕さんは1954年生まれ。一橋大学大学院社会学研究科特任教授。東京大空襲・戦災資料センター館長。2017年に出した『日本軍兵士――アジア・太平洋戦争の現実』 (中公新書)がベストセラーになった。アジア・太平洋賞特別賞や新書大賞を受賞。BOOKウォッチでも紹介した。

 同書の最大の特徴は、兵士たちの最期が、実は悲惨なものだったということを克明に伝えたこと。「壮絶な戦死」の実相を、これでもかというくらい綿密に綴っていた。

 アジア・太平洋戦争の日本人の戦没者は、日本政府によると、約310万人。軍人・軍属が約230万人、外地の一般邦人が約30万人、空襲などによる日本国内の戦災死没者が約50万人。この中で多数を占める軍人・軍属の死で最も目立つのは「餓死」だったというのだ。

 栄養失調による餓死と、栄養失調による体力消耗でマラリアなどに感染して病死した広義の餓死を合わせると140万人(61%)と見るのが元一橋大教授の藤原彰氏(『餓死した英霊たち』)。これを過大とする現代史研究者の秦郁彦氏も、37%という餓死推定率を示し、「内外の戦史に類を見ない異常な高率」(『旧日本陸海軍の生態学』)と指摘しているという。どちらにしても相当な数字だ。

 形式上は「戦病死」とされていても、実態は異なる死も多かった。代表格が「自殺」「自決」だ。さらに怖いのが「処置」だという。

 上官の命令による「他殺」である。傷病兵など足手まといの兵士に自決を勧告、応じなければ射殺、もしくは衛生兵による「注射」――同書にはそうした「戦死」の実相がこってり記されていた。

『日本軍兵士』の原点

 本書は、2011年7月、「シリーズ戦争の経験を問う」の一冊として岩波書店から刊行され、このほど文庫化されたもの。したがって原著は『日本軍兵士』よりも前の刊行だ。以下の構成となっている。

 序章 一つの時代の終わり
 第一章 敗戦と占領
  1 戦場の諸相
  2 敗戦と復員
 第二章 講和条約の発効
  1 講和条約の発効と 「逆コース」
  2 旧軍人の結集
  3 「戦記もの」ブームと 「戦中派」の登場
 第三章 高度成長と戦争体験の風化
  1 高度経済成長下の日本社会
  2 戦友会・旧軍人団体の発展
  3 「戦記もの」の動向
 第四章 高揚の中の対立と分化(一九七〇年代‐一九八〇年代)
  1 戦友会・旧軍人団体の最盛期
  2 最盛期の背景
  3 変化の兆し
  4 語り始めた元兵士たち
 第五章 終焉の時代へ
  1 旧軍人団体の活動の停滞
  2 侵略戦争論への反発
  3 持続する変化
 終章 経験を引き受けるということ

 本書執筆のきっかけは戦場体験者の急減だ。会員の死亡や高齢化で「戦友会」は次々と解散、戦後を生きた「元兵士」は減る一方。 著者はジャーナリストではないので、最後の生き証人に改めて取材したり、インタビューしたりしたわけではない。現代史の研究者として、元兵士たちが書き残してきた手記や証言に注目する。そこから改めて彼らの戦後を浮かび上がらせている。その手法がのちに『日本軍兵士』でも生かされたと言えるだろう。

上官と下級兵士に情報格差

 旧軍人の回顧録には、実は「格差」が存在することはよく知られている。戦争が終わって10年もたたないころ、早くも「戦記・戦史」の出版ラッシュが訪れた。筆者の多くは、「元高級将校」。戦争を推進した人たちだった。彼らは豊富な情報を持っており、執筆するだけの知力、ネットワークもあった。主たる狙いは、戦争の正当化だった。

 続いて下士官クラスの実録物が登場する。数多く出版された。「日本軍の威勢の良いものほど売れ行きがよい」(読売新聞、1956年4月14日)という戦記ものブームが起きた。しかし、読売新聞が「戦記もの"ブーム"をどう見るか」という投稿を募集したところ、集まった400通のうち、批判的、否定的なものが260余通、肯定的なものが80余通、ブームは間もなく消滅する、が50余通だったという。

 「文藝春秋」は1955年、幕僚将校や司令官クラスを執筆者に「日本陸海軍の総決算」という特集を組んだ。当時の編集長によれば、「将軍や参謀は敗戦の責任者であるのに反省していない」という投書が多かったという。

 この当時の「戦争回顧もの」の執筆者は、軍の階級的には下士官が下限。一般兵士の手記はあまりなかった。そのことについて作家の野呂邦暢は、1975年のエッセイで、「下級兵士たちは戦場においても情報を得ることが極めて稀で、自分がどこの何という地点に居るのかさえ知らないことが多い。ただ無我夢中で戦うだけである。経験した戦いを戦後振り返ってみても、自分がいつ何をしたかということが断片的な記憶の域からでない」と書いている。つまり、まとまった何かを書き残そうとしても、将官たちとは情報格差があった。

軍隊は地獄だった

 そこで吉田さんが注目したのは、「戦友会誌」のたぐいである。かつては戦友会ごとに保管されていたが、会員の死亡や高齢化で戦友会を解散、会報がまとめて図書館などに寄贈されるケースが増えてきた。そこには雑多な投稿が掲載されている。それらを丹念にチェックすることで、「下級兵士」の実像を探った。本書の「エビデンス」となっている。

 まず「戦友会誌」からわかるのは、「戦友会」に加入することを嫌がる人がたくさんいたことだった。たとえば「ラバウルの戦友」第3号(1970年)には、「しごかれた胸糞の悪い思い出ばかり・・・1、2号代ご送金しますが、以後は打ち切ってください」という投稿が載っている。編集者は「同趣旨の来信は他に3通あり」と記している。

 歩兵第六二連隊(香川・善通寺)は1984年、中隊史の編集への協力を呼び掛けた。元兵士の一人から、こんな返事が届いた。

 「あの戦時の中隊内は一生わすれない暴力の集団です。ですから中隊の会合又刊行等には不参加させていただきますので今後一切便りをくれないで下さい。鬼のような古参兵にはいまだに『いきどおり』を思います・・・一生のうち一番ぢごくでくらしたやうなもの」

 金沢で編成された歩兵第七連隊の戦友会「歩七会」の組織率は24.5%。実際に、戦友会の会員になっても、活動していたのは一部にとどまっていたようだ。「歩五八会」(新潟・高田)は1972年6月、「中隊懇親会の案内」を170人に往復はがきで送ったが、出席35、欠席45、残りの90人からは「何の連絡もなかった」という。戦後の「戦友会」に積極参加していたのは「元兵士」の一部だったことがわかる。

「遺族への配慮」が殺し文句

 「会誌」には意外な側面があった。かなり手厳しい内容の寄稿でも、「戦友」によるものなので、掲載されることが少なくなかったのだ。

 たとえば、先の「ラバウルの戦友」誌の第8号(1971年)にはガダルカナルで「隊員が飢餓状態にあるにもかかわらず、肉の缶詰を独占していた大隊長や、米の分配の際に不正をして自分の取り分を増やそうとした中隊長」などの醜聞も掲載されている。こうした投稿に対しては、実態は認めつつも「遺族が読まれた場合、どのような感をもたれるであろうか」という反応もあった。「遺族への配慮」が、証言を封じる「殺し文句」となっていたことがわかると吉田さん。。

 「南京事件」についてはこんなこともあった。陸軍将校OBなどの団体、偕行社の機関誌「偕行」が、1984年4月号から85年2月号にかけ「南京戦史」を連載した。南京事件が架空だということを論証しようとした企画だった。ところが、捕虜などの大量虐殺を裏付ける史料や証言が次々と現れてくる。結局、85年3月号で「『証言による南京戦史』(最終回)〈その総括的考察〉」を掲載し、「この大量の不法処理には弁解の余地はない。旧日本軍の縁につながる者として、中国人民に深く詫びるしかない。まことに相すまぬ、むごいことであった」との立場を明確にしたという。その後、さらに内部で論争が続いたそうだ。

 本書では、「戦友会会誌の変化」「加害行為への言及」「内部論争の公然化」「旧陸軍航空隊関係者内の対立」「部隊史に対する批判・部隊史の変化」「慰安婦問題をめぐる論争」「語り始めた元兵士たち」などの項目もある。上級、下級など軍の階級間の対立だけでなく、上級の中でも意見対立があったことがわかる。

殺人、強姦、極限状態の人肉食

 海軍飛行科予備学生第十四期の戦友会では、集まりに来ない多くの仲間を「レジスタンス組」と呼んでいた。その一人は、「私は一日に少なくとも一回は戦死した奴のことを思い出す。『生きている奴とはつき合っていなくても、死んだ奴とはつき合っている』」と書き残している。このほか、度胸試しの殺人、強姦、極限状態の人肉食などを戦後の手記で証言した人もいる。戦場から生き返った元兵士が、どのようなトラウマを抱えながら戦後を生きたか、よくわかる構成となっている。

 「序章」の冒頭では、井上靖の「昭和も遠く」という一文が引用されている。あの戦争で兵士として死んでしまった若き友人たちを偲ぶ内容だ。作家の静かな怒りが伝わり、一読に値する。

 BOOKウォッチでは関連で『帝国軍人』 (角川新書)、『戦慄の記録 インパール』(岩波書店)、『ノモンハン 責任なき戦い』 (講談社現代新書)、『なぜ必敗の戦争を始めたのか』(文春新書)、『日本人はなぜ戦争へと向かったのか 戦中編』(NHK出版)、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫)、『論点別 昭和史 戦争への道』 (講談社現代新書)、『戦争とトラウマ――不可視化された日本兵の戦争神経症』(吉川弘文館)、『保守と大東亜戦争』(集英社新書)、『みんなで戦争――銃後美談と動員のフォークロア』(青弓社)、『帝国軍人の弁明』(筑摩選書)、『マーシャル、父の戦場――ある日本兵の日記をめぐる歴史実践』(みずき書林)、『特攻――自殺兵器となった学徒兵兄弟の証言』(新日本出版社)、『不死身の特攻兵』(講談社現代新書)、『海軍伏龍特攻隊』(光人社NF文庫)、『陸軍・秘密情報機関の男』(新日本出版社)、『僕は少年ゲリラ兵だった――陸軍中野学校が作った沖縄秘密部隊』(新潮社)、『増補 南京事件論争史』(平凡社)、『戦前不敬発言大全』(パブリブ刊)、『文書・証言による日本軍「慰安婦」強制連行』(論創社)、『陸軍登戸研究所〈秘密戦〉の世界――風船爆弾・生物兵器・偽札を探る』(明治大学出版会)、『731部隊と戦後日本』(花伝社)、『証言 治安維持法』(NHK出版新書)、『抹殺された日本軍恤兵部の正体――この組織は何をし、なぜ忘れ去られたのか? 』(扶桑社新書)、『アメリカの原爆神話と情報操作』(朝日新聞出版)、『本土空襲 全記録』(株式会社KADOKAWA)、『大本営発表』(幻冬舎新書)など多数を紹介済みだ。



 
  • 書名 兵士たちの戦後史
  • サブタイトル戦後日本社会を支えた人びと
  • 監修・編集・著者名吉田裕 著
  • 出版社名岩波書店
  • 出版年月日2020年2月24日
  • 定価本体1540円+税
  • 判型・ページ数A6判・370ページ
  • ISBN9784006004163
 

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