いま放送中のNHK連続テレビ小説(朝ドラ)「エール」では、主人公がつくった流行歌のレコードが売れず、専属契約しているレコード会社からクビを宣告されようとする、前半の佳境に差し掛かっている(2020年6月2日)。モデルは昭和史を音楽で彩った作曲家、古関裕而さん(1909-1989)。
BOOKウォッチでは、古関さんの長男、古関正裕さんが父母の出会いに焦点を当てたノンフィクション『君はるか』(集英社インターナショナル 発行、集英社 発売)を放送直前に紹介したが、第三者が客観的に古関裕而を昭和史に位置づけたのが、本書『古関裕而――流行作曲家と激動の昭和』(中公新書)である。
著者の刑部(おさかべ)芳則さんは、日本大学商学部准教授の日本近代史の研究者。著書に『洋服・散髪・脱刀』(講談社選書メチエ)、『明治国家の服制と華族』(吉川弘文館)など。「エール」でも風俗考証を担当している。
ドラマでの展開はともかく、本書によると、レコード会社、コロムビア(「エール」ではコロンブス)はデビューから2年間、ヒット曲を出せない古関と再契約せず、解雇しようとした。
この噂を耳にした同期の作曲家、古賀政男が「芸術家にはスランプがつきものである。それを理由に、契約を解除されたのでは、作曲家は全く立つ瀬がない」と抗議。古関も長女が生まれたばかりで路頭に迷う、と再契約を懇願。妻の金子も「ヒットを必ず生むから」と食い下がり、なんとか契約解除は免れたが、給料は半額に減額されたという。
古関は会社からあまり期待されず、ご当地ソングの作曲を任されていた。昭和9年の「利根の舟唄」(歌手はミス・コロムビア)が初のヒット曲となり、翌年の「船頭可愛いや」が大ヒットした。歌った音丸は、麻布十番の下駄屋の娘だったが、美声の持ち主だったので、芸者のコスプレをさせて売り出した。ドラマも忠実にこれをなぞっているようだ。刑部さんは「元祖アイドル歌手」と書いている。
このあたりが、「第二章 流行歌の作曲に苦悩する日々」に描かれている。
「勝って来るぞと勇ましく」の歌詞で知られる「露営の歌」が昭和12年、大ヒットする。満州旅行の帰りの列車の車中で、「東京日日新聞」(毎日新聞の前身)が募集した「進軍の歌」第二席の歌詞に曲をつけたのだった。下関から東京までの十数時間の間につくった短調の曲が古関の人生を変えた。56万枚を売り上げ、戦前の流行歌の売り上げ枚数トップとなった。駅では出征兵士を見送るときに合唱されるようになった。
この後も「麦と兵隊」、「暁に祈る」と戦意高揚の歌をつくる。さらに、太平洋戦争中も「比島決戦の歌」、「嗚呼神風特別攻撃隊」などの歌も。軍の意を受けたレコード会社の要請に従ったと言えば、それまでだが、刑部さんはこう書いている。
「古賀政男や服部良一と肩を並べて、流行歌の三大作曲家と呼ばれるようになれたのも、戦争が起きたからである」 「自分は戦争によって作曲家として活躍する機会に恵まれた。しかし、一方で自分が書いた歌を大衆が支持し、その歌で戦場に送られ、多くの若者たちが死んでいった。そのような矛盾する状況を、古関は終生背負うこととなった」
戦後の足跡については、「第五章 平和に鐘は鳴り響く」「第六章 東京オリンピックの栄光」「第七章 テレビに流れる古関メロディー」「終章 努力する天才作曲家」という構成。
よく知られるオリンピック・マーチについて、刑部さんは興味深い指摘をしている。組織委員会から「日本的なもの」とリクエストされたという。雅楽や民謡を用いることはしなかったが、「君が代」の後半部分を取り入れたそうだ。昭和17年の「皇軍の戦果輝く」と同じ終わり方をしている、と指摘している。
「おそらく22年も前に作曲し、しかもヒットしなかった『皇軍の戦果輝く』」を忘れていたと思われる」
「忘却こそ創作の泉」と述べている古関の中に眠っていた日本的な旋律が、戦後、オリンピックというもう一つの「勝負」に際し、蘇ってきたのでは、と推測している。
戦前、戦中の影を背負いながら、戦後は「長崎の鐘」に代表される光に満ちた活力にあふれる曲を送り続けた。そういう意味で昭和史を代表する作曲家だったと言えよう。
刑部さんは、近代史の研究者にしては珍しく、昭和の歌謡史や芸能史に詳しいことを自負している。中央公論新社の編集者との打ち合わせの日に、偶然NHKの朝ドラが「エール」に決まったことから本書の執筆が決まったという。巻末の資料を見ると、昭和歌謡オタクだからこそ書けた本だと思った。要所は歴史研究者の眼で締めているので、コンパクトながら、古関裕而にかんする決定的な評伝になるだろう。
BOOKウォッチでは、ドラマで妻の音を演じている二階堂ふみさんのフォトブック『「二階堂ふみ in エール」PHOTO BOOK』(東京ニュース通信社)も紹介している。
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