2020年2月にBOOKウォッチで紹介した本が、年末になって改めてアクセスランキングの上位に復活している。『天皇と戸籍――「日本」を映す鏡 』(筑摩選書)だ。秋篠宮家の長女・眞子さまが2020年11月13日、小室圭さんとのご結婚は「必要な選択」とする2人の「お気持ち」を発表されたことに関係しているようだ。
同書は「婚姻」の説明から始めている。一般国民が結婚する場合、戸籍法に基づき、夫婦共通の氏を定めて婚姻届を提出し、それが役所で受理されれば婚姻成立となる。これに対し、皇族の結婚はそうした戸籍法の規定通りにはいかない。
例えば秋篠宮眞子女王と小室圭さんの結婚問題。皇室典範によると、皇族女子が一般国民と結婚すると、皇族の身分を失う。新たに戸籍法の適用を受けることになり、彼との夫婦の戸籍が創設される。一般国民とは異なる手続きがある。そこに、いくつかの問題があるという。
まず、夫婦の「氏」について。民法では「夫又は妻の氏を称する」と定められている。実際には96%の夫婦が、夫の氏に妻の氏を合わせている。もちろん逆でもよい。もし、皇族女子がそれを望み、相手が受け入れるなら、彼女が戸籍の筆頭者になる。だが、皇族には氏がない。どうなるのだろうか。
夫の氏に合わせることにした場合でも、問題が残る。もし離婚した場合、元皇族女子の氏はどうなるのか。復帰すべき氏がない。"実家"(天皇家)に戻ることができるのだろうか。
同書によれば、明治期の旧皇室典範で、天皇および皇族は「皇統譜」によって身分が登録されることになった。そこに出生、死亡、婚姻、離婚などの情報が記載される。「臣民簿」をつかさどる戸籍法の適用は受けない。皇族の身分を離脱したとき、新たに戸籍が創設される。「戸籍」と「皇統譜」の二元体制だった。
現行憲法および皇室典範の下でも、天皇および皇族が皇統譜によって身分関係が登録されるという原則は変わっていないという。1948年施行の現戸籍法でも、天皇および皇族には適用されないことになっている。
「眞子さま問題」は、このように改めて「皇族」の現実を「戸籍」「皇統譜」という切り口から映し出す。
『近代皇室の社会史』(吉川弘文館)は明治以降の皇室史を「家族」や「家庭」という視点からとらえなおしたものだ。副題は「側室・育児・恋愛」。純然たる学術書なので、女性週刊誌的なミーハーなノリではない。しかしながら、学術書であるがゆえに、かなり思い切ったところまで踏み込んでもいる。平成・令和世代には初耳のような話も多い。
同書は、日本国憲法下でも皇統の護持、天皇制の維持ということが国家にとって必要なことであるなら、天皇・皇太子・皇孫の婚姻のあり方について、もっと目を向けるべきだとする。婚姻に自由意思を認めるのか、一夫一婦制か、側室を許容するのか。皇統の護持を最優先するなら、一夫一婦制は採りづらい選択だったはずだが、なぜそこに収斂していったのか。明治、大正の時代を振り返りつつ以下のように問いかける。
「天皇睦仁(明治天皇)に側室がいたことは、その親王・内親王がすべて庶子であることから明らかである。一方、その孫・裕仁(昭和天皇)に側室がいなかったことは、『牧野伸顕日記』に記されている宮中女官改革の経過などによりまた、明らかであろう。では、その間にいる嘉仁(大正天皇)はどうであっただろうか」
同書は明治期から説き起こし、「明仁・美智子の時代――昭和戦後期」で終わっている。その後を語る興味深い本がある。『雅子さま論争』 (洋泉社新書y)だ。2009年刊だ。雅子さまは当時、心身の不調による療養が長引いていた。公務も欠席しがち。メディアのバッシングにさらされていた。そんな状況を背景に、7人の筆者が、それぞれの専門分野や関心事をベースに独自の分析を展開している。きわめて示唆的な論考が多い。
同書の中心的な執筆者で、『近代皇室の社会史』の著者でもある森暢平・成城大学准教授(当時)は重要な指摘をしている。一言でいえば「時代の変化」だ。いまや「天皇や皇族が、『国民』を象徴することが難しくなった時代」なのだという。戦後の復興と民主化、高度成長――近代家族のモデルとして機能した美智子妃の時代と違い、共通の夢や希望を語れなくなったのが今の時代だと指摘する。
「雅子さまは、美智子さまが皇室入りした時とは違う時代に生きている。それは、雅子さまにとってはきわめてやりづらい環境なのである」
とりわけ、つい最近まで存在していた「皇室タブー」が「なくなってしまった(ように見える)」ことに注目している。皇室について「何でもありの状態」になっているというのだ。
その「何でもあり」状態で最近、週刊誌などのターゲットになっているのが冒頭の秋篠宮家だ。10年余り前、「雅子さま」を批判していた週刊誌は、今や「紀子さま」に照準を絞り、毎週のようにあれこれ書き立てる。皇室関係は、何を書いても告訴されることがまずないこともあり、おいしい素材となっている。
ジャーナリストの矢部万紀子さんは近著『雅子さまの笑顔』(幻冬舎新書)で、紀子さまについて、「41年ぶりの男子誕生という慶事で、『皇室の危機を救った』と評価された。だがそれは一方で、『本来、長男の嫁である人の仕事を、次男の嫁がしてしまった』ことでもあり、その落差にメディアがつけ込んだのだと思う」「紀子さまの表情を追うと、やはり悠仁さまの誕生以降、厳しくなっている」と書いていた。
秋篠宮家を巡る問題の背景には、矢部さんが示唆するように、皇位継承や女性天皇の問題がある。古代まで歴史を振り返れば多数の戦慄すべき事件があったことを忘れることはできない。
『皇子たちの悲劇――皇位継承の日本古代史』(角川選書)は、天皇(大王)になれなかった大昔の「悲劇の皇子」たちにスポットを当てる。天皇の座をめぐって権謀術数が渦巻き、あまりにも多くの皇子が非業の死を遂げていることに驚かざるをえない。
同書には時代ごとに多数の系図が掲載されている。不慮の死を遂げた「皇子(王子)」は黒い太枠で囲まれている。嫡流なのに天皇になり損ねたケースが少なくない。「悲劇」が多発していたことが一目瞭然だ。
蘇我系王族と非蘇我系王族、それぞれの嫡流と非嫡流を軸として抗争が繰り広げられた数十年の間には、7人が黒枠で囲まれている。厩戸王子(聖徳太子)はこの時期の人だ。壬申の乱を経て天武、持統が王権を確立したが、その前後には有間王子、大津皇子、長屋王などが黒枠になっている。
『持統天皇――壬申の乱の「真の勝者」』(中公新書)は、天智の弟、天武には"汚名"が付きまとったと書いている。いったん出家し皇位継承者の資格を捨てたにもかかわらず、天智の子の大友皇子を倒して即位したからだ。端的に言って皇位の簒奪者だった。ゆえに、天武の妻だった持統は、この天武を「神」として祭り上げることですべてを帳消しにした、と同書の著者の瀧浪貞子さんは指摘していた。この時期に記紀の編纂が始まり、古代天皇制がほぼ完成したとされている。
同書を読むと、改めて「女性天皇」をめぐる昨今の事情を想起せざるを得ない。持統の時代を振り返ればわかるように、女性天皇が生まれるのは、天皇家にとって平穏な時代ではなかったことが少なくないからだ。そこではさらに「その次」をめぐる混乱も待ち受けている。
読売新聞政治部が書いた『令和誕生―― 退位・改元の黒衣たち』(新潮社)によると、麻生太郎副総理は「皇室のことなら壬申の乱を勉強しないといけない」と語っていたそうだ。妹が皇室に嫁いでいる麻生氏にとっては、切実な思いかもしれない。読売新聞政治部は、同書で、仮に世論が「愛子派」と「悠仁派」に二分されるような事態になれば、「国民統合の象徴」である天皇の地位は足元から揺らぐおそれがある、と憂慮していた。
BOOKウォッチでは関連して『建国神話の社会史――史実と虚偽の境界』 (中公選書)、『京都を壊した天皇、護った武士』(NHK出版新書)、『天皇と右翼・左翼』(ちくま新書)、『公家源氏――王権を支えた名族』 (中公新書)なども紹介した。
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