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天皇家にはなぜ「戸籍」がないのだろう?

天皇と戸籍

 天皇や皇族には戸籍がないという話をしばしば聞く。世間でいうところの「苗字」もないらしい。日本国憲法では法の下の平等をうたっているのに、なぜなのか。本書『天皇と戸籍――「日本」を映す鏡 』(筑摩選書) はその理由を明かす。天皇と戸籍の関係を古代までさかのぼって論じ、そこから浮かび上がる日本とはどういう国なのかというところにまで踏み込んでいる。

 著者の遠藤正敬さんは1972年生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。博士(政治学)。専門は政治学、日本政治史。現在は早稲田大学台湾研究所非常勤次席研究員。宇都宮大学などで非常勤講師。著書に、第三九回サントリー学芸賞を受賞した『戸籍と無戸籍――「日本人」の輪郭』(人文書院、2017年)などがある。戸籍研究ではよく知られた研究者だ。

戸籍法の規定通りにはいかない

 まず著者は「婚姻」の説明から始めている。一般国民が結婚する場合、戸籍法に基づき、夫婦共通の氏を定めて婚姻届を提出し、それが役所で受理されれば婚姻成立となる。これに対し、皇族の結婚はそうした戸籍法の規定通りにはいかない。そもそも個人意思による結婚は不可能なのだという。

 例えば秋篠宮眞子女王と小室圭さんの結婚問題。婚約内定が公表されていたが、宮内庁が「納采の儀」(結納)の「延期」を発表した。なぜ宮内庁が出てくるのか。一般国民ではありえない。

 皇室典範によると、皇族女子が一般国民と結婚すると、皇族の身分を失う。新たに戸籍法の適用を受けることになり、彼との夫婦の戸籍が創設される。一般国民とは異なる手続きがある。本書によれば、いくつかの問題があるという。

 まず、夫婦の「氏」について。民法では「夫又は妻の氏を称する」と定められている。実際には96%の夫婦が、夫の氏に妻の氏を合わせている。もちろん逆でもよい。もし、皇族女子がそれを望み、相手が受け入れるなら、彼女が戸籍の筆頭者になる。だが、皇族には氏がない。どうなるのだろうか。

 夫の氏に合わせることにした場合でも、問題が残る。もし離婚した場合、元皇族女子の氏はどうなるのか。復帰すべき氏がない。"実家"(天皇家)に戻ることができるのだろうか。皇族の方々には法的に謎の部分があると言えそうだ。

戸籍は徴税や兵役のための台帳

本書は以下の構成。

 序章 天皇家と戸籍へのまなざし
 第1章 戸籍なき天皇家
 第2章 「皇統譜」とは何か―天皇家の系譜
 第3章 「臣籍降下」の歴史―「皇籍」と「臣籍」のあいだ
 第4章 天皇家の結婚
 第5章 家の模範としての天皇家
 終章 天皇と戸籍のゆくえ―支え合う二つの制度

 それぞれの章でさらに細かく、いろいろな問題を取り上げている。「天皇家が戸籍を持たない理由」「天皇家になぜ『氏』『姓』がないのか」「天皇家は『日本国民』か」「皇族における結婚の不自由」・・・。

 日本の戸籍制度は、中国に倣って始まった。背景には「公地公民」で天皇の「公田」を人民に貸与し徴税をおこなう班田制が実施されたことがある。670年には全国統一の戸籍として「庚午年籍」がつくられた。戸主名、続柄、氏名または姓名、年齢、疾病の有無などが記載された。戸籍は徴税や兵役のために人民を管理する台帳であり、定住を促し、浮浪者を取り締まるという治安維持の狙いもあった。

 BOOKウォッチでは、そのころの事情を詳細に記した『戸籍が語る古代の家族』(吉川弘文館)を紹介したことがある。当時の戸籍の現物が奇跡的に全国で数千人分も残っている。それらの研究から、古代社会が、ごく一部の支配権力層と、圧倒的多数の下層によって構成されていたという厳粛な現実が判明している。当時は9ランクの階層があったそうだが、戸籍に登場する大半の人は下部の3ランクだ。奴婢も記載されている。8世紀初頭の人口は約450万人、そのうち奴婢が約20万人と見られる。

 しかし、743年に墾田永年私財法によって開墾地の私有が認められ、班田制が解体されていくと、戸籍も形骸化。平安時代の途中から戸籍自体の編纂もされなくなる。江戸時代は人別帳などと名前を変えている。

日本だけの特異な制度

 戸籍制度が再スタートするのは明治になってからだ。徴兵制、地租改正などと並んで1872(明治5)年、壬申戸籍を新たに編製。「臣民一般」が登録された。本書によれば、「戸籍は、あくまで『下々』を登録するものであり、『上御一人』たる天皇を別格とする」ものだった。「『一君万民』という形での国民統合が、戸籍という装置を通じて具現化された」というわけだ。

 一方で、旧皇室典範では、天皇および皇族は「皇統譜」によってその身分を登録されることになった。そこに出生、死亡、婚姻、離婚などの情報が記載される。「臣民簿」をつかさどる戸籍法の適用は受けない。皇族の身分を離脱したとき、新たに戸籍が創設される。「戸籍」と「皇統譜」の二元体制だった。

 現行憲法および皇室典範の下でも、天皇および皇族が皇統譜によって身分関係が登録されるという原則は変わっていないという。1948年施行の現戸籍法でも、天皇および皇族には適用されないことになっている。

 著者は「天皇から見た『臣民簿』であるという戸籍のもつ基本精神は事実上、温存されているというべきであろう」と記す。日本人なら戸籍をもつが、戸籍をもたない天皇家が「日本国家および日本国民の統合の象徴」になっているとも。かつては皇族女子が非皇族男子との婚姻によって天皇家を出て相手の戸籍に入ることは「臣籍降下」や「降嫁」だったが、さすがに今は「皇籍離脱」と言う。

 すでに中国では戸籍は単なる居住記録になり、韓国では2008年に廃止。というわけで、東アジアの伝統だった戸籍は、今や世界でも日本だけの特異な制度だという。

「われわれはある意味で無国籍者なんだな」

 これもBOOKウォッチでは紹介済みだが、『日本人の名前の歴史』(吉川弘文館)によると、古代の有力者は、姓を天皇から与えられた。「賜姓」(しせい)という。天皇が姓を賜(たま)うという意味だ。天皇を上位者であると認め、忠誠を誓う。天皇に恩義やゆかりのある多数の姓が生まれ、支配層を形作っていく。

 当然ながら、名づけ役の天皇には姓名がない。上位の存在がいないからだ。最高の存在であることの証として、姓名を持たないのだ。

 さらに本書では、天皇が「無私無姓」である理由について、「皇室が姓をもたれなかつたことは、姓が私の意識を支へるものなることを思へば、早くから無私の立場を自覚されたことを示す」という歴史学者、和歌森太郎の言葉を引いている。著者も、「天皇家が氏姓から超然として『公平無私』の境地にあるからこそ、姓を偽ってまで私益の増大を図ろうとする諸氏族を統率する絶対的シンボルとして存立し得たのであろう」と書いている。

 現在、天皇及び皇族は住民登録の対象外。ただし、住民税は納め、国勢調査は実施されている。天皇の旅券は不要。選挙権もない。過去の国会答弁で内閣法制局は、「天皇は、日本国の象徴なので、政治的に無色が要請されている」という趣旨の答弁をしている。

 本書では「文藝春秋」1976年2月号に掲載された皇族の座談会が引用されている。その中で出席者の一人は、「われわれはある意味で無国籍者なんだな」「基本的人権ってのはあんまりないんじゃない?」と発言している。

 私たちが何となく当たり前のものと思っている戸籍。本書はその根底にある考え方について、長年の研究成果をもとに丁寧に論述した一冊だ。関連で「源氏物語」についての興味深い分析もある。なぜ光源氏が主人公なのか、明治憲法なら姦通罪に問われるような奔放な生活を描いた小説がなぜ当時可能だったのか・・・。詳しくは本書を読んでいただきたいが、なるほど、と得心する。

 BOOKウォッチでは関連で、『新版  古代天皇の誕生』(角川ソフィア文庫)、『日本の無戸籍者』(岩波新書)なども紹介済みだ。

  • 書名 天皇と戸籍
  • サブタイトル「日本」を映す鏡
  • 監修・編集・著者名遠藤正敬 著
  • 出版社名筑摩書房
  • 出版年月日2019年11月15日
  • 定価本体1600円+税
  • 判型・ページ数四六判・284ページ
  • ISBN9784480016911
 

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