最初のあたりをぱらぱらめくるだけで引き込まれてしまう。本書『日本人の名前の歴史』は、日本人の名前の歴史を古代までさかのぼって再考したものだ。吉川弘文館の「読みなおす日本史」シリーズの一冊。1999年に新人物往来社から刊行された原本の復刊だ。著者の歴史学者、奥富敬之・元日本医科大教授は2008年にすでに亡くなられている。
本書のキーワードは「賜姓」(しせい)ということになるだろう。天皇が姓を賜(たま)うこと。古代の有力者は、姓を天皇から与えられたのだ。
特に興味深かったのは、「皇籍離脱」「臣籍降下」による「賜姓」だ。皇族が天皇から姓を賜り、臣籍に入る。その理由が面白い。天皇がどんどん子どもを作ると皇族が増えて財政状況がひっ迫する。皇位継承者以外に多数の皇族は必要ないということで、適当なところで皇籍を離脱させる。たとえば第12代景行天皇の第二皇子の日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は6人の御子のうち5人が臣籍降下となり、賜姓がなされた。
天皇から姓名を拝受するということは、政治的な意味があると著者はいう。天皇を上位者であると認めて、忠誠を誓ったことになるからだ。こうして天皇に恩義やゆかりのある多数の姓が生まれ、支配層を形作っていく。
中でも「源・平・藤(藤原)・橘」の四主姓は有名だ。中臣鎌足は藤原鎌足になる。中国古典に通暁していた嵯峨天皇が「源」を賜与してから「源」が増えた。21流にもなり、どの天皇からかということを明示するために「清和源氏」などと呼ばれるようになったという。
当然ながら、名づけ役の天皇には姓名がない。上位の存在がいないからだ。最高の存在であることの証として、姓名を持たないのだ。「名前」を付ける権限を通して、当時の支配構造が浮かび上がる。
では一般庶民はどうだったか。残念ながら「古事記」や「日本書紀」には一般庶民の名前はまず出てこない。鎌倉時代になると、名主レベルの農民の名前が登場する。江戸時代の農民の名前を見ると、「-左衛門」「-右衛門」「-兵衛」などが大半を占める。
女性の名前は、鎌倉時代では「藤原氏女」「中原氏女」というように、実名は出てこない。紫式部や清少納言も一種の通名。江戸時代の農家では、「さな」「えつ」「はる」「とみ」「きよ」など、ひらがな二字だらけ。
そして明治に入り、名前は劇的に変わる。「四民平等」が叫ばれ戸籍法が制定される。総人口の9割以上を占める「平民」にも苗字を持つことが公的に許可された。
実はそれ以前から、庶民も多くは苗字を持っていたのだという。ところが公的に名乗ることは自粛されていた。自分の苗字を忘れてしまっている人も少なくなかった。字が書けない、読めない人もいたから、大変な騒動だったことが目に浮かぶ。小作人は地主から苗字をもらったり、一村の住人がみな同じになったり。幕末の志士たちもこのときに改名している。木戸孝允、伊藤博文、大久保利通などいずれも改名後の名前だ。
吉川弘文館からはこのほか『日本人の姓・苗字・名前』『苗字と名前の歴史』などが刊行されている。合わせて読むと理解が進むだろう。同社の「読みなおす日本史」シリーズについては、BOOKウォッチですでに『日本の参謀本部』『飢餓と戦争の戦国を行く』を紹介している。
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