図書館の新刊書コーナーで、「大江志乃夫」の名前を見つけて不思議に思った。専門は日本近現代史。高名な学者だが、だいぶ前にお亡くなりになっているはず。どうして新刊書に大江氏の名前があるのか。
そう思って本書『日本の参謀本部』(吉川弘文館)を手に取り、奥付を見ると、やはり2009年に亡くなっていた。81歳。ではどうして新刊書なのか。
答えは単純だった。本書は吉川弘文館の「読みなおす日本史」シリーズの一冊だった。原本は1985年に中央公論社から新書として刊行されている。いわゆる「復刊本」というわけだ。
この「読みなおす日本史」シリーズは2012年から刊行が始まった。名著とされる歴史書でも、今では入手が困難な物が少なくない。それを発掘し、広く読者に訴え、研究の進展に寄与したいというのが狙いだ。
これまでにも、『江戸の刑罰』(石井良助著)、『料理の起源』(中尾佐助著)、『富士山宝永大爆発』(永原慶二著)、『昭和史をさぐる』(伊藤隆著)、『中世京都と祇園祭――疫神と都市の生活』(脇田晴子著)、『飛鳥――その古代史と風土』(門脇禎二著)、『角倉素庵』(林屋辰三郎著)、『白鳥になった皇子――古事記』(直木孝次郎著)、『史書を読む』(坂本太郎著)など多数の本が復刊されている。錚々たる大家の名前が並んでいる。
「刊行のことば」で同社は出版界の現状を憂えている。近年、膨大な数の本が出版されているが、なかなか読者のところに届かない。「良書でありながらめぐり会うことのできない例は、日常的なことになっています」。広く学界共通の財産として参照されるべき書籍ですら、そうした運命にある、ゆえに本シリーズで復刊するとしている。出版不況の中でも、歴史学界全体のことを考えようとするのは、さすが安政4年(1857)創業、歴史学中心の人文書出版社だけのことはある。老舗の気概と責任感が伝わる。
本書は学者による日本の参謀本部についての通史的な著作だ。もともと新書として書いているので、一般向けのニュアンスが強い。そんなこともあり、イントロはよく知られた桶狭間の戦いから書きおこす。といってもサービス精神で取り上げているのではない。少数の織田勢がなぜ多数の今川勢を退けたか。この戦いに織田信長が勝った理由として、しばしば奇襲作戦という「戦術」が取り上げられるが、著者はより精密に分析し、「戦術」ではなく、「戦略」で勝ったと結論づけている。
そして著者はこの桶狭間の戦いを「戦術の勝利」に矮小化し、奇襲モデルにしたのが日本陸軍だと見る。司令塔になった参謀本部は明治になって、日本陸軍の戦略・戦術部門として作られた。手本にしたのは、プロイセン=ドイツの参謀本部だ。スタッフとなるのが参謀で、その養成機関が陸軍大学校だった。
陸軍大学校で教えたドイツ人将校は、「戦術」にこだわる教育を施した。日本側がそれを求めたこともある。そうした「戦略論なき戦術論」への傾斜が結果的に日本を敗戦に追い込んだ。「白を黒と言いくるめる議論達者」を推奨し、「とにかく頭のヒラメキ、口舌、筆記図式の優秀性を重視」するような気風があったという。これは著者の指摘ではない。敗戦時の東京防衛軍司令官や陸軍省兵務局長がのちにそう語っている。
「戦争の政治目的をふまえて戦略を策定するという点において、日露戦争以後の日本の参謀本部は、理論面でも実践面でも決定的に無能であった」――こちらは著者の手厳しい言葉だ。単に近現代史を研究する学者としてだけの発言ではないように思える。なぜなら大江氏は熊本陸軍幼年学校を卒業し、陸軍予科士官学校へ進学。さらに陸軍航空士官学校に入り、在学中に敗戦を迎えている。すなわち自身が、徹底した陸軍の軍人教育を受けている。戦後、大学に入り直し、学究の道に進んだわけだが、「陸士」を知る一員として忸怩たる思いがあったに違いない。
本書では「あとがき」で二人の参謀について書いている。一人は堀場一雄氏。もう一人は瀬島龍三氏。堀場氏は戦後『支那事変戦争指導史』を遺稿として残し、日中戦争の早期終結ができなかった経緯を痛恨の思いを込めて明らかにした。しかし、瀬島氏は歴史への反省を書き残さず、80年代は「臨調」の"参謀総長"としてふるまった。著者は戦前の参謀本部のエリートがその反省を公表することなしに、現在の国政に強い影響力を行使していることに「危惧を感じる」としるす。さらに当時、「論客」としてもてはやされていた外務省のエリート官僚についても、古典の引用や解釈のあやまりを指摘し、「底の浅い戦略論」を振りかざしている、とこき下ろす。かつての参謀たちと同質の「思い上がり」ぶりを見たようだ。
以上のように本書は、一つには老舗の出版社の気概を示したものであり、もう一つは、自らもエリート軍人として育てられた著者が、体験を下敷きにしつつ痛憤の思いをつづったものでもある。新世代の著者らによる歴史本がブームだというが、本書では旧世代の著者ならではの面白味も感じ取ることができる。そのあたりも、まさに「読みなおす」醍醐味といえよう。
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