そんな論争があったことは知らなかった。『雅子さま論争』 (洋泉社新書y)。2009年の刊行だ。雅子さまは当時、心身の不調による療養が長引いていた。公務も欠席しがち。メディアのバッシングにさらされていた。本書はそんな状況を背景に出版されたもの。7人の筆者が、それぞれの専門分野や関心事をベースに独自の分析を展開している。最近BOOKウォッチで紹介した『近代皇室の社会史』(吉川弘文館)の関連本として手に取ってみたが、参考になることが多かった。
著者の一人、精神科医の香山リカさんは、「人はなぜ、雅子さまを批判したくなるのか」というタイトルで論じている。
2003年12月に「帯状疱疹」の診断から始まった療養と公務の欠席。ほどなく療養の理由は「お疲れ」に変更され、04年7月には「適応障害」に。メンタル不調が続いていることが明らかになる。折々に発表される医師団の見解は、「着実に回復しているが、続けて公務をするまでには回復していない」(05年)、「徐々に恢復に向かっている」(06年)、「なお治療が必要な状態が続いているが、少しずつ着実に快方に向かっている」(07年)。
08年12月には5年ぶりに国賓歓迎行事に出席。09年2月には皇太子が「これまでできなかった公務もできるようになってきていて、私も雅子もうれしく思っております」とコメント。しかし、1月15日の歌会始は8年連続で欠席、というのが当時の状況だ。
ややこしいのは医師団が、「治療の一環」として私的な外出をすすめていたことだった。それが批判にさらされる。週刊誌では、こんな見出しの記事が出ていたという。
「最新雅子さまブランド、デパートでは月2回のお買い物」(「女性セブン」07年1月1日号) 「雅子さま『お忍びレストラン』マップ、皇太子ご不在で超高級店めぐり」(「週刊文春」07年11月22日号) 「雅子妃『午後の乗馬』『銀座でショッピング』にみる回復の兆し」(「週刊現代」08年1月5日・12日号)
世間では「海外静養や愛子さまを伴ったスキー、遊園地訪問は問題なくこなせるのに、公務ができないというのはおかしい。メンタル不調ではなくて、単に公務がしたくないだけではないのか」という声も出ていたという。
精神科医の斎藤環氏が当時、「ディスチミア親和型うつ病」という見解を発表し、注目されたそうだ。新しいうつ病といわれる。従来のうつ病よりは一見、軽症に見える。仕事よりも私的な生活を大切にする傾向があるのだという。
香山さんは、この症状に当てはまるところもあれば、かなり違うところもあると指摘、そのうえで「雅子さまの症状、状態、診断名は、これまでの精神医療の枠内ですぐに説明できるようなものではない」と書いている。
実際のところ、まわりから見れば「都合の良いときだけうつ」に見える症状の人は診察室で目立つそうだ。「仕事には行けないが、スポーツやボランティアには取り組み可能」というケースもあるという。しかし、当人に休まれると、職場では当然ながら同僚などにしわ寄せがいく。「オレだって、休みたい中、無理しているのに」というわけだ。
ゆえに、多くの人は雅子さま自身を批判しているのではなくて、自分自身の疑問や不安、不満などを「公務のできない雅子さま」という存在に投影して、そこに怒りをぶつけている、と香山さんは見る。「別の社会的背景」があるというわけだ。「雅子さまの問題」と「私たちが直面する困難」は分けて、冷静に対処することが望まれる、としている。
さらに他の執筆者の見方を紹介しよう。ジャーナリスト&ライターの白河桃子さんは、雅子さま支持派の声を伝える。「私たちはみな『プチ雅子さま』」。雅子さまが負けてしまうと、自分たちが何かに負けてしまうような気さえするという。これは主として働く同世代の女性の声だ。
臨床心理士の信田さよ子さんは「雅子さまの家族関係」に踏み込んでいる。タイトルは「『父の娘』である雅子さま」。三姉妹の長女だった雅子さまは頭脳明晰、身体能力にもすぐれていた。小和田家のいわば期待の星。「『父の娘』という言葉があるが、長男ではなく、長女が父の期待を背負っていく場合にしばしば使われる表現だ」。実際、父と同じ外務官僚の道を進む。しかし、皇太子の熱烈なアプローチを受け、戦線離脱・・・という想定外の人生航路から、「適応障害」の背景を探ろうとしている。
出版・広告ディレクターの湯山玲子さんは、紀子さまを取り上げている。「紀子妃がそれほど同性の共感を集めないのはなぜか」。待望の男子を出産したことが、女性のデリケートな部分を刺激したことは間違いないと見る。「結婚しても子供ができない女性、跡継ぎたる男子を産んでいない女性に対してのプレッシャーは歴然と社会に存在するのである」。男子を産んだことが、逆に一部で嫉妬の対象になっていることを示唆する。
コラムニストの小田嶋隆さんは、「私が皇太子(当時)に好感を抱く理由」を書いている。皇太子の山好きはよく知られている。山登りに詳しい小田嶋さんの友人によると、「地味でキツくてあんまり面白味のない山を、ひたすらに黙々と踏破」というスタイルだという。「何か鬱屈するモノがないとああいうペースで山に登ることはないと思うんだよな」という友人の言葉を紹介している。
『近代皇室の社会史』の著者で、かつて毎日新聞記者として宮内庁を担当していたこともある森暢平・成城大学准教授(当時)は本書の中心的な執筆者だ。「はじめに」と「第1章 皇室と雅子さまは、どこへ行くのか」を書いている。
森さんは、つい最近まで存在していた「皇室タブー」が「なくなってしまった(ように見える)」ことに注目している。皇室について「何でもありの状態」になっているというのだ。
週刊誌では以前から、相当きわどい記事が掲載されているが、ネットが拍車をかけた。「バッシング」やら「眞子さま萌え」やら、イラスト、動画なども使ってやりたい放題。
「タブーはなくなった。天皇が超越した存在であることの虚構性を公然と語れるようになった。昭和天皇の死とともにそれは解禁された」
本書刊行後に、雅子さまの公務回数は徐々に増えている。2018年には15年ぶりに全国赤十字大会や秋の園遊会に出席したことが報じられた。最近では「病気療養中の」という枕詞も使われなくなったようだ。
その一方で、バッシングが増えたのが、紀子さまだ。ここ数年、週刊誌であれこれ書かれることが目立つようになった。ジャーナリストの矢部万紀子さんは近著『雅子さまの笑顔』 (幻冬舎新書)で、紀子さまについて、「41年ぶりの男子誕生という慶事で、『皇室の危機を救った』と評価された。だがそれは一方で、『本来、長男の嫁である人の仕事を、次男の嫁がしてしまった』ことでもあり、その落差にメディアがつけ込んだのだと思う」「紀子さまの表情を追うと、やはり悠仁さまの誕生以降、厳しくなっている」と書いていた。
美智子さまも、皇太子妃になってから体調を壊した。週刊誌にバッシングされたこともあった。しかし、国民は心配こそすれ、批判は少なかったと記憶する。
森さんは、時代の変化に大きな違いを見る。一言で言えば、いまや「天皇や皇族が、『国民』を象徴することが難しくなった時代」だという。戦後の復興と民主化、高度成長――近代家族のモデルとして機能した美智子妃の時代と違い、共通の夢や希望を語れなくなったのが今の時代だと指摘する。
「雅子さまは、美智子さまが皇室入りした時とは違う時代に生きている。それは、雅子さまにとってはきわめてやりづらい環境なのである」
同じことは、紀子さまや、他の皇族、さらに言えばこれからの天皇家にも付きまとうに違いない。「雅子さま」をめぐる10余年前の議論は、「雅子さま」だけにとどまる属人的なものではない――本書を読みなが、森さんと同じような感慨を持った。
BOOKウォッチでは『近代皇室の社会史』(吉川弘文館)、『雅子さまの笑顔』 (幻冬舎新書)のほか、『上皇后陛下美智子さま 心のかけ橋』 (文春文庫)、「美智子妃と樺美智子」をテーマにした『六〇年安保――1960年前後』(岩波書店)などを紹介。また『秘録 退位改元――官邸VS.宮内庁の攻防1000日』(朝日新聞出版)、『天皇と戸籍――「日本」を映す鏡 』(筑摩選書)なども取り上げている。
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