読むべき本、見逃していない?

蒋介石や毛沢東になりそこなった「敗者」たちの墓碑銘

  • 書名 傀儡政権
  • サブタイトル日中戦争、対日協力政権史
  • 監修・編集・著者名広中一成 著
  • 出版社名株式会社KADOKAWA
  • 出版年月日2019年12月 7日
  • 定価本体880円+税
  • 判型・ページ数新書判・272ページ
  • ISBN9784040823133

 日本は戦前、満州に傀儡国家をつくった。名目上は独立しているが、実質的には日本が支配していた。いわゆる日本のダミー国家だった。本書『傀儡政権――日中戦争、対日協力政権史』 (角川新書)は日本が中国につくった「傀儡政権」全般について論じている。

 満州国以外にも主要なもので5つ。短期間だけ存在したごく小さなものも含めると、その数十倍あったという。それぞれの政権の詳細を一般読者向けにわかりやすく紹介している。

日本人が顧問に入って政権をコントロール

 著者の広中一成さんは1978年生まれ。愛知大学大学院中国研究科博士後期課程修了。博士(中国研究)。現在は愛知大学非常勤講師。著書に『通州事件 日中戦争泥沼化への道』(星海社新書)、『牟田口廉也 「愚将」はいかにして生み出されたのか』(星海社新書)などがある。

 本書を通読して驚嘆するのは、戦前の日本が、よくもまあ中国にこんなにたくさんの「傀儡政権」をつくったものだということ。スタートは満州国。1932年だ。関東軍はすぐに満州国の南側にある熱河省にも進攻する。アヘンの産地なので、誕生間もない満州国の主要財源確保を狙ったものだ。さらに、その南の河北省との境界まで進み、中国側の正規軍と衝突した。そして停戦。その後、華北分離工作に乗り出して35年、河北省東部地域に「冀東防共自治政府(冀東政権)」をつくった。日本の九州ほどの面積だ。

 この傀儡政権のつくり方は満州国建国がモデルになっている。満州国の場合は、満州事変に協力した奉天財閥の有力者が東北行政委員会を組織し、関東軍の指示のもと、彼らによって満州国が建てられた。すなわち蒋介石の国民政権と距離を置く地域の有力者を使って地方自治委員会を立ち上げ、それをもとに政権をつくるというパターンだ。日本人が顧問に入って政権をコントロールする。

 この計画を推進した土肥原賢二・奉天特務機関長は陸軍一といわれた中国語の達人。中国人の知己も多かった。最終的に華北五省(河北・山東・山西・綏遠・察哈爾)を支配する防共自治政権を成立させることを狙っていた。

 満州国の南に、もう一つ日本のダミー、「冀東政権」をつくって北京に迫る、というのが当時の地政図だ。

 

華北の豊富な資源を狙う

 本書は「第一章 冀東防共自治政府(冀東政権)」、「第二章 中華民国臨時政府(華北政務委員会)」、「第三章 中華民国維新政府」、「第四章 中華民国国民政府(汪兆銘政権)」という構成。文章自体は極めてわかりやすい。ただし、多数の中国人や日本人の人名が出てくるので、読み進めるのには苦労する。図表や地図が丁寧なので助かる。

 第二章の「中華民国臨時政府(華北政務委員会)」は1937年7月、盧溝橋事件で日中戦争が始まり、日本が北京と天津一帯を占領したことで同12月にできた政権だ。当初は「中華民国臨時政府」、のち「華北政務委員会」と名称替えする。河北省東部の「冀東政権」はここに吸収された。行政委員長を務めたのは王克敏・元中国銀行総裁。日本人顧問は臨時政府のあらゆる業務に干渉した。

 満州国は当時すでに、大豆を中心とした農産物、石炭や鉄鉱石などの鉱物資源を輸出し、日本の戦争遂行を背後で支えていた。日本が華北を狙った大きな理由も、豊富な資源にあった。綿花や小麦などの農産物はもとより、華北の石炭埋蔵量は全中国の8割を占めていた。鉄鉱石や、多数の金属資源も魅力だった。

 ゆえに日本は「臨時政府」を差し置いて、直接的に華北資源の獲得に乗り出す。38年11月には北支那開発株式会社を創設している。日本政府と民間が折半出資。総裁には浄土真宗本願寺派(西本願寺)第21代法主の第五子、大谷尊由が就任している。貴族院議員。近衛内閣で拓務大臣。西本願寺は仏教宗派の中でも、先の戦争についての責任を自覚している宗派として知られるが、トップレベルで戦争に深く関わっていたわけだ。

蒙古国境から南は上海の先まで

 第三章の「中華民国維新政府」というのは、聞きなれない人が多いかもしれない。これは38年3月から40年3月まで南京を首都に成立していた。

 きっかけは37年8月の第二次上海事変。日中戦争は全面戦争に拡大し、日本軍は次々と主要都市を占領する。軍は占領地住民への宣撫工作に努め、占領地の治安維持のため、親日的な中国人を使って治安維持会や自治委員会という小さな傀儡政権をあちこちにつくる。38年3月までに少なくとも42にのぼり、それらがまとめあげられ、上海、南京など華東一帯を包含する「中華民国維新政府」になったという。

 やがてこの政府は40年3月成立の「中華民国国民政府(汪兆銘政権)」へと発展的解消される。本書に掲載されている勢力図を見ると、その支配エリアは、北は蒙古国境から南は上海の先まで、中華民国臨時政府と中華民国維新政府を合わせた広大なものだ。

 中華民国国民政府のトップは汪兆銘。孫文の側近として長年活動し、25年には広東国民政府の総裁。蒋介石と手を組んだり、対立したりしながら、国民党の左派を代表してきた。そういう超大物まで動かして、中国を自在に操る――日本の支配地域は点と線だけだったともいわれるが、中国の主要部を手にして実権を握っていたことは、軍部にとって大きな自信だったに違いない。日本は満州国を手始めに、そのコピーのような傀儡国家を次々とつくり、中国主要部の過半を北から中南部まで実質的に支配することに成功していたのだ。

 こうなると、さらなる拡大論が浮上することも自然だろう。中国にこれだけの足場を築いているのだから、さらに南方を目指そうというわけだ。そうして太平洋戦争に進んだことが、本書掲載の広大な版図を示す地図を眺めていると、当時の感覚で実感できる。

死刑が342人、無期懲役が847人

 日本に協力した中国人は戦後の裁判で「漢奸」として追及された。47年8月までに死刑判決が342人、無期懲役が847人、有期懲役が1万66人に及ぶという。汪兆銘は終戦前に病死、中華民国臨時政府の王克敏は獄中死。冀東政権のトップや汪兆銘の後継の陳公博は死刑。

 劇団四季のミュージカル「李香蘭」で漢奸の裁判シーンが再現されている。主人公は女優・歌手として日中双方で大人気だった李香蘭(山口淑子)。中国人なのに日本に媚びを売り協力したということで裁かれる。土壇場で「彼女は日本人だ」という証言者が現れ、命が助かる。

 本書を読んでいくつかのことが印象に残った。一つは著者が強調しているように、日本に協力した中国要人の中には、そうすることが最終的に中国のためになると確信して行動した人が少なくなかったこと。例えば汪兆銘政権は、日本側の指示のもとに政策を実行したが、太平洋戦争に参戦して日本に協力することと引き換えに、長らく懸案となっていた租界の回収と治外法権の撤廃を実現させた。華北の王克敏は日本の指示に唯々諾々とせず、しばしば意見衝突したという。傀儡国家といっても一筋縄ではいかない。日本に全面協力するように見せかけて、中国の利益を守ろうとする中国人としての母国愛や矜持も見え隠れする。「漢奸」といいう「負のレッテル」を貼るだけでは見えてこないものがあるというわけだ。

 二つ目は、傀儡政権の担い手には日本留学組が少なくなかったこと。汪兆銘も法政大学で学んでいる。そのほか相当数にのぼる。三つ目は、上述のように中国は自前で自国の「戦犯」を処罰したこと。「漢奸裁判」は大半が蒋介石の国民政府によるものだ。四つ目は、最終的な勝者は49年に成立した毛沢東らの共産党だったということ。

 日中戦争の正面戦は、主として日本軍と蒋介石の国民革命軍で戦われ、本書でも共産ゲリラの話はわずかしか出てこない。日中戦争で勝ったはずの蒋介石はその後、台湾に追われ、中国本土を制覇したのは、日中戦争当時は脇役の毛沢東だった。その後継者が今や中国を大国に押し上げ、世界を動かしている。本書に登場する汪兆銘や王克敏ら傀儡政権の主役たちは、結局のところ、天下を取ることが出来なかった。彼らなりの「志」はあったが、結果的には蒋介石や毛沢東になりそこなった「敗者」たちだ。著者はそんな彼らにもニュートラルな記述を続け、幾分かの名誉回復を試みる。本書はいわば「漢奸と呼ばれた『国士』たちの墓碑銘」にもなっている。

「三国志」の再現

 やや蛇足だが、本書を読みながら過去にBOOKウォッチで紹介した何冊かの本を思い出した。半藤一利氏の『なぜ必敗の戦争を始めたのか――陸軍エリート将校反省会議』(文春新書)を読むと、1941(昭和16)年7月の南部仏印進駐が、日中戦争から太平洋戦争へと拡大する大きな分岐点だったことがわかる。参謀本部内で、辻政信参謀らの急進派が「南進論」を強硬にブチ上げ、開戦へと突き進んでいった。狙いは南方の資源。その前年3月に、「中華民国国民政府(汪兆銘政権)」が成立していたことが大きかったといえる。広大な中国を手中にしたわけだから、どうしても、さらに南に進出したくなるのだ。

 『三竈島事件―― 日中戦争下の虐殺と沖縄移民』(現代書館)は日本軍が日中戦争開始後の37年12月、マカオの対岸の島を占領し、そこに航空基地を作ろうとしたときの秘話だ。その過程で多数の住民を殺害した。それまで中国戦線に向かう日本の航空機は主に九州や台湾の基地から出撃していた。攻撃後に東シナ海を渡って戻ってこなければならない。華南のテリトリー内に軍事空港があれば、中国奥深くを直接攻撃できるというわけだ。加えて南方も射程に収めることができるという思惑もあったに違いない。

 『秘蔵写真200枚でたどるアジア・太平洋戦争――東方社が写した日本と大東亜共栄圏』(みずき書林)には、珍しい写真が目立つ。香港が連合軍に空爆された写真も掲載されている。実は香港は41年12月から終戦まで、日本軍に占領されていた。香港総督として名を残す3人の日本軍人のうち2人は戦後銃殺刑、1人は終身刑を言い渡されている。

 『草はらに葬られた記憶「日本特務」――日本人による「内モンゴル工作」とモンゴル人による「対日協力」の光と影』(関西学院大学出版会)は、「内モンゴル」に「親日・親満」の国家を作り、共産勢力の東進や南下を食い止めようとする、いわゆる「内モンゴル工作」を振り返ったものだ。日本軍の支援で成立した短命の蒙古軍政府「蒙彊政権」の話も出てくる。

 『阿片帝国日本と朝鮮人』(岩波書店)によると、建国間もないころの満州国では、歳入予算6400万円のうちアヘン専売による収入が1000万円を占めていた。アヘンが専売公署という役所も設置されていた。アヘンはごく一部の裏世界の人々が関わっていたというのではない。アヘンを軸にした財源づくりという、公的なシステムが出来上がっていたことが明かされている。日本軍部の特殊工作の資金も、アヘン利権を通じて生み出された。

 最も驚くのは、NHKスペシャル取材班による『ノモンハン 責任なき戦い』 (講談社現代新書)だ。蒋介石は37年に日中戦争がはじまると、それまで「ソ連は最大の敵」と公言していたにもかかわらず、水面下でスターリンに猛烈にすり寄っていたことが、ロシアのアーカイブの史料でわかった。「最大の友人はソ連です」「武器と航空機を急ぎ信用供与してください。(中略)特に航空機です。中国にはいま10機しかないのです」。いずれも、蒋介石がスターリンに充てた親書だ。こうして37年から41年にかけて、ソ連から航空機1235機、大砲1600門、機関銃1万4000などが送られた。さらに蒋介石は側近を通して、ソ連が日中戦争に参戦するように繰り返し促していた。

 日中戦争や抗日戦では、毛沢東がソ連と、蒋介石は米国と緊密だったというのが常識だが、実に奇々怪々だ。歴史に潰えた汪兆銘らの「漢奸」たちには蒋介石や毛沢東のような深慮や権謀術数が不足していたということになるのかもしれない。彼らが知力と軍事力を競い、合従連衡を繰り返しながら国家の覇権を争った中国現代史とは、まさしく20世紀における「三国志」の再現だったとの思いを強くする。

 

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