書籍の紹介をしていると思いがけない本に出合うことがある――ということは以前にも書いたことがあるが、本書『草はらに葬られた記憶「日本特務」』(関西学院大学出版会)もその一例だ。副題に「日本人による『内モンゴル工作』とモンゴル人による『対日協力』の光と影」とある。
このテーマの本自体が珍しいと思われるが、加えて本書は、著者ミンガド・ボラグさんがモンゴル人の研究者というところが異例だ。戦前・戦中の日本とモンゴルの関係を、モンゴル人の視点から日本語で描いた初の著作だという。
タイトルの「日本特務」とは、日本軍の特殊軍事機関のことだ。外地で宣撫工作・対反乱作戦などを行っていた。軍の占領地域や作戦地域、これから進出しようともくろんでいる地域などで特殊な活動に従事する。
日本は20世紀初頭、日露戦争を戦って勝利した。ところが、1917年にはロシアが革命で社会主義のソ連になる。日本は日露戦争で「20万人の犠牲者」と引き換えに中国東北部で公然非公然の権益を獲得していたが、それが揺らぎ始める。ほどなくソ連の南側に位置するモンゴルも社会主義国に。日本は32年、満州国を作り、ソ連の南下と共産主義への備えをいちだんと強化する。
モンゴルの南側には中国の内モンゴル、東側に満州国というのが当時の地図だ。満州国は直接、ソ連やモンゴルの一部と長い国境を接することになる。
そうした地理的変化と、歴史的経緯の中で、満州国に駐留する日本軍が試みたのは、内モンゴルを支配下に置くことだった。そこに「親日・親満」の国家を作り、共産勢力の東進や南下を食い止めることを考える。いわゆる「内モンゴル工作」だ。
最初に取り掛かったのは、ソ連侵攻の可能性についての情報収集。満州国を建国したころから、内モンゴル各地のラマ廟(寺)に工作を始める。現地の人たちの親日感情を高めることを目的とした「善隣協会」や、特務機関の補助工作を受け持つ貿易会社「大蒙公司」を次々と作る。内モンゴルへの影響力や支配力を強め、役所に日本人顧問を派遣する。
そうした緊張関係の中で39年、満州国とモンゴルの国境で本格的な武力衝突も起きる。有名なノモンハン事件だ。日本軍とソ連・モンゴル軍との間で3か月あまり戦闘が続き、双方で数万の死者を出した。最終的にソ連側の総攻撃で日本軍が撤退、実質的には敗北した。
第二次世界大戦が終わって、この地域から日本の影は消えた。しかし、長期にわたる特務工作はモンゴルの人たちに大きな亀裂を残した。内モンゴルはその後、共産中国の一部となり、文化大革命で、日本に協力した人たちは「日本帝国主義の走狗」としてつるし上げられることになった。
本書はそうしたモンゴル人による「対日協力」と、日本人による「内モンゴル工作」の光と影を、モンゴル人の視点から描いたものだ。
著者のミンガド・ボラグさんは1974年、内モンゴル生まれ。師範学校を卒業してから99年に来日。日本語学校を経て2001年、関西学院大学文学部に入学。11年に同大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。現在は非常勤講師・翻訳・通訳などをしている。
戦後の内モンゴルで、ボラグさんの一族も平穏ではなかった。「対日協力者」と認定されたことがあったからだ。それが本書執筆の動機だ。母は名門医学部を出た医者。だが、文化大革命の荒波をもろに受けた。というのも母の父の兄、ボラグさんから見て大叔父にあたるソトナムドルジ氏が、国民党政権、蒙彊政権、中国共産党政権という三つの政権下で政治家として活躍した人だったからだ。
蒙彊政権とは日本軍の支援で成立した短命の蒙古軍政府を指す。ソトナムドルジ氏は、戦後は中国建国の革命政権側にいたのだが、文化大革命では「蒙彊政権」時代のことが糾弾対象になった。ボラグさんの母も、そうした血筋だということで厳しい査問を受けた。
本書は以下の構成だ。「序章 近くて遠い『内モンゴル』」、「第一章 『やっぱりあの家族は日本の走狗だった!』──文化大革命中に『日本の走狗のアバズレ娘』と称された母セーペルマの回想」、「第二章 『あの若い日本人夫婦は無事帰国したのかなあ!』──ラマ・イン・クレー寺の活仏の兄アヨシの回想」、「第三章 『かつてウジムチン草原は日本の統治下にあったことを今の日本人は知っているか』──ラマ・イン・クレー寺の住持ポンソグの回想」、「第四章 『俺はモンゴルの最高審判官だ』──日本特務機関使用人の娘シルとその夫のヨンドンジャムソの回想」、「第五章 『あれは一九四五年八月一一日の朝のことだった』──貝子廟モンゴル伝統医療センターの名医ドブジョルの回想」、「第六章 『チンギス・ハーンは日本人だった⁉』──日本軍車輌班の運転手だったワンチョックの回想」、「終章 遠いけれど近かった『内モンゴル』」。
上記のように本書はボラグさん一家をはじめ、何人かの当事者の記憶や回想録、モンゴル内で発行された郷土史史料などをもとにしている。当時の内モンゴルの人々は、親日、反日、中立の3グループに分かれていたという。本書では、日本特務の手先として活動した老人が戦後落ちぶれ、浮浪者のようになって、子どもたちに石を投げられている様子なども書いている。この老人は子どもらに、「こんど日本が攻めてきたら、お前ら全員をぶっ殺してもらうから」と叫んでいたという。
本書は参考書として日本語、モンゴル語、中国語の文献が並んでいる。ボラグさんは本書についてこう記す。
「本書は日本が内モンゴル草原に残した負の遺産を背負って生きてきたモンゴル人の人生ドラマである」「日本、ソ連、中国といった大国に翻弄され、その狭間で生きるモンゴル逸史でもあるが、三者の中で主導権を握っていたのは間違いなく日本であり、日本の直接または間接的な関わりによって生まれた逸史」
それにしても来日10年ほどで、日本で博士号を取得したというボラグさんの語学力には舌を巻く。大叔父もモンゴル語と中国語に精通し、満州語、チベット語、日本語の読み書きができたというから、その血を引いているのかもしれない。
モンゴルというと相撲にばかり目が行くが、本書は、日本人がすっかり忘れてしまった現代史の一面を、モンゴル側から照射した貴重な記録といえるだろう。北方謙三さんなら、新たな長編小説に仕立てるかもしれない。
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