『地図で楽しむ京都の近代』(風媒社)は、名古屋の出版社、風媒社の「古地図で楽しむシリーズ」の一冊である。愛知にはじまり、三重や金沢、近江など周辺を取り上げ、いよいよ歴史の本丸ともいえる「京都」に上洛した。しかし、京都を描いた古地図は多く、すでに類書も出ているので、本書は近代の地図に絞ったのが、逆にユニークだ。
上杉和央・京都府立大学文学部准教授と加藤政洋・立命館大学文学部教授が編著者となり、ほかに8人の研究者が執筆している。だから、読み物というより論文集に近いテーストだが、豊富な地図や写真で読み飽きない工夫がされている。
「パート1 京都近代地図さんぽ」「パート2 地図に秘められた京都」「パート3 地図が語る、地図と語る」の3部構成。
「パート1 京都近代地図さんぽ」では、河角直美・立命館大学文学部准教授が2枚の「京都市明細図」を読み込んだ3つの文章が興味を引いた。2010年に京都府立総合資料館(現・京都府立京都学・歴彩館)、2014年に京都市南区の長谷川家住宅で相次いで見つかったものだ。長谷川家所蔵のものは1枚の地図ではなく、縮尺1200分の1で、284枚からなる。個人宅の名前までは書かれていないが、道の両側にびっしりと町家が描かれている。表紙から火災保険図の一種と推測している。
いつの京都を描いているのか、道路の拡幅状況などから1926年(大正15)から27年(昭和2)頃にかけて作製されたと絞り込むさまがパズルを解くようで面白い。
地図には消火栓を意味する防火栓が描かれ、特に東本願寺周辺に多いことを指摘している。
一方、京都府立京都学・歴彩館所蔵のものは、図面が286枚あり、着色や書き込みがあるのが特徴だ。建物の階数、企業名、店ならば販売品目なども記入されており、住宅地図のようである。西陣付近は濃い緑色で着色され、それぞれ「織」と記載されている。京都の友禅染や京焼などの伝統産業のかつての賑わいを想像することができる、と河角氏は書いている。
さらに戦後、連合国の進駐軍が京都に進駐した様子も書き込まれている。「U.S.A.住」や「進駐軍用地」、「進駐軍物干場」の書き込み。さらに接収された建物も多かったそうだ。
西川祐子氏が2017年に書いた『古都の占領』の参考資料の一つがこの「京都明細図」だったことにもふれている。
「パート2 地図に秘められた京都」では、森田耕平氏(立命館大学大学院文学研究科博士課程)の「占領期京都に存在した引込線」が、廃線跡が語る京都の裏面史を物語り、面白い。山陰本線の花園駅と二条駅からそれぞれ分岐する引込線が1955年発行の1万分の1地図にある。島津製作所と日本写真印刷への専用線で、2社は連合軍に工場を接収されていた。線路の痕跡はいまも残っている。ちなみに島津製作所は、ノーベル化学賞を受賞した田中耕一氏が勤める会社である。
地図マニアでもある評者が最も驚いたのは中川理・京都工芸繊維大学教授の「外郭道路(北大路・西大路など)と区画整理」だ。京都は平安京の碁盤の目が引き継がれている都市だから、昔からそうだと思っていた。しかし、平安京と現在の京都の市街地の広さはまったく違う。それなのに、周辺部まで碁盤の目のようになっている。
北大路あたり、西大路あたり、鴨川を越えて東大路のあたり、南の九条通あたり、これらは1918年(大正7)に京都市が周辺16町村を合併し拡大したとき、区画整理で整備された道路と宅地だった。
このころ、大阪、名古屋でも土地区画整理事業は行われたが、京都だけは都市計画事業として強制力をもって実施されたものだった。金閣寺周辺は工事の竣工後には地価が10倍以上に跳ね上がったという。反対した地主もそれなら満足したことだろう。
「パート3 地図が語る、地図と語る」では、編著者の加藤政洋氏が花街の五番町や盛り場・新京極について書いた文章と上杉和央氏が博覧会や名所、観光地について書いた文章が、京都らしい華やかさと奥深さを醸し出している。
京都と言えば、歴史の古さが印象に残るが、近代産業をいち早く取り入れた先進地の性格も併せ持つ。戦後、京都が占領され、近代的な工場が接収され、専用線までが引かれていたことがそれを物語っている。知られざる京都の近代を地図で掘り起こした好著だ。
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