地図にはほぼ毎日お世話になっている。食事はどこにしようか? 最寄り駅は? スマホが生活に定着してその傾向は強まった。だから地図帳はあまり手にしなくなった。それが現代人の一般的な姿だろう。それでも、地図への関心には底堅いものがあるようだ。重版出来。本書『地図帳の深読み』(帝国書院)は、8月下旬の発売から2カ月ほどで3刷を数える。
著者の今尾恵介さんは、日本地図センター客員研究員で地図情報センター評議員でもある。言うまでもないが、地図研究のエキスパートだ。鉄道通としても知られ、『地図マニア 空想の旅』(集英社インターナショナル)で、旅にかかわる優れた著作として斎藤茂太賞を、『今尾恵介責任編集 地図と鉄道』(洋泉社)で交通図書賞を受賞している。
評者が小学生時代、地図帳で最初に不思議に思ったのは、石狩川中流域の三日月湖だった。両端がなぜ細くなるのかは分からなかったが、湖本体が形成されるメカニズムは解説ですぐ理解できた。同類の川はほかにもあるだろう。地図帳で数えていくと、全国でなんと10カ所を超すほどもあった(実際は中規模以上の河川に限っても35あるそうだ)。
地図には2つの側面がある。1つは理学地理、もう1つは人がかかわる人文地理だ。今尾さんは、地形では標高などを取り上げて常識に反するような地形を、人文地理では国境などに着目して、人間の活動が地図に反映しているさまを紹介している。
地形関係で本書は三日月湖のような初歩は扱わない。そこが「深読み」の所以だろう。今尾さんが真っ先に紹介するのは海抜0メートルよりも低い土地だ。オランダのポルダー、日本では秋田県八郎潟や木曽川水系河口部など、沿岸部の埋め立て地が思い浮かぶ。八郎潟は-3~-5メートルだ。オランダ人技師の指導で1957年に着工、造成された。海面下の土地は人の手が加わらなければ現れないように思う。
ところが、世界を見渡すと沿岸部に限らない。自然にできた海抜マイナス地帯があちこちにある。それも広大だ。
有名なのがイスラエルの死海沿岸。-400メートルほどで、近年はリゾート開発に伴う地下水くみ上げで、さらに低くなっているそうだ。2つの大陸プレートに引き裂かれて沈下した。ここは、山脈にはさまれているとはいえ、地中海に近い。
実はもっと内陸にも存在する。最大はカスピ海沿岸地域。ロシア、カザフスタン、イランなど5か国に面し、37万平方キロもあって日本の国土に匹敵する。海抜は-28メートルだ。約500万年前の地殻変動で黒海から切り離されたそうだ。
もっと信じがたいのは、中国北西部のシンチャンウイグル自治区・トルファン盆地だろう。北部にあるアイティン湖の湖面は-154メートルに達する。ヒマラヤ山脈を越え、2000キロあまり南下したインド・コルカタ付近のベンガル湾が最も近い海になる。
このほか地形では、「山越え」する川、砂漠に消える大河、洞窟に消える川などのトピックがある。
人文地理で、異様さを見せつけられたのが、国や自治体などの境界だ。紀伊半島の地図を思い浮かべてほしい。三重県内に和歌山県の飛び地が2つあるのを、イメージできる人は、そこそこの地図通だろう。ほかにも、埼玉県新座市内にある練馬区、神奈川県相模原市内にある東京都町田市の飛び地などがある。海外では、アラスカや、リトアニアとポーランドに挟まれてバルト海に臨むロシアのカリーニングラード、ベルギー・オランダ国境が知られる。
岬のように突き出した境界もある。「福島県の盲腸」の項目。三国岳山頂付近の三国小屋から北西に進み飯豊山山頂を経由して西の御西岳避難小屋へつながる登山道だ。福島県から新潟、山形両県に延びた、まさに盲腸。元々神社の参道だったため、このような県境になった。実はここに地図帳ならではの表現手法も盛り込まれている。2万5千分の1の地図帳では幅は38メートル程度に描かれるが、実際は最小で91センチだ。実縮尺では地図上に表現できないため、「転位」と呼ぶ約束事で誇張されている。
こうした盲腸は海外にも存在する。アンゴラ、ザンビア、ボツワナに突き出したナミビアなどだ。
地図帳を改めて深読みしていくと、不思議なものがいくつも見つかる。地形的な不思議が導くのは自然の摂理の雄大さだ。では境界の突飛さが教えるものは何だろう。やはり人間の度し難い欲の深さだろうか。
類書には『世界で一番おもしろい地図帳』(青春出版社)、『日本地図150の秘密』(彩図社)、『歩いてわかった地球のなぜ !?』 (山川出版社)、『世界をまどわせた地図』(日経ナショナルジオグラフィック社)などがある。
今尾さんの著書は、BOOKウォッチで『地図で楽しむ日本の鉄道』(洋泉社)、『日本全国駅名めぐり』(日本加除出版)などを取り上げている。
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