いったん図書館で借りたが、改めて購入することにした――時々そんな本がある。本書『証言 治安維持法』(NHK出版新書)もその1冊だ。「『検挙者10万人の記録』が明かす真実」というサブタイトルが付いている。
買った理由は2つ。かなり線を引くことになりそうだという予感と、著者や関係者の労力への敬意だ。分かりやすく言えば、カネを払って読む価値がある本ということになる。
本書は2018年8月18日にEテレで放送されたETV特集「自由はこうして奪われた~治安維持法 10 万人の記録~」をもとにしている。番組は好評で2か月後にアンコール放映され、さらに今回、新書本化された。
「はじめに」で概ね以下のように、本書の概要が紹介されている。
序章では、現在も声を上げ続けている検挙者の証言を入り口に、治安維持法がどのような目的で作られたのか、成立の経緯を概観する。第一章から第五章では、法律が運用された二十年間の検挙者数のデータを分析して特徴的な変化を示す時期や地域を各章ごとに絞り込み、当時の出来事を、該当する証言者のエピソードを通して描いていく。同時に、証言者たちがなぜ検挙されたのか、時代的な背景や法律の運用状況を専門家の見解を交えながら検証する。第六章では、治安維持法をはじめとする戦前・戦中の治安体制と戦後の治安体制の連続性について検証し、終章では本書に登場した証言者たちの戦後の歩みを見ていく。
大正末期の1925年に制定された治安維持法は、当初、主に共産党を取締り対象としていた。しかし、一般の市民にまで拡大されていく。ふつうに暮らすふつうの人々が次々に検挙されたのはなぜか。当事者や遺族の生々しい証言と、公文書に記載された検挙者数のデータから、治安維持法が運用された20年間を検証する――。
こうした企画を構想するのは簡単だが、実際に特集をつくるのは大変だ。本書でいちばん驚いたのは有力な「ネタ元」の存在。その人の名は西田義信さん(82)。日本のパーソナルコンピュータ・プログラミングの草分けとして業界では有名人らしい。
その西田さんは数年前から本業のプログラミングの仕事をすべて断って、別の作業に没頭している。それは治安維持法による検挙者のデータベースづくり。窓のない4畳ほどの作業部屋に貴重な資料を積み上げ、黙々とインプットする。
パソコンの端末を操作すると、たちどころに治安維持法で検挙された人の一覧が表示される。名前や年齢、捕まった時期や地域、事件名、検挙者の記録が記載されている資料名、所蔵場所など。食事の時間以外はほぼこの作業をしているという。NHKが取材を始めた時点で、すでにこのデータベースには2万人以上が登録されていた。
実は西田さんは、叔父の小森恵さん(故人)の遺志を継いでいる。小森さんは東京大学社会科学研究所の図書室で司書をしていた。
戦後間もないころ、図書室を訪ねてきた人物がいた。「自分は治安維持法で逮捕された。その理由を知りたい、何を見ればわかるか」と聞かれた。小森さんは答えられなかった。これを機に小森さんは仕事の合間に全国の大学や図書館をめぐり、50年かけて1万4000人分の記録を私家版としてまとめた。2014年、その改定作業中に亡くなった。小森さんの膨大な資料と遺志を引き継いだのが西田さんというわけだ。
この稀有な2人の仕事を知れは、やはり本書にはカネを払わねばという気になる。
BOOKウォッチでは戦前の言論・思想統制について、これまでにいくつかの本を取り上げている。『陸軍・秘密情報機関の男』(新日本出版社)によれば、25年に制定された治安維持法の検挙者は31(昭和6)年には年間1万人を超え、32年は1万3938人、33年は1万4622人、34年は3994人もいた。こうして昭和ヒトケタの時代に当局によって組織的な反戦活動はおおむね抑え込まれたとされている。
検挙されたのは共産主義者やアナーキストだけではない。その周辺にいた人たちも次々と引っ張られた。『特高に奪われた青春』(芙蓉書房出版)の主人公、斎藤秀一(1908~40)もその1人だ。細々とエスペラントの勉強をしていただけだったが、特高に監視され、治安維持法などで逮捕。服役中に肺結核を患って学究半ばで短い人生を終えた。
俳優の植木等さんの父は僧侶だったが、「反戦言動」で特高に目を付けられ逮捕された。『反戦僧侶・植木徹誠の不退不転』(風媒社)によれば、特高警察の「近畿特別要視察人名簿索引」に名前が掲載されている。
映画監督の亀井文夫は昭和14年、東宝が陸軍報道部から委嘱を受けた戦意高揚映画「戦ふ兵隊」をつくった。ところが、内容が暗く、反戦映画だと指弾される。治安維持法で逮捕された映画人の第1号となった。詳細は『たたかう映画――ドキュメンタリストの昭和史』(岩波新書)に出ている。
『君たちはどう生きるか』を書いた吉野源三郎も治安維持法での逮捕歴がある。
本書でも多数のケースが出てくるが、有名な横浜事件などには触れることが出来なかった、と取材班の湯川一雅ディレクターが「あとがき」で断っている。広げるとキリがないのが治安維持法の掘り起こしだ。
冒頭には、103歳の杉浦正雄さんが登場する。戦争中は印刷工。仲間とつくった親睦会が治安維持法に問われ、3年間の獄中生活を送った。戦後、国による謝罪や賠償を求めて行動してきた1人だ。この請願活動は1953年に始まり、のべ950万人の署名が集まっているという。
14歳で検挙された大竹一燈子の話も出てくる。拷問を伴う拘留が40日。大竹は当時、共産党の幹部だった三田村四郎の義理の娘。母の九津見房子は女性の治安維持法検挙者第1号と言われる。作家の森まゆみさんは『暗い時代の人々』(亜紀書房)の中で、九津見房子を取り上げている。
本書では取り締まった側の話も出てくる。札幌の特高警察官の息子は、両親が夫婦喧嘩をした時のことを覚えていた。母が父に殴り飛ばされる。そのとき母が叫んだという。「取り調べのときも、こんなふうにしてやったんでしょうね」。
評者はかつて関連の未公開の資料を内々に見せてもらったことがある。1933(昭和8)年ごろ、ある旧制高校で秘密裏に広がった反戦活動を当局が察知し、大量検挙した事件の記録だ。検挙者の名前が一覧表になっていた。1人1人について退学とか停学とかの処分内容が詳細に記録され、親の名前や職業も併記されていた。「不穏な校内新聞を発行撒布し、帝国主義または軍事教練反対の策謀を試みた」ということが摘発理由だ。共産党とのつながりも厳しく追及された。
生徒が作った学校新聞には、「参謀本部に根をはった恐るべきファシスト団の陰謀暴露さる」「軍人を我々の学園から追い出せ」「言論研究集会の自由をよこせ!」などの見出しが並んでいる。昭和6年の満州事変に抗議するビラが配られたこともうかがえる。今から考えれば戦争拡大に反対した真っ当な活動とも言えるが、70人余りが検挙され、19人が放校・諭旨退学になって同高の反戦運動は完全に終息した模様だ。
ナチスドイツに抵抗したドイツの学生たちの「白バラ運動」は有名だが、日本でも昭和ヒトケタの時代には全国の大学や旧制高校で、かなり多くの公然・非公然の反戦活動があった。それらを抑え込み、「総動員体制」を作り上げたのが治安維持法を頂点とする様々な統制法令だ。まことに法律は恐ろしい。
長年データベースを続けている西田さんはNHKの取材にこう語っている。
「なぜこんな理由で捕まるのかという事例が次々に出てくるんですよ。落書きをしたという理由で検挙されている人もいます。これ(治安維持法)が実際に議会を通過した法律によるものとは信じられないですよね・・・」
取材班の湯川一雅ディレクターは、こうも記している。「執筆作業の最中にも、日々の報道において、治安維持法の時代の出来事を想起させるニュースに出会うことが少なからずあった。この先もきっとあるだろう。そのとき、読者の皆さんが本書を思い出して、状況を比較検討したり、いまについて考えたりする材料にしていただければこれほど嬉しいことはない」。
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