本には「まえがき」や「はじめに」がある。なぜその本を書くに至ったのか、著者の思いがつづられている。本書『その苦しみは続かない--盲目の先生 命の授業』(朝日新聞出版)は、とりわけ「はじめに」のインパクトが強烈だ。少し長くなるが、紹介したい。
「私の74年の人生にはとても悲しいことが二つあった。その一つは、この目が見えなくなったことであり、もう一つはもっともっと悲しいことだった。 最初に生まれてきた長男に重い障害があり、いつまでたっても寝たきりで、言葉一つ出なかった。そして、その子は7歳で天に召されて行った。 親としてこんなに悲しいことはなかった。 けれども、これらの悲しみを埋めて余りあるほどの幸運にも恵まれた。その一つ目はすばらしい親に育てられたことであり、二つ目は大勢のすばらしい先生に出会えたことだった。そしてもう一つ、今すばらしい家族と仲間たちに囲まれていることも加えなければならない。こうした事柄をここに正直に分かりやすく紹介することにした」
さらにこう続けている。
「『本を書くことは恥をかくことだ』という文をどこかで読んだことがある。その通りだと思っていたが、私が以前に書いた『見えないから見えたもの』という自分史を読まれた朝日新聞出版の若者が『どうしても書いてください』と熱心に食い下がった。私が書くことで、今いじめに遭って苦しんでいる子どもやその家族、大切な人を失って悲しみのどん底にいる人、この複雑で難しい社会の中で、嵐にもまれた木の葉のように翻弄されている大勢の人たちに、明日への光を贈ることになるかもしれないという言葉に負けた」
著者の竹内昌彦さんは1945年2月、中国の天津で生まれた。父は現地で警察官をしていた。敗戦で一家は故郷の岡山に引き揚げる。竹内さんは帰還船の中で重い肺炎になり、命はとりとめたが、この時の高熱で右目の視力を失い、左目もわずかな視力をのこすのみとなった。5歳になったころ、ようやく家族や本人がそのことに気付いたという。そして小3のとき、その左目も悪化、手術したが、視力は10分の1程度に落ちて、盲学校に移る。
入院していたころ、母はよく語りかけた。3階の病室の窓から下をのぞいて、「まこちゃん、この窓から飛び降りたら死ねるかなあ。まこちゃん、お母さんと一緒に死ぬる」。竹内さんの答えは決まっていた。「僕は死なんで、お母ちゃんも死んだらいけんで」。
母は医師にこんなことも言っていた。「親の目を、一つこの子に分けてやるわけにはいかんのですか・・・私のは一つ取ってもええから」。医師の答えは「そんなことができるんなら、世の中に目が見えん者は一人もおらんようになる」。
5年生の時に網膜剥離で完全失明。その後、東京教育大学(現・筑波大学)の盲学校教員養成課程を卒業。岡山県の県立岡山盲学校の教頭などを務めた。
在職中から「いじめ」や「命の大切さ」をテーマに全国で講演活動を行い、この28年間で3000回以上。聴衆はのべ40万人を超える。
加えて途上国の視覚障害者自立支援の活動もしており、2011年にモンゴル、15年にキルギスに盲学校を設立した。それらの盲学校に入学を希望する子どもの中には、手術で視力が改善する子どもがいることに気付き、その手術費を集めるために17年、NPO法人「ヒカリカナタ基金」も設立、理事長を務める。本書の印税はすべてそこに納めるという。
そのほか社会福祉法人「岡山ライトハウス」理事長なども務め、「福武哲彦教育賞」(2009年)、「読売福祉文化賞」(2012年)、ヤマト福祉財団小倉昌男賞(2016年)なども受賞、社会貢献活動を続けている。
「自分の人生を振り返ってみて、三度ほど『死にたい』と思ったことがあった。それはこの悲しみや苦しみが一生続くと思ったとき、人生に絶望したときだった」 「しかし、これは間違いだった。そのつらいことの後に、必ず『やっぱり生きていてよかったなあ』と思えるときがきた。それだから、いまもこのように生きている」
小学校では、ひどいいじめを受けた。一年生の時は給食のミルクにゴミを入れられた。それを気づかずに飲んだら、「ゴミ人間」とはやし立てられた。堪忍袋の緒が切れて、消火器の栓を抜き、教室中にまき散らしたこともあった。しかし、二年生になった時は、担任の先生がクラスのみんなで竹内さんを支える体制づくりをしてくれた。こうした経験が、講演で「いじめ」や「すばらしい先生」を語る原点になっている。しかし、重度の脳性小児麻痺という病気を持って生まれて早逝した長男についてはとても心穏やかに語ることができない。「話すことが供養になる」と言われ、勇気を出しているという。
日本の「按摩」をアジアの視覚障害者に教える活動にも関わり、とくにモンゴルとの縁が深い。2008年以降、何度も訪問して、現地にマッサージ師養成の学校をつくることができた。その話を耳にした横綱の白鵬から「お礼を言いたい」との連絡が入り、宮城野部屋まで出かけて横綱と話をしたこともある。白鵬は律義にも、その後のモンゴル帰国時にこの学校を訪問してくれたそうだ。
本書によれば、白鵬は北海道に田んぼを買い、寒さに強い稲をつくってモンゴルに送り、恵まれない子供たちの自立を助けようという活動もしているとか。モンゴルには「白鵬基金」もあるという。「大横綱というよりも温かい心を持った一人の人間として、彼を身近に感じた」と竹内さんは記している。
白鵬の日本国籍取得が話題になったばかりだが、あまり知られていない「ちょっといい話」ではないかと思った。
BOOKウォッチでは同じく視覚障害者の話として、『いま、絶望している君たちへ』(日本経済新聞出版社)も紹介している。
当サイトご覧の皆様!
おすすめの本を教えてください。
本のリクエスト承ります!
広告掲載をお考えの皆様!
BOOKウォッチで
「ホン」「モノ」「コト」の
PRしてみませんか?