源頼朝はなぜ征夷大将軍を返上したのか? 倒幕後も徳川慶喜が生き残ったのはなぜか? それは、日本社会を動かしてきたのは「地位より家」という大原則があったからだという。本書『世襲の日本史』(NHK出版新書)は、そんな歴史のカラクリに光を当てた本だ。
「なぜ、日本は世襲に甘いのか」という疑問を抱いていた、東大史料編纂所教授の本郷和人さんが歴史的に考えた結論が、日本では「地位より人、人というのは血、いや血よりは家」、つまり「地位より家」ということだった。
日本の社会変動の中心だった武士は、「家」を単位に主従関係を結んだ。そのピラミッドをもとに、イギリスの階級社会とも、インドのカースト制度とも異なる独自の「階級社会」を形成してきた、と本郷さんは考える。
カーストのような細かな具体性を備えていないので、かえって人々の意識に浸透しやすく、いまだに「家」の継続=「世襲」を容認する空気があるのでは、と指摘する。
本書では、日本史のさまざまな疑問に答える形で、「地位より家」にこだわってきた日本社会のありようを明らかにする。
幕府成立の指標を征夷大将軍という地位の獲得としてきた歴史学の見直しが進んでいる話から書き出している。
いまの教科書では、鎌倉幕府の開府は「いい国(一一九二)つくろう鎌倉幕府」から「いい箱(一一八五)つくろう鎌倉幕府」に変わったそうだ。源頼朝が征夷大将軍になったのは確かに建久三(一一九二)年だが、文治元(一一八五)年には、朝廷に守護・地頭の設置を認めさせ、警察権と徴税権を持ち、関東を平定し、平家を追討している。「朝廷から与えられた実質のない官位よりも、例えば頼朝が何を考えて何をしたかという、歴史の生々しい動きにこそ注目すべきなのです」と書いている。そもそも頼朝は征夷大将軍という「地位」にはこだわらず、宣下から2年ほどで返上。その後も力は低下していない。
同じことは室町幕府でも起きているとし、足利義教が征夷大将軍になるのを待たずに政務を始めた例を挙げて説明する。「籤引き将軍」と言われた義教だが、征夷大将軍という「地位」ではなく、足利将軍家という「家」が決め手だったという。
そして以下の構成で「地位より家」はあてはまるかを検証している。
第一章 古代日本でなぜ科挙は採用されなかったか? 第二章 持統天皇はなぜ上皇になったか? 第三章 鎌倉武士たちはなぜ養子を取ったか? 第四章 院家はいかに仏教界を牛耳ったか? 第五章 北条家はなぜ征夷大将軍にならなかったか? 第六章 後鳥羽上皇はなぜ承久の乱で敗れたか? 第七章 足利尊氏はなぜ北朝を擁立したか? 第八章 徳川家康はいつ江戸幕府を開いたか? 第九章 立身出世と能力主義
第三章では、『吾妻鏡』の逸話から、養子制度の「血縁なき血縁原則」、血はDNAによる生物学的なつながりではなく、「関係性」を指し、つまり「家」のつながり、「家」の継続性こそが重要とされた、と説く。
明治政府は世襲をやめたが、それはこのままでは外国の植民地になるという「外圧」があったから、根本原理を変えた、と本郷さんは考える。
しかし、世襲は芸能や政治などの世界でひろくいまも見られる。安倍政権の内閣改造が終わったばかりだが、大臣の顔ぶれを見て世襲か否か気になる人は多いだろう。安倍首相と異なる政治的な意見を持っているという本郷さんだが、外国の要人とも臆することなくふるまえるのは、岸信介を祖父にもつ世襲ゆえかとも書いている。
世襲とは違うが、経済的な格差が固定し、日本は、新たな「階級社会」になりつつあるという分析もある。本書を読んで、その起源を知るのもいいだろう。
もちろんこうした「家」の代表は「天皇家」。『中世史講義』(ちくま新書)によると、11世紀後半になって、皇族のなかでも、天皇の地位を継承するイエ、すなわち天皇家が成立したという。
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