読むべき本、見逃していない?

「ソ連は最大の友人」・・・蒋介石はスターリンと内通していた!

  • 書名 ノモンハン 責任なき戦い
  • 監修・編集・著者名田中雄一 著
  • 出版社名講談社
  • 出版年月日2019年8月21日
  • 定価本体900円+税
  • 判型・ページ数新書判・248ページ
  • ISBN9784065168578

 本書『ノモンハン 責任なき戦い』 (講談社現代新書)は、2018年夏に「NHKスペシャル」で放送された同名番組をもとにした単行本だ。著者は同番組ディレクターの一人、田中雄一さん。ノモンハン事件については何冊かの先行書があるが、Nスぺ伝統の徹底取材で真相に迫っており、本書でも興味深い新事実が明らかになっている。

満州国建国で国境ができた

 ノモンハン事件とは、1939年5月に旧満州国とモンゴルとの国境地帯、ノモンハンで勃発した国境紛争だ。日本軍とソ連・モンゴル軍との間で戦闘状態が続いた。ソ連側が8月後半に大攻勢を仕掛け、壊滅的打撃を受けた日本軍は国境エリアから退却。9月16日に停戦となった。日本側が約2万人、ソ連側が約2万5千人の死者を出した。日本では厳しく報道管制が敷かれ、戦時中は詳細が明らかにされなかった。

 今から考えると、なんであんなところで・・・と思われる場所だが、ノモンハン事件の淵源は31年の満州事変、翌年の満州国建国にさかのぼる。いずれも関東軍が主導し、この地域での日本の権益を大きく拡大させていた。その結果、ソ連やモンゴルとの間に5000キロもの国境ができて、あちこちで小さな衝突が頻発するようになる。関東軍としては、この国境を守るのは自分たちの仕事であり、絶対に譲れないという強い思いがあったことだろう。

 初動において断固たる武力行使を行い、敵の戦意をくじき、戦線の拡大を防ぐ。これが辻政信ら関東軍参謀の方針だった。そして、国境をめぐる小競り合いに正規軍を投入する。狙いはモンゴルを衛星国にしているソ連を武力で威嚇することだ。ソ連とモンゴルは相互防衛義務の条約を締結、モンゴル内にはソ連軍が駐留していた。

 日本は37年からの日中戦争が泥沼化しつつあり、陸軍の参謀本部としては新たに戦線を広げたくなかった。しかし、満州を牛耳る天下の関東軍を抑えきれない。戦況は一進一退、最終的には物量に勝るソ連側の総攻撃で撤退、というのがあらましだ。実質的には敗北ということになる。関東軍の参謀や陸軍の幹部は責任を問われ、いったん配置換えになるが、主導的な役割を果たした辻たちは短期間で復活、あろうことか参謀本部の参謀として太平洋戦争を主導する立場になる。彼らの強硬路線が日本を敗戦という最悪の事態に引きずり込んだということで、「ノモンハン」は戦後、「失敗の序曲」としてたびたび問題になってきた。

アメリカで新たな音声資料発掘

 Nスぺでは今回、アメリカでノモンハンに関わった旧軍人の音声記録を新たに入手した。150時間に及ぶ当事者の肉声だ。さらに、普段は立ち入れないノモンハンの現場に特別許可を得て入り、ドローンの空撮で塹壕などの設置状況を再確認したり、ソ連側の秘密の補給庫跡を発見したりした。ロシアのアーカイブでソ連側の史料にも当たった。

 評者が本書を通じて再認識できたことは多々ある。一つは、かねて言われてきたことだが、「関東軍」と「参謀本部」のズレ。「ノモンハン」に消極的だった当時の参謀本部の作戦課長は戦後、「くだらん戦争」と言いきっている。自分たちがゴーサインを出したわけではないということだろう。

 関東軍も参謀本部も、実はそれぞれが一枚岩ではなかった。本書を読むと、そのあたりがよくわかる。軍内部で培われた人間関係などから、参謀本部など陸軍の上層部では関東軍の独走を容認するお偉方が少なくなかった。

 もっとも昭和天皇は、関東軍がソ連軍空軍基地を勝手に空爆したことを知って激怒したという。国境を越えての軍事行動は天皇の大権に属するからだ。「大権干犯」とみなされ、参謀本部の最高幹部は天皇から、「責任はどうするか」と問い詰められたという。そこで参謀本部の作戦課長は辻の更迭を画策する。しかし、陸軍大臣以下、辻に目をかけている高官が多数いて、不首尾に終わったという。天皇の意向よりも陸軍組織の情実が優先された。

 残された音声テープで、その作戦課長は、「天(子)さんの命令は絶対のはずだけど、絶対ちゅうことはないんですよ。どうにでもなるんですよ」と語っている。

参謀本部で強硬な主戦論ブツ

 ノモンハン事件当時の関東軍は、作戦主任が服部卓四郎、参謀の一人が辻。ともに30代後半の若さだ。この二人は、1941年の日米開戦前には参謀本部に引き上げられ、太平洋戦争開始のゲキを飛ばす。本欄で紹介した『なぜ必敗の戦争を始めたのか――陸軍エリート将校反省会議』(文春新書)には当時の様子が語られている。

 出席者の一人が、参謀本部の作戦課の幕僚たちの中で、戦争開始に反対した人は誰もいなかったのかと質問する。当事者の一人が答える。

「当初は、作戦課も大部分、反対なんです・・・若手参謀は大体、反対しておったんです。反対という意味は、戦争しても、勝つ見込みは少ないんじゃないかという観点からなんですよ」「非常な推進力になったのは、辻政信参謀と服部卓四郎作戦課長と、田中作戦部長なんです。この三人が、非常な勢いで主戦論者なんです」

 これが昭和16年7月の南部仏印進駐より前の作戦課の空気だったという。若い参謀が、「米英を相手に戦って、勝算があるのですか」と疑問を呈すと、辻参謀が断固として語る。「戦争というのは勝ち目があるからやる、ないから止めるというものではない。今や油が絶対だ。油をとり不敗の態勢を布(し)くためには、勝敗を度外視してでも開戦にふみきらねばならぬ。いや、勝利を信じて開戦を決断するのみだ」。

 ノモンハンで失敗したはずなのに、まったく懲りていない。Nスぺ取材班は辻の肉親や故郷の人々にも取材しているが、そこでの辻は全く別人。論争で他者を威圧し恫喝する姿はない。「いつも他人のことを思い、優しく、まっすぐな人だった」。

部下に自決を強いて知らん顔

 本書で非常に印象に残ったことが二つある。一つはノモンハンの激戦場で徹底抗戦した部隊の隊長、井置栄一中佐のこと。800名の部隊で5000名のソ連軍相手に抵抗をつづけたが、隊員は300名以下に減少、食料も弾薬も尽き、撤退を決断した。直属の上官である第二十三師団の師団長・小松原道太郎中将は「敵前逃亡」と判断。司令部の幕僚会議で「自決勧告」を切り出し、参謀らの反対を押し切る。井置中佐は銃で自決。そして本件についてかん口令が敷かれた。

 井置中佐の妻は、夫の最期を知りたいと、軍関係者に手紙を出すが、みんな「知らない」と口を閉ざす。Nスぺが遺族に取材したところによると、ある晩、小松原が突然、井置宅を訪れ仏壇に手を合わせた。「井置は負けたから先に死んでしもうた。一緒に東京に帰って、その負けた惨状をともに話したいと、多くの人にと思ってたのに、先、死によった」。そういいながら涙をこぼして泣いていたという。死の真相は語らず、自分が自決を強制したことは隠したままだった。

 もう一つは蒋介石。37年に日中戦争がはじまると、それまで「ソ連は最大の敵」と公言していたにもかかわらず、水面下でスターリンに猛烈にすり寄っていたことが、ロシアのアーカイブの史料でわかった。「最大の友人はソ連です」「武器と航空機を急ぎ信用供与してください。(中略)特に航空機です。中国にはいま10機しかないのです」。いずれも、蒋介石がスターリンに充てた親書だ。こうして37年から41年にかけて、ソ連から航空機1235機、大砲1600門、機関銃1万4000などが送られた。さらに蒋介石は側近を通して、ソ連が日中戦争に参戦するように繰り返し促していた。

 日中戦争や抗日戦では、毛沢東がソ連と、蒋介石は米国と緊密だったと思い込んでいたが、奇々怪々だ。

731部隊の裁判記録も入手

 ロシアのアーカイブには、「ノモンハン」に関して、まだ整理しきれない大量の史料が残っているという。敗戦ですべてを燃やした日本とは違う。それらがソ連崩壊で検索可能になってきた。田中ディレクターは先に、731部隊の関連で、ロシアに残されたハバロフスク裁判の音声記録を独自に入手した人でもある。その話は本欄掲載の『731部隊と戦後日本』(花伝社)にも登場する。

 田中ディレクターは、ノモンハン事件の責任者たちの長時間の音声テープを聞いた感想をこう記している。

 「参謀本部の将校からも、関東軍の参謀たちからも、悔恨や反省の思いが聞こえてくることはなかった」
 「自己弁護に終始し、互いの非をあげつらうものがほとんどだった」

 同じような証言は、本欄で紹介したNHKスペシャルの『戦慄の記録 インパール』(岩波書店)でも読んだ記憶がある。

 本欄ではこのほかNHKの戦争特集の書籍化として、『僕は少年ゲリラ兵だった――陸軍中野学校が作った沖縄秘密部隊』(新潮社)、『日本人はなぜ戦争へと向かったのか 戦中編』(NHK出版)、『本土空襲 全記録』(株式会社KADOKAWA)なども紹介している。

 また、ソ連とナチスドイツの死闘については『独ソ戦――絶滅戦争の惨禍 』(岩波新書)を紹介している。

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