本書『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)は、少し小説を連想させるタイトル(村上龍『限りなく透明に近いブルー』とか)だが、れっきとしたノンフィクションだ。それも著者、ブレイディみかこさんの11歳の息子さんがノートに走り書きした一節だ。
ブレイディみかこさんは、1965年福岡市生まれ。県立修猷館高校卒。音楽好きが高じてアルバイトと渡英を繰り返し、1996年から英国ブライトン在住。保育士の資格を取り、「最底辺保育所」で働きながらライター活動を始め、2017年新潮ドキュメント賞を受賞した『子どもたちの階級闘争――ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(みすず書房)をはじめ、多くの著書がある。本欄でも『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』(亜紀書房、共著)を紹介している。
タイトルは日本人(黄色人種)の母親とアイルランド人(白色人種)の父親の間に生まれたぼくは、ちょっと憂鬱な(ブルー)気分、といったところだろう。
日本人のパンクな母親と元銀行員のダンプ運転手である父親の間の一人息子とその友人たちの中学校生活の最初の1年半を書いたものだ。
息子くんは、学校ランク第1位の公立小学校で生徒会長をしていたような優等生。ほとんどが、そのままランク第1位の公立中学校に進むが、実際に通うことを決めたのは近所の「元・底辺中学校」だった。
移民が多い英国では、人種の多様性があるのは優秀でリッチな学校、白人英国人だらけの学校は荒れているという風評があるという。父親の反対を押し切り、自分の選択で「元・底辺中学校」に入った訳だが、そこは「殺伐とした英国社会を反映するリアルな学校だった。いじめもレイシズムも喧嘩もあるし、眉毛のないコワモテのお兄ちゃんやケバい化粧で場末のバーのママみたいになったお姉ちゃんたちもいる」ところだった。これは大丈夫なのか、ようやく私の出番になったと思った著者が見たのが、冒頭の一節だったのだ。
そして「『glee/グリー』みたいな新学期」、「バッドでラップなクリスマス」、公立校と私立校の格差を書いた「プールサイドのあちら側とこちら側」など、英国社会の観察を交えながら、彼の中学生活の折々を記録していく。
音楽部のクリスマス・コンサートではこんなラップが登場する。
「父ちゃん、団地の前で倒れてる 母ちゃん、泥酔でがなってる 姉ちゃん、インスタにアクセスできずに暴れてる 婆ちゃん、流しに差し歯を落として棒立ち (中略) 姉ちゃん、新しい男を連れてきて 母ちゃん、七面鳥が小さすぎるって 婆ちゃん、あたしゃ歯がないから食べられないって 父ちゃん、ついに死んだんじゃねえかって 団地の下まで見に行ったら 犬糞を枕代わりにラリって寝てた」
聞いていた保護者たちの反応は二分していた。労働者階級の街でも分断が進んでいる、と書いている。「来年は違う。別の年になる。万国の万引きたちよ、団結せよ」のエンディングに、教員たちが喝采を送っていた。教員たちの取り組みが「底辺校」を「元・底辺校」にしたのだ、と著者は感動した。
息子と距離感を置きながら観察し、記述する著者の立ち位置が絶妙だ。日本の保護者なら、はなからこうした学校には入れなかっただろうし、入れたとしたら過保護に動き回るに違いない。
ともあれ、息子くんは成長し、いまは「イエローで、ホワイトで、ちょっとグリーン」だという。グリーンには「環境問題」という意味もあるが、「未熟」とか「経験が足りない」という意味もある、と彼は説明した。
社会の分断や格差が学校、特に公立校では如実に現れる。校区により学校を選択できない大部分の日本の学校と違い、英国では公立でも小・中学校を選ぶことができるため、富者と貧者の棲み分けが進み、「ソーシャル・アパルトヘイト」と呼ばれる社会問題になっているそうだ。
著者が自分の意見(「元・底辺校」への進学)を押し付けず、息子くんが自らの選択で進んだというのが、このノンフィクションの要となっている。こんな素敵なタイトルが浮かぶくらいだから、熱中しているバンド活動でも活躍するに違いない。
初出は新潮社のPR誌「波」。連載はいまも進行中だ。
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